63――修学旅行の計画と唐突なお礼


 二度目の小学校生活、その最後の学年が始まった。転入生であるはるかを初日に職員室に連れて行って、私は中庭に貼り出されてるクラス表を確認する。


 春休みにはるかが職員室へ挨拶に行った時に付き添って同じクラスになる事は聞いているから、本当に念の為だ。当然の事ながら私とはるかに加えて、透歌達の名前もあった。今年は修学旅行もあるし楽しい1年になりそうだなと思いつつ、登校してきた透歌達と合流して春休みに何をしていたか等の他愛のない会話を楽しむ。


 先生に連れられて教室に入ってきたはるかに、何人かの男子達がちょっと照れた様にモジモジしてるのが視界の隅に見えた。そうでしょうとも、うちのはるかは可愛いからね。身長も150cm超えとこの歳にしては平均よりも高いし、前世で男だった我が身からすればかなりの優良物件だと思う。問題は人見知りだから初対面の人には素っ気なく塩対応してしまうところなんだよね、慣れると距離も縮まって普通に笑ってくれるんだけど。


 無難に挨拶をこなしたはるかに手を振ると、ちょっとだけ恥ずかしそうに小さく手を振り返してくれた。私もあんまりクラスに馴染んでるとは言えないんだけど、できるだけクラスメイトとの橋渡し役を頑張ろうと思っていたら、そういう事はクラスの女帝である透歌が全部やってくれました。ううん、クラスだけじゃなく学年の女王かもしれない。はるかだけじゃなくて、私にも他のクラスの子から声を掛けられる様になったし。そのコミュ力と手練手管、見習いたいものです。


 6月に修学旅行に行くので、基本的に学級会は修学旅行についての話し合いばかりだ。班については男女3名ずつをひとつの班とする事に決まっているので、基本的に女子6人で固まっている私達も合図と共にグーとパーを出すよくある手遊びで3名ずつに分かれた。特にズルもしていないので本当に偶然なんだけど、私は透歌とはるかと同じ班になる事に決まってすごくびっくりした。いや、できればふたりと一緒に旅行を楽しみたかったから願ったり叶ったりなのだけど、あまりにも私の希望通りになったから喜びよりも驚きが大きかったのだ。


 男子はいつものメンバーであるタケくんとムッくん、更にふたりの友達である山口良信よしのぶくんの3人だ。ヨシとふたりからは呼ばれているみたいなので、私もヨシくんと呼ぼう。でも別に初対面な訳じゃなくて、何故なのかわからないけれどたまに電池で走る四駆のおもちゃを見せびらかしに来たり、テストの点数を聞かれたり彼からの一方的なコンタクトはあったんだよね。四駆のおもちゃは前世でハマってたから『タイヤはスポンジの方がいいんじゃない?』とか『この穴を開けて軽量化した部分、ヤスリで平らにした方がいいよ』とか色々語りたい気持ちもあったんだけど、あんまり女子は興味を持たないおもちゃだから『すごいね』とか『かっこいいね』とか無難な褒め言葉を返していた。


 テストの方は常に私の勝ちだったからしょんぼり肩を落として帰って行く姿を見送るしかなかったんだよね。だってこっちは小学校入学の頃から自主的に勉強していて、この体の記憶力の良さも相まってか高校受験用の勉強まで既に終わってるのだ。残念だけど同級生にテストの点数で負ける訳にはいかない、基本的に100点ばっかりだもん。わざと負けてあげるなんて彼も望んでないだろうし、とりあえず挑んでくる限りは返り討ちにしようと思っている。


 ヨシくんの事はひとまず置いておいて、修学旅行の話に戻ろう。行き先は京都と奈良なんだって、多分神社仏閣巡りになるんだろうね。


「そう言えばすみれは関西から引越してきたんだよね、この辺りって行った事あるの?」


「京都は1回だけ、奈良は奈良公園とか東大寺の大仏殿は行ったよ」


 透歌の質問に、私は頷きながら答えた。でも育った場所の近辺にある観光名所なんて、いつでも行けるという意識が働くからあんまり積極的に行こうと思わないよね。目的地が神社仏閣で、訪れるのが子供達ならなおさらだ。


 はるかも質問されていたが、彼女も地元近辺からあまり出たことがないらしい。私は大人として生きた記憶に故郷から離れた場所で一人暮らしした経験があるから地元を離れてもなんてこともないけれど、初めて寮生活を始めるなんてきっと不安で仕方ないだろうね。これまで以上に彼女が普段通りに暮らせる様に、協力できる部分は進んで手助けしていけたらいいなと思う。


「でもさ、行ったこともない場所で3つも観光名所に行って感想文書けって先生達も無理言うよな。どこに行けばいいのかさっぱりわかんねぇ」


 ムッくんが面倒くさそうにそう言うと、残りの男子達もそれに同意する様に頷く。とりあえず詳細は現地で決めるとして、東大寺の大仏に拝観した後に奈良公園で鹿と戯れ、最後に春日大社にお参りするコースを提案しておいた。みんな子供だし変に堅苦しいところにばかり行くよりは、外で散歩がてら体を動かした方がストレスもあんまり溜まらないんじゃないかなと思ったのだ。


 どうやら私の提案は受け入れられた様で、先生に提出する計画表にはそのままの内容が記載された。京都では座禅とかの体験学習が多いみたいなので、いい気分転換になればいいなと思う。




 放課後は連れ立ってはるかと一緒にテレビ局に向かう、今日は私の仕事がある訳じゃなくてはるかのオーディションの付添いだ。私と一緒に行動する事が多いから暫定的にはるかのマネージャーを引き受けている洋子さんも、もちろん一緒に来ている。ドラマの中で挿入されるヒロインの過去のシーン、その中でヒロインを演じる子役を決めるオーディションという事で、はるかも結構緊張している。残念ながら私が入れるのは待合い室まで、ずっと私の手を握っていたはるかの手が名残惜しそうに離れていき、オーディション会場へと入っていった。


 緊張するのは仕方がないけど、そこで自分が持つ力を発揮できないのは残念過ぎるから、とにかくいつも通りで頑張ろう。そんな月並みな励まししかできない自分を情けなく感じながら、少し気分転換がしたくなって洋子さんに一言断って待合室の外に出た。せっかく会場の外に出たんだし今のうちにお手洗いを済ませておこうとトイレに向かって歩き始めると、向こう側から見知った人が歩いてきた。


「あら松田さん、久しぶりね」


「おはようございます、安野さん。お久しぶりです」


 そこにいたのは、以前『CHANGE!』のオーディションで役を競った安野結花ちゃんだった。あの頃より背が随分と伸びてお姉さんらしさが増している、たしか私よりひとつ年上のはずだからこの春に中学へと入学したはずだ。前は心の中では結花ちゃんと呼んでいたけど、今の彼女には安野さんと呼びたくなる雰囲気がある。


「仕事は順調みたいね、今日はドラマの収録?」


「いえ、後輩がオーディションを受けるのでその付き添いです。まだ上京したばかりで、色々と不安みたいです」


 私がそう答えると『ちょっとお茶でもしない?』と安野さんに誘われて、廊下の片隅にある自販機の方に連れ立って歩いていく。『カフェオレでいい?』と聞かれたのでこくりと頷くと、さっさとボタンを押して湯気が出ている紙コップをこちらに渡してきた。代金を支払おうとすると『いいわよ、オゴるわ』と言って、自分の分のボタンを押した。


 自販機の隣にあるベンチに並んで腰をかけ、紙コップに口をつけた。しばらく無言で居心地の悪さに耐えていると、安野さんが何やら苦笑しながら口を開いた。


「あれだけ仕事して稼いでるのに、母ったらあんまりお小遣いくれないのよね。私の将来のためとか学費にとか言って全部持っていかれてるけど、どれだけ残っているのやら……松田さんはお金の管理、どうしてるの?」


「わたしはあんまり家が裕福じゃないので、お仕事でもらったお金はこっちでの生活費とか学費に回してます。通帳も自分で管理してますけど、税金とかの難しいあれこれは事務所と契約してる税理士さんにお任せしてますね」


 税金の事とかイマイチよくわからないけど、ちゃんと処理しておかないと面倒になるという話は前世から色々と聞いている。ちゃんと専門家に任せているし、今のところ事務所からも何も言われていないという事は特に問題なく処理されているんじゃないかな。


 松田さんもそうなのね、という言葉の後はまた無言の時間がしばらく続く。さすがに飲み物をおごってもらってる身としては、早々に席を立つ訳にもいかないし。わざわざこういう場に誘ってくれたって事は、何か私に話があるのだろう。それを彼女が話し出すまでは、じっと我慢するしかない。そう思いながらチビチビと少し冷めてきたカフェオレを飲んでいると、意を決した様に安野さんが話し始めた。


「親に言われるがまま幼い頃からこの仕事をしていたけど、ずっとイヤだと思いながらやっていたのよ。他の子供達みたいに学校帰りに遊んだり、理不尽に怒られたりせずに自由な事ができる生活に憧れていたの。そんな風に思いながら適当に仕事をしていた私でも日本で一番演技のうまい子役なんて呼ばれて皆がチヤホヤしてくれて、一応真剣に仕事はこなしていたけど心の奥底ではこんな簡単な事なのにって天狗になっていたわ。そんな私の慢心を打ち砕いてくれたのが、あの日のオーディションでのあなたの演技だったのよ」


「安野さん……」


「それまで誰かに負けるなんて事がなかったから、すごく悔しかった。松田さんの演技が大した事がなければあんなにショックを受ける事はなかったでしょうけれど、あの演技は素晴らしかったもの。あなたの演技に勝ちたい、あなただけじゃなくて他の誰にも演技で負けたくないって思ったわ。だからお礼を言いたかったの、私が本気になるきっかけをくれてありがとうって」


 不敵な笑みを浮かべながら、そんな事を言う安野さん。あの時の演技はどんな出来だったのか自分でもおぼろげで、でも演技をし終わった後は普段よりも何倍も強い充実感でいっぱいになった。私自身もあの演技を追い求めているけれど、あれから一度も同じ感覚を得られた事はない。なんとか普段からあの演技ができるようにしたいとは思っているのだけど、なかなかうまくいっていない。


「松田さんとはいつかまた役を争ったり、今度は共演者として一緒に作品を作り上げてみたいわね。あなたが子役から女優のステージに上がってくるのを、更に腕を磨きながら待っているわ」


 安野さんはそんな風に言って紙コップを一気に煽って中身を飲み干してゴミ箱に捨てると、『それじゃあ、今度は現場で』と言って去っていった。その場に残された私は、多分他の人から見るとすごくポカンとした表情をしていたと思う。だってあまりに唐突で、告げられた言葉もちょっと気取ってる印象だったから。先輩ぶりたかったのか、それともカッコつけたかったのか。どちらにしてもあの安野さんにしては随分な大根役者ぶりだったなと苦笑が浮かぶ。


 でも安野さんが私を競い合うライバルとして認めてくれて、今後の成長に期待してくれている事はすごく伝わってきた。一歳しか違わないのに安野さんは私より大分背が高かったし、このままだと来年中学校に進学したとしても、私の身長だと安野さんが言った女優のステージへとステップアップできない気がする。雑誌のモデルではすでに子供服モデルとして今度も続けてみないかという打診を受けているのだ、お仕事としてオファーがくるなら力を尽くしたいとは思うけれど、できれば年相応のお仕事がしたい。


 とりあえず今日から牛乳を多めに飲もう、安野さんの背中を見送りながら、私は心の中でそう強く決意するのだった。

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