64――衣装合わせと突然の来訪者達


 ゴールデンウィークが間近に近付いてきた4月下旬、私は都内にある少し広めの会議室にいた。以前出演依頼にOKを出した映画の衣装合わせに参加するためだ。


 今回の役は容姿は幼いけれど仕事のできるOLさんとの事で、白のブラウスに紺色のベストとスカートという事務服スタイルで衣装担当の方の前に立つ。


「うん、よく似合ってるわよすみれちゃん」


「あの、それはすごく嬉しいんですけど……」


 そう、服はまったくもって問題はないのだ。問題があるとすれば、靴である。普通オフィスで履く靴ってパンプスとかローファーじゃないの? なんでピンヒールなのか、しかも見た感じ踵の高さが明らかに10cmを超えてるのがおそろしい。おかげで立つだけでやっとの私は、まるで生まれたての子鹿みたいに足をプルプルさせながら抗議の視線を目の前の女性に向けた。


「普通、職場でこんな高いヒールの靴を履いてたら周りの人達からヒンシュク買いますよね? それに申し訳ないですけど、これを履いてまともに歩ける気がしないですよ、わたし」


「えー、慣れないだけだって。慣れたら速歩きだって駆け足だってできるようになるわよ」


 不満そうにぷくーと頬を膨らませるのはかわいいけど、私だって引けないのだ。こんなの撮影の間ずっと履いてたら、足をひどく痛めそうだもの。なんとしても他の靴に代えてもらわなくては。


 私達が睨み合っていると、衣装が入っている段ボール箱を運んできたお姉さんが地面に下ろしながら口を挟んできた。


「ほらリーダー、だから言ったじゃないですか。私らだってさすがにその高さのヒールは履くの躊躇するんですから、小学生の子にはキツイですってば」


「でもせっかく用意したんだよ、小学生用でこんな高さのヒールなんてなかったから特注したのに」


「それはリーダーが先走ったのが悪いんでしょ。ごめんね、この人すみれちゃんに絶対似合うからって暴走しちゃったのよ」


 そう言って苦笑したこの人は、どうやらアシスタントさんらしい。リーダーさん、お仕事に熱心なのはいいけど暴走に巻き込むのはやめてほしい。普段使ってない筋肉がピクピクしてる気がするから、多分間違いなく明日は筋肉痛になりそう。


 私が演じるヒロインが身長が低いのを気にしている役なので高さがある靴を使いたかったみたいだけど、結局全体的にソールで高さが底上げされたパンプスを使う事に決定した。男物だとこういうシークレットシューズ的な物はありふれているけれど、女性だとヒールで高さは誤魔化せるから珍しいみたい。洋子さんが『こういうのもあるんだね』なんて言いながら、手にとってあちこち眺めていた。


 映画『CHANGE』でバッサリ切った髪も、それなりに伸びてきて今は肩と背中の真ん中との中間ぐらいまで長くなってきている。定期的に美容室に行って整えてもらってるんだけど、費用は事務所持ちなのに毛先だけちょこっと切ってもらっただけで1万円近いお金が1度で飛んでいくのはなんだか申し訳ない気分だ。前に美容室へ通う頻度を減らしてもいいんじゃないかと洋子さんに相談したんだけど、私は事務所の商品であってその手入れにお金と手間暇を掛けるのはこちらの義務なのだから気にしなくていいと言われてしまった。それで一応納得はしたんだけど、やっぱり元々貧乏性な私としては気になってしまう。他にもお肌の手入れとかね、事務所にはいつもお世話になっています。それが私の役割だと言われれば、従うしかないんだけどね。


 とりあえず今は試着だから、髪は軽く結んで首の横から胸の方に垂らす。事務服の上から薄いピンクのカーディガンを羽織って、用意されている大きめのスタンドミラーに自分の姿を映した。うん、格好だけなら立派なOLさんだ。実年齢は小学生なんだからどうしてもコスプレ感が出てしまうけど、そこは見なかったことにしよう。


「きゃー、すみれかっわいい! 写真撮ろ、写真!!」


 ドーンと横から飛びついてきた洋子さんにギューッと抱きしめられながら、アシスタントさんが構えるカメラの前に移動する。いつの間に渡したんだろう、それ洋子さん愛用のお高いカメラだよね。デジカメじゃないんだから、そんなにパシャパシャ撮ったらすぐにフィルム無くなっちゃうよと思いつつ、言われるがままにポーズを取った。


 なんだか先行き不安だけど、恋愛映画って初めてだし頑張らなくちゃ。そう決意を新たにしながら会社以外のシーンで着る私服を数着合わせていると、後からやってきた共演者の方々と挨拶を交わして、無事に衣装合わせを終える事ができた。




 ゴールデンウィーク初日、私は東京駅のホームにいた。ゴールデンウィーク4連休に仕事が入らなかった私は、レッスンしたりピアノを弾いたりしてのんびり過ごそうと思っていたのだけど、一昨日に思わぬ人から電話が入ったのだ。


 なおとふみかのおばさん達からで、無理なら断ってくれて全然構わないんだけどと最初に言った後に、娘ふたりがこのゴールデンウィークに東京に行きたがっているのでそっちで面倒を見てくれないかというお願いだった。え、なおとふみかが東京に来るの? 私としては是非ふたりに会いたいので喜んでお世話するけど、一体何の用事で来るんだろう。


 ホテルとかもこちらで準備するからと言われたんだけど、ひとまず待ってもらってトヨさんとあずささんに相談したら、私がちゃんと責任を持ってふたりを監督するなら寮に泊めてもいいという許可をもらえた。おばさん達も子供料金とは言え新幹線代とか結構負担が重いだろうし、ちょっとでもそれを軽くするお手伝いができたならよかったかな。


「それで、ふたりはせっかくのゴールデンウィークなのにわたしに付き合ってよかったの?」


 少し振り返ってそう尋ねると、後ろをトコトコと付いてきていた透歌とはるかがにっこりと笑った。


「すみれの幼なじみ達が来るんでしょ、せっかくだしどんな子達か見ておきたいじゃないの」


「……どうせ帰省しなさいってお母さんがうるさく言ってただけだから、それならすみれ達と一緒の方が楽しいし」


 二人がいいなら私としてはなおとふみか、透歌とはるかをそれぞれ紹介するのもやぶさかではない。どちらもいい子達だから、仲良くしてくれると嬉しいんだけど。心配なのは人見知りなはるかと引っ込み思案なふみかかな、いつでもフォローできる様に注意しておかないと。


 そんな事を考えていると、いつの間にかふたりが乗っているはずの新幹線がホームに入ってくる時間になっていた。到着の合図が鳴り響き、ゆっくりと新幹線がホームに滑り込んでくる。大丈夫かな、なおとふみか。多分あの子達、大人がいない状態でこんな風に遠出したの初めてだと思うんだよね。緊張してないといいんだけど。


 乗っている車両と席番号は聞いているから、下りてくる人達の邪魔にならない場所で二人がホームに出てくるのを待つ。今日はどちらかというと東京に来る人よりも地方に出掛ける人が多いのか、新幹線から下りてくる人達はそれほど多くない。時間が早いっていうのもあると思うけどね、まだ朝の10時だもん。早起きして始発に近い電車に乗ったみたいだし、中で寝てなければいいけど。


 一通りお客さんが下り終わったのか人の流れが途切れても現れない二人が心配になって、中まで見に行こうかなと思っていたらようやく目を擦りながらなおとふみかがちょっと大きめのリュックを背負って下りてきたのを見て、ホッと安堵の息を吐いた。


「なお、ふみか! こっちだよ~!!」


 手をブンブン振りながらそう呼びかけると、まるで飼い主を見つけたワンコみたいに目を輝かせてこっちに向かって走ってくる。え、ちょっと待って、その勢いはさすがに受け止められないって!!


 まずはドーンとなおが飛びついてきて、なんとかたたらを踏んでそれを受け止める。でもその後にふみかが続いて、しっかりと踏みとどまれなかった私はなおとふみかと一緒に倒れそうになった。でも後ろにいた透歌とはるかが慌てて背中を支えてくれて、なんとか転ばずに済んだ。


「ちょっとアンタ達、久々に友達に会えて嬉しいのはわかるけれど、少し落ち着きなさいよ。自分より背の低い相手に二人がかりで抱きついたら、倒れそうになるのなんて考えなくてもわかるでしょうに」


 透歌が腰に手を当てて、ため息を吐きながらなおとふみかを窘めた。さすがクラスのまとめ役、初対面の子達でも遠慮なく冷静に諭すことができるのはすごいと思う。逆に窘められた二人はちょっと興奮が冷めたのか、きょとんとした表情で透歌を見ると声を合わせて『……誰?』と尋ねた。お互いを紹介するにはちょうどいいタイミングだよね、私は心配してくれたはるかにお礼を言うと3人の方に1歩分歩み寄った。


「なお、ふみか。この子はわたしの東京で初めてできた友達の木村透歌ちゃん、しっかり者で時々厳しい事も言うけど優しい子だよ。透歌、こっちはわたしの幼なじみの岡本なおと高橋ふみか。お互いに仲良くなってくれたら嬉しいな。あと、こっちの子はわたしと同じ事務所所属で同じ寮に住んでる佐々木はるかちゃんだよ」


 私がそれぞれを紹介すると、4人は何故かモジモジと顔を見合わせた後で小さく『よろしく』と言った。なんでそこで照れるかな、特に透歌となおはそういうキャラじゃないでしょうに。


 大丈夫かな、仲良くなれるかなってちょっと不安になったけど、そんな心配はどうやら無用だったみたい。新幹線のホームから駅の中を移動して山手線のホームに到着する頃には、なおは透歌とかしましい感じで話をしてるし、人見知り同士何か通じ合うものがあったのかふみかとはるかもなんだか楽しそうに言葉を交わしていた。


 なんだか共通の友達である私が一人ぽつねんと放置されちゃってるけど、こうして校外の人達との交友関係を広げるのもなおとふみかにとってはいい経験になるんじゃないかな。私が引っ越してからも会えばずっとくっついてきてた二人が離れていくのはちょっと寂しいけど、私の存在が二人の足かせになって成長の邪魔になる事の方がもっと嫌だものね。


「すーちゃん! 透歌ちゃんいい子だね!!」


「……はるかちゃんも、いい人」


 私が物思いに耽っていると、不意に両方の腕になおとふみかがしがみついてくる。背もとっくに抜かれちゃったし腕に当たっている胸もふにゃふにゃと女の子らしく柔らかく成長した二人だけど、やっぱりもうちょっとだけこんな風に一緒に触れ合っていられたらいいなと思う。


「そう言えばまだ聞いてなかったけど、今日ってどこに行くつもりなの?」


「まずは原宿! クレープが美味しいって聞いて、絶対行きたかったの!!」


 透歌の質問に、首だけでちょっと振り返りながら元気いっぱいになおが答えた。その後も東京タワーに上りたいとか浅草寺に行きたいとか、東京の主だった観光スポットが候補に挙げられる。


「原宿って、すみれは大丈夫なの? バレない?」


 最初の目的地が原宿と聞いて、透歌は少し心配そうな表情を浮かべながら尋ねてきた。私も芸能人の端くれ、一応顔が割れない様に伊達メガネと前にも被ったキャスケット帽を用意してある。


 髪型だって普段はあんまりしないツーサイドアップにしてるし、そもそもそんなに知名度もないんだから見破れる人なんていないと思うよ。


「すみれだとは気付かないかもしれないけど、普通に可愛い女の子としてスカウトとかされない? 大丈夫? クレープならわざわざ原宿まで行かなくても、他にも売ってるところがあるでしょ」


「せっかくなおが自分で調べて来たんだから、できるだけ希望に添ってあげたいの。むしろ4人の方がわたしより可愛いんだから、スカウトとかそういう心配は自分達にした方がいいんじゃないの?」


 私がそう言うと、何故か透歌はふいっとはるかの方に視線を向け、それを受け取ったはるかがまるで『処置なし』と言わんばかりに首をふるふると横に振った。そんな二人のやり取りを追求しようとした途端にホームに電車の到着を告げるメロディが鳴る。仕方なくまだ私の両腕に抱きついているなおとふみかの方に視線を向けて、これから来る電車に乗るからねと説明する。


 電車の中はゴールデンウィークの初日だからか程よく空いていて、座れなかったけど5人でまとまって立っていられる場所を確保する事ができた。電車の窓から見える都会の景色にテンションを上げるなおを宥めつつ、電車にガタンゴトンと揺られながら私達は原宿へと向かうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る