61――荷造りと見送り
「それで、そのおっさんはどうなったの?」
「洋子さんはもっとこてんぱんにしてやりたかったって言ってましたけど、あずささんは脅した後に弁護士さんを紹介してそのまま帰したらしいですよ。あんまり追い詰め過ぎたら、どんな行動に出るかわからないからって」
私がそう言うと、ガサガサと部屋のクローゼットを片付けている真帆さんと菜月さんが感心したように『へぇ~』と声を出した。年の功だね、なんて言葉は聞こえていない。あずささんに聞かれたら怒られるからね、真帆さん。
「それよりもふたりとも、なんで明日が引っ越し当日なのに全然荷物が出来てないんですか!? さっきの真帆さんの部屋もそうだったけど、明日引っ越す人の部屋の状態じゃないですよ!!」
私が立ち上がって腰に手を当てながら言うと、春から大学生になるはずの二人はサッと視線をそらした。黙って真帆さんの部屋はキレイに片付けたんだから、これくらいの文句は言っていいと思う。現在は夜の8時で、トラックが来るのは13時間後の明日午前9時、交代で仮眠するぐらいの余裕はあるけどちょっとでもサボったらタイムアウトになりそうな微妙な状況だ。
「違うの、すみれ! 私達もやらなきゃとはずっと思ってたんだよ、でもまだまだ日にちがあると思ってたらいつの間にか今日になってたの!」
何故か誇らしげに胸を張りながらそういう真帆さんに、菜月さんがコクコクと頷く。ダメだこりゃ、多分この人達のルーズさはこのままずっと変わらないんだろうな。ちょうど引っ越しシーズンだから業者さん達も忙しくて、3月も下旬に差し掛かる頃になってしまったのは仕方がないとは思う。私としてもそれだけ一緒にいられる残り時間が増えるのは嬉しいことだったけど、二人の将来が心配だ。仕事の時はちゃんとスケジュール通りに動いて準備も完璧にできるのになぁと、思わず大きくため息をつく。
「菜月さんも真帆さんと一緒で食器とかは持ち込んでないんですか? 荷造りはこの部屋にあるものだけで大丈夫です?」
「うん、マグカップは自分のものだけどこのまま置いといてよ。また落ち着いたらお土産持って、すみれの淹れてくれたお茶を飲みにくるから」
いいセリフに聞こえるけど、聞くのが本日2回目ともなると感動も薄れるものだ。うん、真帆さんからもまったく同じ言葉を聞いたからね、しかもお茶を淹れるのは私って決まっているのがなんだかなぁと思う……まぁ、またいつか二人揃って訪ねて来てくれるなら喜んで淹れるけどね。
手分けして荷造りしていると、舞台の稽古で出掛けていたユミさんが帰ってきた。もちろん猫の手も借りたい真帆さんと菜月さんが逃がす訳もなく、疲れてるはずのユミさんも荷造り隊に強制的に入隊させられた。
もちろんユミさんも手伝うのは吝かではないのだろうし、私と同じようになんでこんなにギリギリまで準備をしてなかったのかと二人を叱っていた。その意見には全面的に同意だし私も便乗して再度抗議したんだけど、暖簾に腕押しでまったく二人が反省した様子はなくて、ユミさんと顔を見合わせて揃って大きくため息をついてしまった。
「それにしてもユミもここに来た時と比べると大きくなったよね、そう言えばどこの高校に受かったんだっけ?」
「……聞いてこないから誰も興味がないんだと思ってた」
菜月さんがふと思い出したように言うと、ユミさんが拗ねた風に言った。そうそう、出会った時に中学1年生だったユミさんは、今年高校受験だったのだ。冬に廊下ですれ違った時とかご飯の時に応援の声は掛けてたんだけど、このところ忙しくて全然顔を合わせる機会がなかったんだよね。
「ユミさん合格したんですね、おめでとうございます! 忙しくてお祝いの言葉も言えてなくてごめんなさい」
「すみれが忙しかったのは知ってるから、謝らなくてもいいよ。それにすみれは色々励ましてくれたり、家事を肩代わりしてくれたりしてたでしょ」
『それに比べてこの二人は……』と憤るユミさんに、『私達も受験生だったもーん』と開き直る二人。微笑ましいじゃれ合いだけど、こういうやり取りがもう頻繁に見れなくなるのは寂しいなと思う。
作業しながら聞いてみると、ユミさんが入る学校って私が中学から通う予定になっている学校の高等部なんだって。芸能活動にも色々とあれこれ配慮してくれる、という部分に惹かれて志望したというのも一緒だ。どんな学校なんだろうとちょっとだけ不安に思ってたんだけど、ユミさんが先に入学して見てきてくれるって言ってくれたのは正直すごくありがたい。ユミさんが学校生活に慣れた頃に色々と話を聞かせてもらおうと、心の予定帳に忘れないように書き込んでおく。
それにしても真帆さんの部屋もそうだったけど、菜月さんの部屋も服で溢れかえっている。色々な服を着る仕事柄だからある意味仕方がないけれど、そもそもが二人揃って着道楽なんだよね。スタイリストさん達とも仲が良いから、安く可愛い服とか譲ってもらった結果がこの大量にある衣装達らしい。
「とりあえずさっきと同じ感じで分けていきましょうか、こっちのダンボールに引越し先に持っていく服を入れて、そっちにはもう着ない服を入れていきましょう」
前世で断捨離できない主婦の人に片付けさせる方法としてテレビで紹介されていた方法を提案すると、菜月さんはうーんと唸りながらも服を振り分けていく。さっき真帆さんの部屋の片付けの時も同じことをさせたんだけど、案外彼女にはこのやり方が向いてたみたいで本当にお気に入りの服達以外はさっさと処分の方に振り分けていた。それでもお気に入りの服の数は結構あったけどね。顔なじみの古着屋さんに持っていくんだとか、餞別にと私も3着ぐらい真帆さんセレクトの服をもらったんだけど、サイズが全然合わない。まぁ高校3年生とクラスで一番体が小さい小学5年生じゃ差があって当然なんだけどね、それでもなんだかモヤッとする。
ユミさんの体に服を合わせてキャッキャと楽しそうにしているサボり魔二人は置いておいて、私はせっせと荷造り済みのダンボールを量産しては中身が何なのかをマジックで書いていく。
30分ぐらい遊んでいた真帆さんと菜月さん、トルソー扱いだったユミさんも再び作業に戻る。他愛もない会話をしながらのんびり作業をしていると、いつの間にか日付がそろそろ変わる頃に差し掛かっていた。唐突に菜月さんが『お腹すいた!』とダダをこね始めたので、私が夜食を作るために作業から一時抜けてキッチンへと向かう。
袋ラーメンでいいかな? ただ茹でて作るだけだと寂しいので、キャベツとモヤシとソーセージを適当に切って塩コショウで炒めたものを載せる。残念ながら私の胃袋だと一人前はこの時間に食べきれないので、3人の分からちょっとずつ分けてもらった。
3人を呼んでみんなでちゅるちゅるとラーメンをすすりながら、しばしの休憩。夜食だから簡単に作れるものを用意したけれど、みんなに美味しい美味しいと言ってもらえるとなんだか嬉しい。全員が食べ終わった後に食器を洗って、満足そうにお腹を撫でている真帆さん達に紅茶を出した。
「そう言えばすみれ、前に言ってた映画の話があったじゃない。見せてもらった資料に書いてた内容的にはコメディっぽい恋愛映画だったし初挑戦の題材としてはいい感じだけど、受けるの?」
菜月さんが言っているのは、以前オファーを受けた社内恋愛を描いた映画である。変わっているのは小学生の私がOL役で、なんとヒロインの役どころだというところだ。前世でもオフィスで働いた経験はあるから演技自体はできる自信はあるけど、恋愛映画という部分に引っかかりがあって返事を先延ばしにしていたのだ。
春までに決めて欲しいという話だったのでそろそろ返事をしなきゃいけなくて、ついこの間洋子さんを通じてお返事させてもらった。
「受ける事にしました、これからもこういうお仕事のオファーが来るかもしれませんし。洋子さんからキスシーンとか直接的な表現はさせないって制作側に伝えてもらってて、それでOKが出たら正式に決定の予定です」
「大人の男の人とすみれがそんな事したら、犯罪にしか見えないもんね。その辺りは制作側もちゃんと考えてるでしょ、やり過ぎたら微笑ましいのも不快感に変わるから」
業界の人間らしく真帆さんと菜月さんが意見を言いながら頷き合っているが、私としても男の人とそういう事をするのはまだ抵抗があるので、そういうシーンはできるだけ避けるつもりだ。私が前世の男の意識を引きずっているなんて、誰も想像すらしてないだろうからね。誰にも打ち明けるつもりもないし、観客の感情を理由にして避けられるならその方が都合がいい。
「ユミはまた新しい舞台があるんだよね、もしよかったらチケット送ってきてよ。行けたら行くからさ」
「そう言って真帆さんも菜月さんも、見に来たの数回じゃん。チケット代もタダじゃないんだから、確実に観に来れそうならそっちから連絡して来てよ」
不機嫌そうに言うユミさんだけど、言っている事は尤もだと思う。前にユミさんから聞いた話だと舞台劇というのは拘束は月単位でされるのに、ギャラはそこそこという非常に割に合わない仕事らしい。知り合いに配るチケットが用意されている場合もあれば、自腹で前売り券を買わなきゃいけなかったりでマチマチなんだとか。自分のお財布からチケットを買って渡したのに、来てもらえなかったらそりゃ気分が悪くなるのは当たり前だもんね。
ただ舞台劇はすごく演技の勉強になるらしくて、他にも演者さんスタッフさん問わずに人脈はどんどん増えるし、役者とスタッフが協力し合ってひとつの作品を作る一体感と達成感がものすごくクセになるんだって。私も以前から一度参加しないかとユミさんに誘われてるんだけど、洋子さんにストップを掛けられている。稽古に参加する為のまとまった時間が取れないのと、もっと知名度が上がってからの方がより旨味がある仕事を持ってこれるからって。
私としてもこの1年で平均株価がガクッと下がってバブルの崩壊がいよいよ肌で感じられるようになってきたから、できれば実入りのいい仕事の方を優先したい。何しろ中学と高校、できれば大学までの学費と生活費が掛かってるのだから、そこは妥協できないのだ。ある程度役者としての自分の立ち位置が定まってからでも参加するのは遅くないと思っている。
そんな事を考えているうちに、先程の険悪な雰囲気はどこに行ったのか3人は楽しそうに別の話をしていた。時々ハラハラするけど、言いたいことを言い合えるこういう関係性って羨ましいなと思う。私はどうしても前世の記憶だったり、それが男性としてのものだったりと秘密が多くて、どうしても彼女達から一歩引いてしまっている自覚があるから。
なんとなく後ろめたい気持ちになりながら夜食タイムを終えると作業を再開、しばらくしたら昼過ぎに仕事に出ていった愛さんが帰ってきた。酔っ払ってたんだけど本人曰く『引っ越しの達人』だと豪語して手伝ってくれたんだけど、それは誇張でも何でもなく真実だったみたいで大人三人分ぐらいの働きを見せてあっという間に荷造りを終わらせてしまった。
おかげで順番にお風呂に入って汚れを落とし、午前2時ぐらいには布団に入る事ができた。午前中には引っ越し業者さんが来て荷物を運び出し、真帆さんと菜月さんの二人は電車で新居へと移動する。やっぱり寂しいなと思いつつ寝返りを打つとほぼ1日中バタバタと動き回りながら手伝っていたためか、すぐに眠気に襲われて夢の中へと旅立ってしまった。
翌日、業者の人が荷物とトラックを何度も往復して荷物を積み込んで、忘れ物もなく無事トラックが出発したのを見守った後、真帆さんと菜月さんはまるでどこかにちょっとだけ出掛けてくるとでも言うように、軽い挨拶をしてこの寮を去った。まぁルームシェアして二人暮らしするらしいので、今は寂しさよりも新生活に向けてのワクワク感の方が勝ってるのかもしれない。大学で新しく友達も出来るだろうし、明るい二人にとってはホームシックなんて縁遠い言葉なのだろうね。
寂しい気持ちで歩いていく後ろ姿を見送っていると、愛さんがパンと気持ちを切り替えるように手を打ち鳴らした。
「さて、賑やかな二人がいなくなったところだけど、前に話した新人の子が入ってくるから寂しがってる暇なんてないわよ。ユミとすみれには先輩として、その子の面倒を見てもらわないといけないんだから」
寝耳に水の話に私が驚いていると、隣のユミさんは何か思い出したように両手を合わせた。
「ああ、そう言えばトヨさんからこの間そんな話を言われたような……ほら、すみれが大阪に行ってていなかった時だよ」
新しく寮に入る子は私と同じく春から小学6年生の女の子で、あずささんが知人から紹介されたらしい。私の時と同じように面接して演技も見せてもらった上で面倒を見ると決めたらしいので、素質はあるんじゃないかというのが愛さんの談。
「多分一番接する時間が長くなるのはすみれになると思うので、お世話してあげてね」
同い年の仲間が出来るのは嬉しいけど、とりあえずちゃんと報連相はしてほしい。しかもその子が来るのは3日後の予定らしい、部屋の掃除とか準備しなきゃいけない事があるんじゃないの? とりあえず何か私がしないといけない事があるのかどうか、これからの段取りを確認するためにワタワタと慌てながらトヨさんの元に急いだ。
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