60――怪しい男の正体


 野球ドラマの撮影は終了までトントン拍子に進んだ。チームメイト役の子達との間には最初は壁があったんだけど、局の人達が地元の少年野球チームとの練習試合を組んでくれていて、その時にグッと距離が縮まった様な気がする。やっぱり一緒になにかに取り組むのは、仲良くなるための近道だよね。


 もちろんこっちは素人同然だから、本気で野球をやっている子達に勝てる訳がない。相手チームは3年生と4年生を中心にした上に手加減もしてくれていたみたいで、そこまで差が開く事もなく最後まで競った試合展開になった。残念ながら1点差を埋められずに負けちゃったんだけどね、ポンコツな急造ピッチャーの私としては頑張った方だと思う。


 そこで深めた絆をうまくドラマの中でも表現できたんじゃないかな、監督もいいドラマが撮れたと最後の挨拶で満足そうに言っていたから。


 ふみかからもらった情報を気にしていた洋子さんは、撮影している間に何度か私の地元へと足を運んでいたみたい。現場を離れる時にはちゃんと前もって言ってくれるし、複数のスタッフさんに私の事を頼んでいくので特に困る事はなかった。この時代は平成末期に比べたらテレビ業界もまだまだ女性スタッフって少ないんだけど、洋子さんは必ず女性のスタッフさんを私の身近に配置してから席を外すんだよね。私は男の人でも大丈夫だよって言ったんだけど『何があるかわからないから』と絶対に譲ってくれないところから、どれだけ大事に思ってくれているのかがすごく伝わってきた。


 そんなこんなで撮影が終わって、洋子さんに一番多く私の世話を頼まれていたともくんのマネージャーさんとか、野球を教えてくれた相田さんと東さんとか。もちろん監督さんやスタッフの皆さんにも『お世話になりました!』と元気よくお礼を言って東京に戻った。ともくんは他の仕事があるらしくて、残念ながら帰る日程が私とは違うらしい。私の事を彼女だと言いふらしていたらしいゆっくんはちゃんとシメてくれるそうなので、彼のお仕置きはともくんにお任せする事にした。まだこちらに実害も出てないしね、同じ事務所で身内の人に任せるよ。


 帰りの新幹線の中は空席が目立っていて、私と洋子さん以外のお客さんは片手で足りる程しかいなかった。それが時間帯によるものなのか、それともこれまでは指定席だったのに今回めずらしく洋子さんがグリーン車を取ったからなのかはわからないけれど。


「予想通りこの時間のグリーン車なら、内緒話もしやすいわね」


 荷物棚にカバンを入れながらそう言う洋子さんを見て、狙ってこの状況を作り出したのだという事がわかる。離れた席にしか乗客がいないもんね、これなら多分小声で話せば誰も私達の話に聞き耳を立てられる人はいないだろう。


 普通よりちょっとだけ広い座席に座って、電車が動き出すのを待つ。発車ベルがホームに響いて、ゆるゆると新幹線が動き出してから洋子さんは口を開いた。


「結論から言っちゃうと、すみれの事を嗅ぎ回ってたのは週刊誌の記者だったわ」


 私の話を聞いた次の日には地元に行ってふみかのおばさんと顔を合わせて話を聞いた洋子さん、ふみかのおばさんも地元だと顔が広い人だから既に情報を集めてくれていたみたいで、話を聞かれた人が尋ねてきた男から受け取ったという名刺を手に入れてくれていた。名刺に書かれていたのはフリーライターという文字と名前、あとは連絡先の電話番号だけだった。


 私が転生する前の平成末期ならプライバシー保護を考えてそういう名刺を作る人も多かったけど、個人情報に対して意識がガバガバだったこの時代にこういう簡素な名刺を作るのはまともな社会人なら考えにくいのではないだろうか。


 もしわざとこういう名刺を配ってるのだとしたら、拠点を知られない様に住所を書いていないとか、そういう悪い事を考える人なのではないかという想像しかできない。


 その自称記者の人が聞いて回っていたのは、私と姉との確執だったらしい。確執といっても、姉が一方的に私の事を嫌っているだけなんだけどね。私としてはもう住む場所も離れているし、あっちが接触してこなければ自分からは積極的に関わるつもりはない。


 別に隠してる訳でもないけど、週刊誌に載せて不特定多数の人に言いふらす事でもない。特に姉がこれまでやらかした事が知れ渡るという事は、これから姉が生きていく上でそういう事をする人間だというレッテルを一方的に貼って貶めるにも等しい行為だ。私は姉の事を面倒くさい人だとは思っているけれど、そんな風に赤の他人の視線に晒して貶めたいと思うほどは嫌ってもいない。


 『そんな記事は世に出ない様にしてほしい』と私が洋子さんに言うと、彼女は小さくため息をついた。


「すみれが被害者って記事ならそれを逆手に取ったりして利用価値があるし、私としても事務所としても動く気はあんまりないんだけどね。今回は動かざるを得ない理由ができたのよ」


 言葉の意味が理解できなくて、私は小首を傾げる。姉のためには動くつもりはないけれど、私のためならば動かざるを得ないという主張は理解できた。洋子さんは色々な人に話を聞いていくうちに、内容が変わっている事に気付いたらしい。姉がやった事は私がやった事になっていて、被害者と加害者がまるっと入れ替わっていたのだ。いつだったか私が漠然と懸念していた事が、急に具体性を持って目の前に表れた様な気がする。


 洋子さんは明らかに意図的に話が捻じ曲げられてると考え、こういう事をしそうな人に心当たりがないかをふみかのおばさんに尋ねたらしい。そして返ってきた心当たりを片っ端から尋ねて、カマをかけたそうだ。『弊社の所属タレントについて週刊誌の記者に事実と異なる話をしたそうですね、こちらとしては法的な手段に訴える事も検討しています』と簡単に言えばそんな感じの警告を告げると、あっさりと謝罪を口にしたらしい。


「まぁ100%嘘でもないけどね、本当に記事が出てすみれのイメージに傷がついたらこちらとしては大損だもの。その時は容赦なく懇意の弁護士先生にお願いして徹底的にやるつもりよ」


「私の商品としての価値が下がるから?」


「そうね、嫌な言い方だけどそういう事。私もあずささんも、もちろん他の事務所のスタッフも、すみれの事を大事に思ってるけど、それとこれとは別なの。芸能事務所に所属している以上すみれ個人としてだけじゃなくて、商品である松田すみれとして私達は接しなきゃいけない」


 普通の小学生だとこういう言い方をされると傷つくのかもしれないけど、私としては当然の話だなとしか思えないのでこくりと頷いた。事務所にとっての私は、例えるならスーパーに並んでいる商品と同じだもの。傷がついていたり腐りかけの商品は誰も買ってはくれないし、そんな商品はスーパーの店頭から排除せざるを得なくなる。スーパーの経営者であるあずささんや現場責任者の洋子さんが、商品の品質をしっかり管理するのは当たり前だよね。だって売れずに処分したら、その分がロスとなってスーパーの売上に響くんだから。


「私と姉の立場を逆転させて話を流した人の名前って、今わかりますか?」


 私が尋ねると洋子さんは何人かの名字を口にした、ひとつは多分あの家の人達だなと顔が頭に浮かぶけど、他の人達は全然馴染みがなかった。心当たりがあるのは、姉と同学年で比較的親しくしていた娘さんがいる家なんだよね。もしかしたら姉がそういう風に話していたのか、それとも自発的に入れ替えたのかはわからないけど、自分が間違った話を他人に流したのだから責任は取ってもらわないと困る。


 馴染みのない人達は多分新しく越してきた人達じゃないかな、それでいろんな人がする噂が混ざって結果的に私と姉の立場が入れ替わった様な気がする。それでも本当の事かどうかわからない、他人から聞きかじった話を無責任に話したのだからこの人達の責任もちゃんと追求してほしい。あくまで私の予想でしかないから本当のところはわからないし、対応は弁護士さんとかその道のプロに任せるけどね。


「いくら地元の人に無責任な話をするなって警告したところで、記者の方をなんとかしないと意味がないでしょ? だから私、あずささんの許可を取ってから電話してみたのよ」


 洋子さんはふつふつと湧き出る怒りを抑えている様な声で、やりとりを話してくれた。もちろん何の情報も準備も無く相手と接触するのは愚かしい事だと洋子さんもわかっているので、色んなツテを使って相手の事を聞いて回ったらしい。それによると記者の名前は井上孝之いのうえたかゆき、フリーの記者らしいが現在は『週刊現実』という大手が出している週刊誌と契約しているそうだ。


 あまり素行がよい男ではなく、常に借金を抱えて金に困る生活を送っているらしい。それだけでも近づきたくない相手だが、以前に取材対象を脅迫してお金を脅し取ったとして前科もあるんだとか。そんな相手と接触して洋子さんが嫌な思いをしなかったのかと心配していると、更にとんでもない話が飛び出してきた。


「そいつ、私に向かってなんて言ったと思う? 『ちょっと知名度が上がってきたポッと出の子役なんか記事にしたって俺の評価は上がらないから、500万で記事を載せないでおいてやるよ』だって」


「……それって脅迫?」


「払えとかさもないとどうこうって言葉は出てないから脅迫に問えるのかどうかは弁護士さんに聞かないとわからないけど、裏を返せば払わないと載せるぞって言ってるのと同じだから、私は脅迫だと思うんだけどね。前に同じ事やって前科がついたんだからやめればいいのに、犯罪を隠すために色々と小賢しい事を考えたんでしょ」


 1回警察沙汰になっても同じ事をやらかす人間の心理なんてわからないけど、この記者は潰しておいた方がいいと思う。洋子さんも同意見の様で、これからどうやって井上記者に痛い目を見せるのか、その段取りを教えてくれた。そこまで徹底的にやるんだな、とちょっと背筋がゾクリと冷たくなる。


 洋子さんは頼りない女性マネージャーを装って『自分だけでは決められないから、上司に相談したい』と井上には告げて、裏で手を回す時間を稼いだらしい。今日関西での撮影が終わるのは最初からわかっていたので、明日の夕方に記者とのオハナシアイの場をセッティングしたそうだ。


 洋子さんのツテでは届かないところでも、大女優のあずささんの人脈なら軽々と準備が整ったみたいで、迎え撃つ体制は既に整えているんだとか。でもそんな人が来るところに行かなきゃいけないのかと思うと、ちょっと気が重い。小さくため息をつくと、洋子さんにはそんな私の気持ちなんてお見通しだったみたいで小さく笑みを浮かべた。


「あら、残念だけどすみれは参加しちゃダメよ」


「……えっ!? でも、わたしの事なのに洋子さんやあずささんに任せっきりなのは良くないんじゃ」


「相手はお金を脅し取る様などうしようもない輩よ、もしも私達がやり込めた後ですみれ自身に手が伸びたらどうするの。誘拐されたり、痛い思いしたり、下手したら殺されたり……イヤでしょ、そういうの」


 メッ、と子供を叱る様に言う洋子さんだけど、言ってる内容は随分と物騒だ。でも確かに追い詰められたら損得抜きにして、それくらいの暴挙に出る人もいるかもしれない。ここは素直に従っておこうと、こくりと頷いた。


 私が納得したのを見て、明日は学校が終わったら寄り道せずに寮に帰って引きこもる様に指示された。洋子さんやあずささんにも何事もなく、話し合いが終わればいいな。大人に守られるだけで何もできない私は、ただそう願うことしかできなかった。

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