59――野球教室と不審な情報


「どう、洋子さん。似合ってる?」


 ピッタリサイズがなくて少しだけブカっとしているユニフォームを身につけて聞くと、洋子さんはしつこいぐらい何度も頷いてくれた。


「いいわ、すみれ。どこからどう見てもチームの紅一点、チームメイトから好意を寄せられるマドンナだわ。写真撮りましょ、写真!」


 自分から感想を聞いておいてなんだけど、なんだか訳のわからない事を言いながらテンションをアップさせた洋子さんがパシャパシャ写真を撮影していく。苦笑しながらおざなりにポーズなんかを何回かとってあげたけど、フィルムを交換し始めたところでひとまず撮影会は無理やり終了させた。洋子さんの言う通りにしてるとキリがないからね。


 今年はとある在阪放送局が創立何十周年にあたる年らしくて、その記念ドラマにお呼ばれしたのでロケ地である兵庫県のとあるグラウンドに来ていた。1時間枠なのでそんなに濃厚な話ではなく、弱小リトルリーグのチームの奮闘を描いたドラマで、私はそのチームに所属するピッチャー役だったりする。


 でも正直なところ女の子として生まれ変わってからは野球なんてやったことないし、むしろ前世でも野球して遊んだ事なんて数える程しかない。一応買ってもらったグローブは、ずっとピカピカだったからね。そこからしても前世の私がどれだけボールに触らなかったがわかるだろう。


 オーディション無しでプロデューサーさんに指名されての参加なので、初めて挨拶した時に『ちょっとピッチャーの動きやってみて』って言われてなんとなくこうかなと思う感じで動いてみたんだけど、私の動きがよっぽどひどかったのだろう。キャッチャー役の子と一緒に、撮影と同時に一週間の特訓を受ける事になった。


 私とキャッチャー役の子だけ東京からの出張組で、他は関西の劇団に所属している子達なので平日の夕方までは学校に通っている。だから午前中に野球の練習をして、彼らが来るまでは打ち合わせとか休憩とか自由時間が確保される予定だから結構楽な仕事だなというのが今のところの私の感想だ。


「すみれ、そっちの準備はどうだ?」


 ガチャガチャ、と金属音を響かせて現れたのはキャッチャー役の男の子である『飯塚智哉いいづかともや』だ。ダニーズのジュニアに所属していて、初日に挨拶をした時に私の事を『ああ、祐太の彼女か』とか言い出した時は『こいつとは拳で語り合わなければいけないかもしれない』と思ったりもしたけど、話し合った結果どうやら勘違いだと解ってくれたみたいできちんと和解している。まだ会って2日目だけどすみれ、ともくんと呼び合う仲だ。


 というかね、これに関してはゆっくんという諸悪の根源がいるので、東京に帰ったら一度叱らなければと思っている。ともくんに信じてもらうためにゆっくんの家に電話を掛けて事情聴取したところ、仲間内で彼女がいないのが自分だけだったので私が彼女だと嘘をついて見栄を張っただけという情けない供述だった。どこからそういう嘘が世の中に本当の話として出回るかわからないのだから、本当にやめて欲しい。洋子さんも怒っていたので、多分うちからダニーズさんに事務所間でも抗議がいくことだろう。ゆっくんには猛省を促したい、可愛い顔してるんだから普通にしてたら彼女なんてすぐにできるだろうにね。


「キャッチャーの防具って重そうだね、ともくん大丈夫?」


「何も着けないよりはそりゃ重いけど、想像してた程じゃなかったな」


 リトルリーグは少年野球と言えども使うボールは硬球だしガッチリ防御する必要がありそうだけど、防具が重すぎたら動きにくいし強度と重量のバランスをうまく取ってるっていう事なのかな? そんな事を考えながらともくんのプロテクターを触っていると、どうやらコーチの人達が到着したらしい。県内の大学にある野球部からピッチャーとキャッチャーそれぞれ担当の人が来てくれるって聞いたけど、どんな人なんだろう。


 スタッフさんに連れてこられた大学生ふたりは真面目そうで、見た感じチャラチャラしたところは一切ない。自己紹介を聞くとピッチャー担当は相田さん、キャッチャー担当は東さんというらしく、同じ大学の野球部でバッテリーを組んでいるらしい。


 何はともあれこれからコーチしてもらうのだから、私達も自己紹介してよろしくお願いしますと挨拶をする。野球ってやっぱり上下関係が厳しく躾けられるからか、私達がちゃんと挨拶をしたのが功を奏したみたいで、好印象を持ってもらえたようだ。


「おお、すみれちゃんは随分体が柔らかいんだね。新体操とかバレエとかそういうの習ってたの?」


 二組に分かれて準備体操や柔軟をしていると、私の背中を押してくれていた相田さんが驚いた様に言った。


「子供の頃からお風呂上がりに柔軟体操を続けてたら、いつの間にか柔らかくなっちゃってました」


 苦笑しながら答えると、相田さんは感心した様な表情を浮かべた。子供の頃って飽きっぽくてずっと何かを続けるのって難しいもんね、私も前世ではそうだったし。


 今では足を180度まで広げて胸を床にペタンと付けられる様になっていて、私のちょっとした自慢だったりする。前世のスポーツテストでみんなの前で立位体前屈をやらされて、床どころか膝ぐらいまでしか体が曲がらなくてみんなに笑われていた情けない私はもういないのだ。


 柔軟を終えると、ボールに慣れるために相田さんと軽くキャッチボールをする。さすがに手加減されて山なりに緩く投げられたボールぐらいは、落とさずにグローブで受け取る事ができる。ただ私の手が小さいから、用意されていたグローブだと大きくてすぐに脱げそうになるのが難点だ。


 ちらりとともくんの方を見ると、彼はせっかく装着した防具を外して私と同じ様にキャッチボールをしていた。そりゃ準備運動とか柔軟にはあの防具は邪魔だもんね、私に対してよりも強めに投げられている球も危なげなく捕球している様は、さすが男の子と言いたくなった。ちなみに男の子時代の私にはあんな風にかっこよく捕球する事はできなかったんだけどね、人それぞれだよ。


 キャッチボールで軽く肩を温めると、いよいよピッチングの練習になった。映像を編集する人の手間が増えるけど、ぶっちゃけてしまうとボールのコントロールとかそういうのは後でなんとでもできる。大事なのは見栄えだとディレクターさんが言っていた。最低限正しいピッチングフォームが身につけばそれでよし、欲を言えばある程度思ったところに投げられるコントロールが付けば嬉しいと相田さんは指示されているらしいので、それを目標に頑張る事になった。


 とりあえず相田さん相手に10球程投げ込むと、足を上げすぎない様にとか顎をもっと引くようにとか細かなアドバイスをもらう。それを2~3度繰り返したところで、相田さんがこちらに近づいてきた。


「すみれちゃんは細っこいのに下半身は安定してるけど、上半身がブレるんだね。背中に一本、棒が背筋に沿って添えられていると思って投げると安定するよ。あと、せっかくだからキャッチャー相手に本番と同じ環境で投げてみよう。慣れも大事だからね」


 こくりと頷くと、相田さんはともくんを指導している東さんに近づいて『そっちの調子はどうだー?』と進捗を聞き始めた。ポツンとひとりで立ってるのも寂しいので、タオルで汗を拭っているともくんに近寄る。


「そっちの調子はどうだ? あんまり疲れてないみたいだけど、ちゃんと真面目にやってるのか?」


「ちゃんとやってるよ、ボールを投げてダメなところを教えてもらって直すのを繰り返してるだけだから、そんなにしんどくないの」


 言われた言葉だけ聞くと馬鹿にされているみたいな感じだけど、声にからかっている感じの色がついていたので私も普通に答えた。立って投げるピッチャーとは違って、しゃがみ座りでボールを捕るキャッチャーは構えにも色々細かな注意があるらしくて、ともくんの愚痴混じりの説明を聞きつつ『大変だったね』『私だったら出来ないよそんなの、ともくんはすごいね』とフォローする。すると少しは効果があったのか、お疲れ顔だったともくんの表情にやる気が戻ってきた様に見えた。


 ドラマでは相棒役だし、東京から来た唯一の仲間なのだからフォローして支えてあげなくては。私の方が絶対楽なポジションだしね、それくらいの労力でドラマの撮影がうまくいくなら軽いものだ。


 その後はお昼ごはんまでともくん相手にピッチング練習して、なんとかミットが構えているところを狙って投げられる様になってきた。ただ力がないせいか、どうしてもゆっくりとした山なりボールになってカッコいい感じにならないのが悔しい。


「すみれちゃんはボールを放すポイントが少し早いね、だから山なりのボールになる。あと腕をしっかりと振って投げてごらん、きっとまっすぐなボールが投げられる様になるから」


 相田さんにアドバイスをもらって、3球に1球ぐらいは少し速めの球がともくんのミットに届けられる様になってきた。確かな手応えを感じて午前中の練習を終えた私はしっかりと手洗いとうがいをして、スタッフさん達が用意してくれた仕出し弁当を受け取って休憩室のテーブルについた。周りは大人ばっかりだからなのか、ともくんが私と同じテーブルに座って、続いて相田さんと東さんも私達のところに近づいてきた。


「すみれちゃん、俺らも一緒に食べていいかな。なんか知らない人ばっかりで落ち着かないっていうかさ」


 照れた様に言う大学生ふたりに、私は喜んで対面の席を勧めた。周りはスタッフさん達ばっかりで落ち着かないっていうのもあるんだろうけど、多分今後の指導のために私達とコミュニケーションを取ってくれてるんだと思うんだよね。指導者側が自分の言葉を歪みなく伝えるためには、それぞれの立場が許すやり方で信頼度をあげるのが一番なんだろうし。


「でも二人共、東京からわざわざ1週間も学校休んで来てるんだろ? 特に智哉くんは6年生だから今月卒業だし、できれば学校に行きたいんじゃないの?」


「いや、俺は普通に公立の中学に行きますからほとんど周りのメンバー変わらないんですよ。だから特に無理に行きたいとは思ってないですね……すみれは?」


 東さんがお弁当の唐揚げをもぐもぐと咀嚼して飲み込んでからそう尋ねると、ともくんは特に表情を変えずに答えてから私に話を振ってきた。


「大事な友達と会いたいっていうのはあるけど、今はあんまり行きたくないかな。せめて6年生が卒業するまでは」


「すみれちゃんは5年生だっけ、6年生に嫌いな奴でもいるのか? もしイジメられたりしたなら、お兄さんがやり返しに行ってあげるけど」


 私がともくんに答えると、それを聞いていた相田さんが冗談めかしてそんな事を言った。ただ残念ながらイジメではなくて、感情的には正反対のものを向けられていたりする。


 あのチョコレートのCMが公開されてから、何が彼らの琴線に触れたのかはわからないけれど、6年生の男子から呼び出されて告白される事が増えた。2月の下旬から今日までで片手じゃ足りず、ギリギリ両手に収まっている人数である事を考えると結構なハイペースだと思う。


 初回はなんで呼び出されたのかわからなくてひとりで校舎裏まで行ったんだけど、後から透歌にその事を相談したら『危ないから次は私も連れて行きなさい』と真剣な表情で叱られてしまった。そのおかげなのか、告白をお断りしても特に何かされる事もなく穏便に収まっている。それでも誰かが自分を想ってくれている気持ちを自らの手で断ち切るというのは、精神的に非常にしんどいものだ。できればもう呼び出さないでほしいし、告白もしないで欲しいと切実に願っている。


 私がもうちょっとオブラートに包んでそういう気持ちを話すと、相田さんと東さんは『確かにあのCMのすみれちゃん可愛いからな』『俺も同じ学校だったら告白組に入ってたかもしれねぇ』なんて冗談を言っていたが、ともくんは真面目な顔でこちらを見ていた。


「すみれはなんていうか、外見は高嶺の花なのに態度が気安いせいで『もしかしたら彼女になってもらえるかもしれない』って思われてるんじゃないか? すみれにその気がないなら、勘違いさせない様に男子との距離をもうちょっとしっかり取った方がいいぞ」


 少なくとも会ったその日にニックネームで呼ぶのは完全にアウトだ、と言われてショックを受ける。そうか、自分の中ではどうしても小学生男子はかなり年下の子に思えるから、親戚の子でも構っている様な気安さで接してたのが、逆に親しみをアップさせていたのかと気付く。


「じゃあともくんも智哉くん、って名前で呼んだ方がいい?」


 私が小首を傾げながら聞くと、ともくんは照れた様にちょっとだけ顔を私の方から逸すと『あだ名のままでいいよ』とぶっきらぼうに言った。それから何かを誤魔化すかの様にアイドル事務所流のファンとの接し方を色々教えてもらって、すごく勉強になった。必要以上に親しくならず、それでいて突き放す様な距離を取らないというのは加減がすごく難しそうだなぁと思う。私は別に男子の気持ちを弄びたい訳じゃないし、今のところ男性とそういう関係になりたいとも思っていない。つまり恋愛ごとには興味がないので、煩わされたくないのだ。そういうトラブルを回避する為に、努力して付かず離れずのアイドル流異性との接し方をしっかりと身に付けなくちゃいけないなと決意を固めた。


 そんな会話をしていた私達の横で、相田さんと東さんが『俺も小学生のうちに可愛い女子と仲良くしておけばよかった』『無理だろ、俺達と一緒に毎日野球三昧だったんだから』と悲しげに語っていた事には全く気付かなかったのは言うまでもない。




「……うん、ありがとう。久しぶりに声が聞けて嬉しかったよ、ふみかも元気でね。うん、またね」


 ガチャン、と受話器をフックに戻して、小さくため息をつく。午後からの撮影もなんとかやり過ごしてホテルで夕食やお風呂を済ませた後、私は同室の洋子さんに一言断ってから公衆電話コーナーへと向かった。前世の平成末期ではその姿を探す方が難しくなった公衆電話だけど、まだ現世では携帯電話も普及していないからあちらこちらで目にする事ができる。


 ここの公衆電話コーナーは5台程並んでいるので、少しなら長電話しても大丈夫そうだ。ただもうすぐ夜も更けるから、相手の家族に迷惑にならない様に気をつけないといけないけど。


 そんな事を考えながらなおとふみかと電話でそれぞれ30分ぐらい、お互いの近況報告とか地元の話を楽しんで電話を切った。まだ電話料金が距離で計算される時代だから、東京から掛けるよりも割安で済んだのはよかったと思う。最近はテレビ局の人とか企業の人からテレホンカードをもらったりするので、ここぞとばかりになおやふみか、両親との通話にありがたく使わせてもらっている。


 どうせ遠い未来ではテレホンカードなんて額面通りの価値でしかなくなるのだから、使ってしまって少しでもなおやふみかの声を聞ける方が有効な使い方なんじゃないかなと思ったり。


 それはさておき、さっきふみかに聞いた事がなんとなく頭の片隅にねっとりとへばりついていて、私をモヤモヤとした気持ちにさせていた。


「あ、おかえりー。どうだった、なおちゃんとふみかちゃん。元気にしてた?」


 私が自分の部屋に戻ると、洋子さんがテーブルの上で資料とにらめっこしながら声を掛けてくれた。そんな洋子さんに『ただいま』と返事をすると、どことなく元気がない声になってしまったのか、訝しげに洋子さんがこちらを見た。


「どうしたの、ふたりと喧嘩でもした?」


「ううん、なおとふみかとは相変わらず仲良しだよ。そうじゃなくて、さっきふみかに聞いたんだけどね」


 ふみかが言っていたのは、どうも最近我が家の事をあちこちで探っている変な男の人達がいるらしい。情報元はふみかのおばさんらしいけど、顔も見たことがないし、喋り方に地元の訛りがなく標準語に近かったという事でよそ者で間違いないだろうと言っていた。小さな町なので、近所の人達はほとんどが顔見知りだ。私は特に探られても困る情報はないけど、姉の事が変にネジ曲がって私がやった事の様に噂が広げられたりしても困る。想像を飛躍させすぎかもしれないけど、万が一があってあずささんや事務所の人達に迷惑を掛けてしまったら大変だ。


「ふみかちゃんのお母さんか、前に会った時に電話番号を交換してるから、ちょっと今から電話で軽く話を聞いてくるわ。特に何もなければいいんだし、対応が後手後手に回るのが一番厄介だからね」


 話を聞いた洋子さんがそう言って立ち上がると、軽い足取りで部屋を出ていく。それから私が部屋で学校から出されている課題をこなしていると、15分程で洋子さんが戻ってきた。


「明日の午前中なんだけど、すみれを現場まで送っていってスタッフさんに挨拶した後、ちょっとすみれの地元まで行ってくるわ。ああ、心配しなくても念の為よ、念の為」


「ごめんね、洋子さん。お手間ばっかりかけて」


「何言ってるのよ、私はすみれのマネージャーなんだから。すみれは手が掛からないから、むしろもっと頼って欲しいって思ってるのよ」


 洋子さんは私の頭を少し強めに撫でてから、先程座っていたテーブルの前へと歩いていく。『洋子さんに任せていれば安心だ』って本当にそう心の底から思っているのに、何故かこの日は胸の中にある小さな不安がなかなか姿を消してくれなかった。 

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