58――役者として生きていくための覚悟
冬の東尋坊は寒い、ひどく冷たい風が体に容赦なく吹き付けてこちらの体温を奪っていく。衣装の上にあったかいモコモコのベンチコートまで着せてもらっているのに、体の震えが止まらない。日本海特有の荒ぶった波の音を聞いていると、余計に寒く感じるから不思議だ。
私は今、福井県にいます。何故ならサスペンスドラマに被害者の年の離れた妹役として、抜擢されたからだ。本来なら崖の上で犯人が探偵役に追い詰められるラストシーンに私の出番はなかったのだけど、私の演技を見た監督が追加してしまったのだ。まぁ演じろと言われればやりますけど、脚本家さんに怒られても知らないからね。
目の前では探偵役が犯人の行いを詳らかにし、追い詰められた犯人が憎しみの表情で何故犯行に至ったのかという動機を語っている。さて、そろそろ出番だなと思っていたら、スタッフさんが迎えに来てくれた。身振り手振りで『こちらで合図を出しますので、よろしくお願いします』とこちらに伝える彼に、こくりと頷く。
「身勝手な事を……この子を前にしても、そんな事が言えるのか!」
探偵役のおじさんのこの台詞が私がフレームインするためのキッカケだ、ベンチコートを脱がされた私は、彼に駆け寄って背中に庇われる立ち位置で足を止めて、憎々しげに犯人を睨む。
「……春香ちゃん」
「なんで、なんでお姉ちゃんを殺したの!? あんなに仲がよかったのに!! お姉ちゃんは雪子さんの事を、親友だっていつも言ってたのに……」
私の目尻からポロリと一滴の涙が零れるが、拭いもせずに目の前の犯人の女性を見つめる。この殺人事件は実にお粗末で俗に言う痴情のもつれが引き起こし、春香の姉が殺された。犯人である目の前の女性『梢』はその事件を隠蔽するも、複数の人間にバレてしまった為にその全員を手に掛けた。殺した死体が増える程、当然犯行は白日の下に晒されやすくなる。この頃のサスペンスドラマはそこまでトリックに凝ってなかった記憶があるが、今作はどちらかというとサスペンスというよりは、人間の浅ましさを描いたヒューマンドラマと言った方がしっくりくると思う。
私の言葉で罪悪感に耐えられなくなったのか、それとももう逃げられないと悟ったのか、梢はがっくりと膝をついた。そしてパトカーが到着し、梢を制服を着た警官役のふたりが両脇を固めて連れて行く。その後ろ姿を見送りながら、春香役の私は探偵役のおじさんにすがりつきながら慟哭する……お姉ちゃんを返してと何度も何度も。そんな私を見てやりきれない表情を浮かべた探偵役が空を見つめ、エンドロールが流れる段取りになっている。
「カット! オッケー、完璧だったよ!!」
監督からOKの声がかかると、私は探偵役の俳優さんから体を離して『ありがとうございました!』と頭を下げた。涙はまだ微妙に流れ出ているけど、あのオーディションの時と比べたら泣きのコントロールもうまくなったと思う。寒さで垂れそうな鼻を少しだけズル、と吸うと俳優さんは苦笑を浮かべた。
「こちらこそ、名演を見せてもらえて嬉しかったよ。さぁ早く身体を温めないと、風邪を引いてはいけないからね」
そう言われて背中をポンと優しく押されたのでスタッフさんがいる方へ向かうと、ベンチコートを持ってものすごいスピードでこちらに駆け寄ってくる洋子さんがいた。その勢いのままにコートを着せられて、焚き火の近くへと連れて行かれる。そして紙コップに入った温かいお茶を手渡されて、『しばらくここで暖まっていなさい』と言い残すとどこかに走り去ってしまう。
私にはよくわからないけれど、多分マネージャーさんも担当タレントが演技している裏側では、色々な折衝とかご挨拶とかそういうのをしてるのだろう。それと比べるとちょっと寒い思いをしても、思いっきり演技してる方が楽に感じる。いつもお疲れ様です、洋子さん。
パチパチと音を立てながら燃える焚き火を見つめながら、私は小さくため息をついた。今週も先週もその前もフルで学校に行けてないんだよね、週に1日とか2日とか。学校の温情で登校した日の放課後にテストを受けたら出席数は誤魔化してもらえるんだけど、なんだかズルをしている様な気がして申し訳ない気持ちになる。
私は中学受験をする予定なので『いくらコネがあるとはいえ受験では欠席が少ない方がいいんだから甘えておきなさい』と洋子さんとあずささんが言っていたけど、それでこの後ろめたい気持ちが消える訳ではないんだよね。校外学習だと思えばいいのかもしれないけど、私ひとりしかいないから自分を騙せないし。
そもそも私の仕事がここまで急に忙しくなるなんて、事務所の大人達にも想定外だったらしい。前に打ち合わせした時の仕事量なら、学校にも月曜日から土曜日までちゃんと通えたし、休んだとしても週に1日か2日ぐらいになるだろうという予想だったそうだ。でもその想定をひっくり返したのは、朝のワイドショーで映画の特集がされてそのゲストに呼ばれた事がきっかけだった。
私としては質問された事に答えて軽くエチュードを披露したぐらいの認識なんだけど、その受け答えが天然ぽくて視聴者やスタジオにいた人達にはとても可愛く映ったらしいと洋子さんは言っていた。どういう部分が受けたのかなと洋子さんに質問してみたんだけど、『すみれが自覚しちゃったら不自然になっちゃうからダメ』と教えてもらえなかった。OAを見ても特におかしい受け答えはなかったはずなのに、他の出演者さん達から笑われたり『可愛い~』ってリアクションをされて……解せぬ。
でもその時はまだスケジュールに影響はなくて、映画の観客が増えたぐらいで済んだんだよね。クリスマスには透歌を呼んで約束してた寮でのお泊り会も普通にできたし、年末もCM撮影ぐらいで忙しくなかったから。2つ目のきっかけは寮のみんなが仕掛け人になって行われた、ドッキリ番組の寝起きドッキリだった。
急に愛さんがちょっと大人っぽい感じのネグリジェをプレゼントしてくれて、今日はそれを着て寝て欲しいとか言ってきたんだから、少しはおかしいと思って疑いなさい私! でもその時は不思議だなとしか思えなくて、お願いされたんだから着るかと律儀にネグリジェを身につけて就寝した。私だとボリュームが足りないから、どうせなら真帆さんとか菜月さんにプレゼントすればいいのにと思いながら夢の世界へと旅立ち、次に目覚めたらカメラさんとか照明さんとか寝起きドッキリの中継で有名な芸人さんが笑いながら自室の中にいた。
思わず布団と毛布の中に潜り込んで、顔だけひょこっと出す。多分髪もハネて顔も恥ずかしさで真っ赤になってて見られたもんじゃなかっただろうに、どうやらOAを見た人達には好評だったみたい。特に業界の人達は何を根拠にしたのかはしらないけど『この子は売れる』と確信したらしくて、そこから仕事の入りがとんでもない勢いになった。
騙し討ちみたいにどっきりを仕掛けられた私としては、敵に回ったみんなに思うところはあったのだけど、『これがこのメンバーで騒げる最後の機会だったから』って言われてしまったらずっと怒ってもいられないし。でも素直に許したら今後も悪ふざけでドッキリとか仕掛けられそうだったから、有名ホテルでしか買えないお高いケーキ1ホールで手を打つことにした。もちろん1ホールなんてひとりで食べられる訳がないから、結局寮のみんなでお茶しながら美味しく食べたんだけどね。あずささんとトヨさんにおすそ分けしたら、意外に喜んでもらえた。
「お疲れ様、すみれちゃん。どうしたの、なんだか暗い表情してたけど」
「あ、お疲れ様です美雪さん。膝、だいじょうぶでした?」
「大丈夫大丈夫、ズボンだったからね。
パチパチと音を立てながら燃える焚き火をぼんやり眺めながら考え事をしていると、背後からポンと背中を叩かれると同時に声を掛けられた。先程まで犯人役を熱演していた
ドライやリハーサルでは見せなかった動きだったので、私や相武さんの演技に引っ張られたというのは本当なのかもしれない。そうだとしたら嬉しいし、もっと周りの人に感情を感じ取ってもらえる演技を目指していきたいな。
「それよりもすみれちゃん、ちょっと疲れ気味なのかな? 表情がそんな感じに見えるけど」
「……そうですね、急にお仕事がたくさん入ってくる様になって。まだそんなにお仕事をこなしているって訳じゃないのに、勢いだけでもうあっぷあっぷしてる感じです」
「すみれちゃん、本当に急に知名度があがったものね」
急激な周囲の変化に溺れそうになっている事を正直に告げると、美雪さんは小さく苦笑して頷いた。ただその後すぐに表情を引き締めて、『でもね』と続ける。
「この仕事って、今のすみれちゃんみたいに生き残るためのきっかけやチャンスすら貰えない人も多いから。だからすみれちゃんには忙しさに負けずに、頑張ってほしいと思うよ」
美雪さんによると、これまでチャンスを活かしきれずに業界を去った同業者をたくさん見てきたらしい。今回私は幸運にも顔と名前が知られてたくさん仕事が舞い込んできたんだけど、そもそもそういうブレイクの兆しすら与えられない芸能人がほとんどなのだ。私だって今は物珍しさや流行りに乗ってオファーが殺到しているけど、これがずっと続く訳ではないし少しでも長く続くように、そしてその後も安定して仕事が得られる様に努力していかなければいけないのだ。
「私も役者歴は長いけど、未だにこうしてたまにスポットで呼ばれるぐらいで、他のお仕事もしながらじゃないと続けていけないもの。売れるチャンスは喉から手が出る程欲しい、だから今そのチャンスを手にしている人は、妬ましいけどそれと同じぐらい頑張って欲しいなって思ってるのよ」
後悔ばかりだった前世の私を神様っぽい人が女の子として生まれ変わらせてくれて、大事な友達もできて前世の学校よりも楽しく通えている。だから仕事ばっかりじゃなくて学校にも通いたいな、友達に会いたいなって思う気持ちがあるのは間違いない。今でもそういう願望は、私の胸の中にある。
でも思いの籠もった美雪さんの言葉を聞いて、状況が変わってまだ少ししか経ってないけど、もう仕事が想定以上に舞い込んできて私がアタフタとしていられる時期は過ぎてしまったんじゃないかなと、ふと思った。今私がやるべき事は山の頂上ばかりを見ずに、まずはもらった仕事をひとつひとつしっかりとこなして、松田すみれという役者の価値を周囲に示し続けていく事なのではないだろうか。そうして地道にやっていく事でまたそれが新しい仕事をもらうきっかけになって、芸能界に役者としての居場所ができるのかもしれない。
未来の自分のために現在の自分がやるべき事を頑張ろう、美雪さんとの会話で曖昧だった自分の気持ちがはっきりすると共に、覚悟の様なものがカチリと定まった様な気がした。
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