57――緩やかな変化の兆し


 12月に入って、街は一気にクリスマスムードに染まっている。そんな中、私はお昼からお仕事なので学校を早退して、洋子さんの車で現場へと向かった。


 今日はチョコレートのお菓子のCM撮影、今はクリスマスムードだけど年が明けてお正月モードが終わったらバレンタイン商戦が始まる。今ぐらいのタイミングでCMや商材を用意しておかないと、間に合わなくなってしまうからね。


 監督のディレクション説明から撮影終了まで、3時間足らずで終えられたのはもしかしたら自己最速記録かもしれない。相手役はおらず、カメラを好きな男の子に見立てて『ずっと好きでした』と恥じらいながらキレイに包装されたチョコレートを渡すのは、ちょっと……どころかかなりの抵抗があった。そもそも現在の私は男女どちらも恋愛対象に考えられない、中途半端な存在だ。そして前世含めて恋愛経験もないのだから、好きな相手を前に恥じらうというのも自然にできる自信はなかった。


 でも発想の転換で要は顔が赤くなればいいんだから、恥じらいも恥ずかしさも同じなんじゃないかと思い至る。恥ずかしい思い出なら前世でのものをたくさん持っているし、フラッシュバックの回数も多かったから記憶は鮮明に残っている。ただ頭を抱えたりゴロゴロと床を転がりたくなる様な強度の強いものはNGで、そう思いながら記憶の中のライブラリを探る。


 その中からピッタリのエピソードを探して、本番で試してみたらどうやらうまくハマッたらしく一発OKがもらえた。告白中の女の子の表情としてはちょっと苦笑じみたものが混じっちゃったかなと思ったのだけど、監督からは『初々しく緊張している様がよく出ていていい感じだよ』と褒められた。OKテイクを見たら、ほんのり頬を赤くした私がカメラに向かってチョコを差し出していて、自分でも愛らしさを感じてしまう程だった。


 なんだかナルシストじみてる気がして、頭の中でずっとそれを否定していたらいつの間にかメイクも全部落とされて、いつも通りの私が鏡の前にいた。素の私も悪くはないけど、カメラの向こうの私があれだけ魅力的に見えたのは控えめながらもキラキラした印象を与えてくれた、メイクさん渾身のメイクの恩恵が大きいのかもしれない。


 さて帰ろうと思ったら、お菓子メーカーの担当者の人が『是非夕飯を奢らせて欲しい』と申し出てくれた。私が返事をする前に食い気味で洋子さんが了承の意を伝えていた……いや、いいんだけどね。私もせっかくのご厚意だし受けようと思っていたから、ちょっと洋子さんの食い気にびっくりしたというか引いただけで。


 時間的にトヨさんが夕飯の準備を始めるギリギリのタイミングだったから心配だったけど、どうやら洋子さんが連絡した時はまだ料理を始めたばかりだったみたいで、トヨさんに負担を掛けずに済んだみたいだ。いつもありがとうございます、トヨさん。


 お高い中華料理のお店に連れて行ってもらって、美味しい料理に舌鼓を打つ。隣ですさまじい勢いで焼飯の皿を空っぽにし、メニュー片手に追加の料理を注文している洋子さんから視線を外して、お菓子会社の人とお話しした。今後もよかったらレギュラーでCMに出演して欲しいと言われたので、私でよければ是非と返事をしておいた。稼げるお仕事は大歓迎だ、大学まで進学できるぐらいのお金を余裕を持って早めに貯めておきたいからね。


 いい話をもらえたと満足気にしながらスープをすすると、隣の洋子さんがこそっと私の耳元に口を寄せてきた。


「すみれ、いつも言ってるけど勝手に返事をしない。専属契約を結ばされたら、他の会社の製品のCMには出られなくなるわよ。それ以外にも条件面とか色々決めなきゃいけないんだから、そういう時は『相談して事務所からお返事します』って返しなさい。迂闊な言質は与えない、口約束でも契約成立になっちゃう世界なんだから」


「……はぁい。ごめんなさい、洋子さん」


 叱られてしょんぼりした私の頭を、洋子さんがポンポンと撫でる。前世では一応社会人経験もあるのに、目の前のエサにつられて迂闊な返事をしてしまった自分が情けない。もっと色々な事を学んでいかなきゃいけないなと反省した夜だった。




「ただいまー」


 寮の玄関で靴を脱ぎながら言うと、トタトタと足音が聞こえてきて真帆さんと菜月さんが出迎えに来てくれた。でも普段はこんな風に玄関まで迎えに来るなんてしないのに、何かあったのだろうか。


「おかえり、すみれー! ご飯は食べてきたんだよね、じゃあお風呂入ろ。私と入る? それとも菜月と入る?」


 立て板に水の様にまくし立てる真帆さんに圧されて、私は事情の説明を求めて菜月さんに視線を向けた。そうすると普段なら『仕方がないなぁ』といった感じに助け船を出してくれるんだけど、今日は菜月さんも真帆さんの味方みたいで私への説得に加わった。


「私と真帆からすみれに話したい事があるんだよね、それでどっちが話すか二人で話し合ったんだけど決まらなくて。だからすみれに決めてもらおうかなと思ったの」


「えっと、それとお風呂に何の関係が?」


「え? 大事な話はお風呂でするものなんでしょう? 裸の付き合いみたいな感じで」


 ふたりが私に話したい事があるのは伝わったのだけど、何故お風呂に一緒に入るのかがわからなくて聞いてみたところ、不思議そうな表情で真帆さんに聞きかえされた。どこから聞いたのだろうか、その謎情報。まぁ確かに一緒にお風呂に入ったら距離は縮まる気がするので、間違ってはいない気もしないでもないけども。


 とりあえずどちらかを選ばないと解放してもらえなさそうなので、私は迷う事なく菜月さんとお風呂に入る事にした。するとギャイギャイと真帆さんに文句を言われたので、簡潔に理由を説明する。


「だって真帆さん、一緒に湯船に浸かってたらあちこち触ってくるじゃないですか。菜月さんならそんな事しないですし」


 別に触られても実害はくすぐったいだけなんだけど、たまに胸を揉まれて痛い思いをするのは勘弁願いたい。真帆さんに比べると回数は少ないけれど、菜月さんと入った時はそんな事はされないからね。精々が膝の上に乗せられて後ろからぎゅっと抱きしめられるぐらいで。


 結局菜月さんが真帆さんをなだめてくれている間に部屋に戻って制服から部屋着に着替えて、下着などのお風呂セットを持ってふたりの元に戻る。真帆さんは不満そうだったけど一緒にお風呂は諦めてくれていたが、何故か今夜は一緒のベッドで寝る事になっていた。


 なんでそうなったのかと首をひねっている間に、菜月さんに脱衣場に連れて行かれて着ている服を脱がされて、あれよあれよという間に浴室に引っ張り込まれた。ここまで来たらまごまごしていても仕方がないので、さっさと髪と体を洗って湯船に入ろう。そう思っていたらどうやら菜月さんが、全身キレイに洗ってくれる様だ。他人に髪を洗ってもらうと気持ちがいいので、せっかくだから身を任せる事にする。丁寧に髪を洗ってリンスを付けてしばし放置、その間に背中も流してもらった。


「それにしても、すみれはまだ生えてきていないのね。処理する手間が省けて羨ましい」


 ワキも股間も全然その気配はありませんが何か? まぁ女子としては毛深いよりはいいかなと、自分へ言い訳すると共に菜月さんには苦笑を返す。そのうち毛も生えてくるだろうし、胸だってたわわに膨らんでくるはずだ。きっと、うんきっと。


 お返しに菜月さんの髪と体を洗ってあげて、ふたりで湯船に入る。先に菜月さんが入ってその上に乗せてもらうと、いい感じにふたりとも足を伸ばせるのでゆったりできるのだ。子供とは言え私の体重が負担になってはいけないと体を浮かそうとするんだけど、『大丈夫だから私に寄っかかりなさい』と菜月さんの上半身にもたれさせられる。形のいいおっぱいが背中でむにゅっと潰れているのがわかって、柔らかくて気持ちがいい。


「それでね、さっき言ってた話だけど」


 しばらくふたりでお湯の温かさにまったりとしていると、耳元で突然そう言われてビクリと体が震えた。ちょっと眠気に負けそうになってたんだけど、一気に目が覚めた気がする。


「は、はい! 覚えてます、私に話があるんですよね?」


「なんでそんなにびっくりしてるの? 大丈夫?」


 きょとんとした菜月さんの声が聞こえて、ポンポンと頭を優しく撫でられる。そのおかげで気持ちが落ち着いて、話を聞く心構えをする事ができた。私の準備が整ったのがわかったのか、菜月さんが口を開く。


「私と真帆だけど、来年の春にこの寮を出る事にしたの」


「……えっ!?」


 突然の爆弾発言に思わず振り返ろうとした私の肩を、菜月さんが掴んで押さえる。勢いよく振り返ったら菜月さんとぶつかって、お互いにケガしちゃうかもしれないもんね。でもその時の私は混乱してて、そんな事は全く思い浮かばなかった。


 その後もポツリポツリと菜月さんが話してくれたところによると、このままあずささんの庇護下でいてもいいのだろうかという疑問がずっと胸の中にあったそうだ。一度別の事務所から子役としてデビューして、途中で挫折したところをあずささんに拾ってもらったふたり。あずささんの名前や影響力で仕事がもらえる様になってそれなりに忙しく活動できるようになったが、あずささんの指導を受けたことはそれこそ数える程しかなく、自分達が大島あずさの名前を利用している様な罪悪感をずっと抱えていたらしい。


 そして周りからも妬みや嫉みもあったのだろうが、同じ様な内容の陰口を叩かれていたふたりは、高校3年生になるにあたりこれからの進路を一生懸命考えたそうだ。そしてこの寮を出ていく、とふたりは結論を出したんだって。同じ私大を真帆さんと一緒に目指していて合格できたら万々歳だけど、もし不合格で浪人したとしてもこの寮を出る事は決定しているそうだ。


「じゃあ共通一次っていうのを受けるんですか?」


「すみれは時々不思議な事をよく知ってるよね、共通一次は去年で終わって今年からセンター試験っていう新しいテストが始まるのよ。でも共通一次は私大には使えなかったけど、センター試験になったら私大の受験にもその結果が使えるから、ほんの少しは入りやすくなるのかも」


 競争が激しくなるから実際のところはわからないけどね、と後ろで菜月さんが笑っている気配を感じた。そっか、共通一次は私大には適用できないっていうのは知らなかった。そしてまさか今年度にセンター試験が初めて行われるって事も、もうちょっとアンテナを高く張って色んな情報を集めた方がいいのかもね。一度生きた年代だから大体の空気感を知っているとは言え、今の私は前回の人生で経験できなかった事をしている訳だし。何もしなくてもコンピューターが情報をくれた21世紀ではなく、自分から知識を求めないと何も手に入らないのがこの時代だ。もっと貪欲になるべきだと思う。


「愛さんはまだ残ってくれるけど、純粋な寮生は春からユミとすみれだけになると思う。どう、寂しい?」


 背後から軽く抱きしめられながら問われた質問に、私は小さく言葉を詰まらせた。寂しくないとか大丈夫とか、そう答えたところで嘘と強がりだというのはすぐバレるだろう。本当は菜月さん達も引き止めてもらいたいんじゃないかなんて自分に都合のいい言葉が浮かぶけど、多分それはない。だってきっとこれは、ふたりが長い時間を掛けて悩んで相談して出した答えなんだろうと思うから。


 だから私にできる事は、応援する事だけだ。ふたりが何の心配もなく受験本番に臨める様に、そして受験が終わって別の場所で生活を始めても、ちょっと疲れた時とか寂しくなった時にここに戻ってこられる様に。そんな気持ちを精一杯言葉に込めて、伝わる様に答えた。


「寂しいですけど、菜月さんと真帆さんが決めた事だったら応援します。でも、私もユミさんも変わらずにここにいますから。もし何かあった時は戻ってきて、休んで行ってくださいね。その時は私も精一杯、ふたりが元気になれるようにおいしいごはんとか作りますから!」


 もっと上手に言いたいことが言えたらいいのに、そう思いながら必死に言葉を紡ぐ私をぎゅうっと強く抱きしめると、菜月さんは耳に唇を寄せて『ありがとう、頑張るわ』と決意のこもったしっかりとした声で言った。私の言葉がほんの少しでも菜月さんのやる気に繋がったのなら、それはすごく嬉しい事だ。そう思いながら私はしばらくお湯の温かさと背中にぴったりとくっついている菜月さんの温もりを感じながら、お風呂タイムを堪能したのだった。


 私と菜月さんがお風呂上がりのアイスクリームを美味しく食べている間に急いでお風呂に入ってきた真帆さんに引きずられて、まだ眠くもないのに早々に寝る支度をさせられてベッドの中に放り込まれた。菜月さんから聞いた話を真帆さんからも聞いて、同じ様に春には桜が咲く様にと応援の言葉を贈っておく。2年と少し一緒に暮らした家族の様な人達だもの、できれば幸せな門出を迎えられる様にっていう気持ちは本当だからね。


 感極まった真帆さんに抱きしめられて、少々の息苦しさと柔らかさと温もりを感じているうちに、私もいつの間にか眠ってしまっていた。翌朝目覚めた時に対面にいる真帆さんと目が合って、お互いになんとなく照れ笑いを浮かべる。なんてことのない毎日の始まりだけど、その日は何故かいつもよりキラキラしている様に感じたのだった。

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