47――監督の提案と洋子の激怒


「へ? 神崎監督がですか?」


 ドラマの撮影が終わって控室でひと息ついていると、洋子さんから『神崎監督から呼び出しがきたわよ』と言われた。確かに里帰りしてから2週間が過ぎて段々と撮影開始の夏が近づいてきているから、呼び出されても不思議ではないんだけど突然な感じは否めない。


「きょとんとした表情のすみれも可愛いわ、こっちに視線ちょうだいね」


「洋子さん、もういいでしょ。そのカメラのフィルム、全部使い果たすつもりですか?」


 パシャリ、とフラッシュが光りまた1枚フィルムが無駄遣いされたのを見て、ため息をつきながら私が言った。洋子さんが持っているのは、使い捨てカメラの『撮れるんダヨ』。デジカメなんてまだ世間には影も形も見せてなかった頃だから、当然フィルムが必要になるフィルムカメラしかない。つまり、撮影できる枚数は少ないのだ。洋子さんが自分のお金で買ったものだから私が使い途にごちゃごちゃ口出しするのは差し出口なんだけど、でも私の写真ばっかり撮るのはもったいないと思う。


 もちろん普段の私の姿なら、洋子さんも1枚か2枚ぐらい撮影したら満足するんだろうけど、今日の私は珍しい格好をしているから洋子さんの撮影熱を刺激してしまったのだろう。


 今日の撮影は世の中の奇妙な物語をオムニバスで放送するドラマで、私はどんな手段で手放しても絶対に手元に戻ってくるフランス人形の役だった。もちろん基本的には人形を使ったのだけど、持ち主に人形が複雑な感情をぶつけるシーンだけ擬人化して私が担当した。その為、今の私の格好はふんわりと髪が巻かれている金髪のカツラをかぶって、レースがふんだんに使われた淡い青のドレスを着ている。靴は甲の部分が丸くなっているローファーで、スカートに隠れて見えないはずの靴下までもレースで飾られている。


 多分レンタルなのだろう、楽屋の中にはそわそわと洋子さんの撮影が終わるのを待っているスタッフさんがいる。レンタル費用も高いんだろうなぁ、他にも仕事があるだろうに洋子さんのワガママを聞いてここまで待ってくれていたスタッフさん達には感謝しかない。


「ごめんなさい、スタッフの方々。もういいですから、脱ぐのを手伝ってもらえますか?」


 私がそう言うと、スタッフさんがふたりホッとした表情でこちらに近づいてきた。洋子さんはあからさまに残念そうな表情をしていたけれど、黙殺させてもらう。


 ドレスを無事に脱いで私服に着替えてから、金髪のカツラを外してもらう。私は髪が長いので後頭部にピンで渦巻状にまとめてもらって、更にネットを被って髪がこぼれない様にしているので自分だけでは外せないのだ。


「あー、ちょっと蒸れてるね。暑かったでしょ」


 メイクさんが手際よくピンを外して、まとめていた髪を梳かしていく。しばらくすると乾くと思うんだけど、メイクさんは丁寧にドライヤーまで使って微妙に湿っていた私の髪を乾かしてくれた。


 忘れずに靴と靴下も自分の物に履き替えてから、スタッフさん達に挨拶して撮影所を出る。実はこの仕事も急な代役だったんだけど、業界の人達に代役専門の子役だと思われていないか心配だ。指名で仕事が入るにはまだまだ知名度が足りないんだろうけど、たまには前もって心の準備ができるぐらいの余裕あるオファーが欲しかったりする。まぁ、仕事があるだけでも嬉しいんだけどね……今回のドラマは全国ネットだし。


 そんな事を考えながら、洋子さんの運転する車の後部座席に乗り込む。そう言えばさっき監督の話が途中で終わってたなと思いだして、私は運転中の洋子さんに声をかけた。


「そう言えば、さっきの神崎監督の呼び出しっていつなんですか?」


「今日これからよ、言わなかったっけ?」


 私の質問にあっさりとそう答えた洋子さんに『聞いてませんよ!』と反論するけれど、すでに待ち合わせ場所に向かっている様で後の祭りだった。別に監督の事が嫌いって訳ではないんだけど、あの人は隙があれば私に無茶振りしてくるから油断ならない。


 『どうか今日は無茶振りがありませんように』とお祈りしていると、洋子さんの車がホテルの駐車場へと入っていく。格調高いホテルっぽいけど神崎監督と会うなら知らない仲じゃないし、貸し会議室とかを会場にした方が節約になるんじゃないのかなとちょっともったいなく思ってしまう。


 だって車の鍵を預けたら、係の人が駐車しに行ってくれるんだよ。そんなサービス、高級ホテルにしか存在しないでしょ。少なくとも前の人生も含めて、初めての経験だったのでテンションが上がってしまった。はしゃぎながら洋子さんに『すごいね!』と言っていると、何やら殊更優しい目をされて頭を念入りに撫でられてしまった……解せぬ。


 部屋番号を予め聞いていたのだろう、迷いない足取りでエレベーターに向かって歩く洋子さんの後ろをトテトテとついていく。豪華な内装のエレベーターに乗って目的の階へ行き、ふかふかの絨毯が敷かれている廊下をしばらく歩くと洋子さんが立ち止まる。軽い感じでドアをノックすると、部屋は間違えてなかったのか神崎監督がぬっとドアから姿を現した。


 挨拶をしようとしたが、先に部屋に入るように促される。何やら他人の目を気にしている様な、そんな印象を受ける。不思議に思っていると、ホテルの室内にその原因が座っていた。多分芸能人にあんまり詳しくない人でも顔と名前を知っているだろう、若手俳優ナンバー1の中村健児なかむらけんじがひとり掛けのソファに足を組んで座っていた。


「監督、その子が前から言っていた自慢の秘蔵っ子?」


 個人的に親しいのか、馴れ馴れしい感じで中村さんが監督に尋ねる。指差された私としてはちょっぴりムッとしてしまったが、監督に紹介された時には普段通りの表情に取り繕う。


「松田すみれです、よろしくお願いします」


「俺の事は知ってると思うけど一応自己紹介ね、中村健児です。監督に見出されて、その縁で大島さんの愛弟子になったんだってね。今回の映画もその強運でヒットさせてほしいもんだな」


 中村さんの言葉には隠そうともしていない棘がいくつもあって、思わず頬が引きつりそうになったけどなんとかこらえて『精一杯がんばります!』とにっこり笑って返事を返す事ができた。まぁ私の経歴なんてまだまだ駆け出しだし、中村さんみたいな人気俳優から見れば実力ではなく運とかコネで出演する木っ端子役にしか見えないのだろう。


「神崎監督、もしかして中村さんも今回の映画に出演されるんですか?」


「ああ、ある意味主役とも言える重要な役でね。まぁ立ち話もなんだから、君達も座りなさい」


 ふたり掛けのソファを勧められたので、洋子さんと並んで座る。監督もひとり掛けのソファに腰を掛けると、カバンの中から分厚い冊子を数冊取り出して私達にそれぞれ手渡した。ええと……『Changing in My Life』かぁ、どんな話なんだろう?


 週刊漫画雑誌ぐらいの厚さがある台本を読んで、私は息を飲んだ。何故ならこの映画はざっくり言うと『20代半ばの青年が一夜明けると突然小学生の女の子に変化し、元に戻ろうともがく彼の姿を時にコミカルに時にシリアスに描くお話』だったからだ。この映画の主人公は私とは違って性別がひっくり返って人生をやり直す訳ではなく、これまでの人生はそのままで突然性別だけを変化させられるのだから大変なストレスだし、なによりこれからの人生を安定させるための労力たるや想像を絶するものになるだろう。


 台本を読む限り、主人公も少女になって右往左往しながらもなんとか自分の居場所を確立していく。キャスト表を見ると性転換する前の主人公を中村さんが、そして少女になってしまった主人公を私が演じるみたいだ。私は転生してからなるべく周囲の人から女の子としておかしいと思われない様に、意識的に女の子らしく行動してきたつもりなんだけど、どうして監督はこの役に私を起用したんだろう。


 前世とは違う性別で生まれ変わったなんて、絶対にバレる訳がないんだけど。何か違和感を与える様な事をしてしまったのだろうかと、少しだけ不安になる。


「どうだい、すみれ君。なかなか演じるのに骨が折れる役どころだと思うが、やれそうかな?」


「挑戦したいとは思います。でも、確かに中身が大人の男の人な女の子っていうのは、かなり難しいですよね」


 私がそう言うと、さもありなんと言わんばかりに監督が頷く。中村さんも『小学生の女の子が想像する成人男性っていうのは、かなり現実とはかけ離れてそうだしね』と苦笑する。


「私としては女の子らしいすみれ君も魅力的だが、あえて正反対に男性的な言動をするすみれ君も見てみたくてね。もちろん何のヒントもなくやってみろというのは無理難題だとわかっているから、中村くんにお願いしたんだよ。彼なら私の飲み友達だし、私の映画にも出演した事があるから気安い相手だし無理も通しやすかったからね」


 監督の言っている事がよくわからなくてこてん、と首を傾げながら中村さんを見ると、彼は胡散臭い作り笑顔を浮かべたままこちらに向かってひらひらと手を振った。


 詳しく話を聞いてみると私が演じるのは中の人が中村さんな女の子だから、中村さんの言動をよく観察して真似すればより真に迫った演技ができるのではないかと説明された。そのために部屋は監督が用意するので、1ヵ月程中村さんと同居してみないかと監督が発言した途端、隣に座っていた洋子さんが思いっきり足を踏み鳴らして立ち上がった。


「そんなの許可できる訳ないでしょうが! 弊社の大事な役者を成人男性と同居なんてさせられません、うちの大島にもこの事は報告させて頂きます!! その結果、今回の映画の出演を取りやめさせて頂く可能性もありますのでご了承ください」


 顔を真っ赤にして怒鳴ったかと思うと、最後の一文は凍りつく様な冷たい声で言い放った洋子さんを見て、私もちょっと背筋がゾッと寒くなった。常識的に考えたら洋子さんの言ってる事が圧倒的に正しいんだろうけど、多分監督はいい映画にしたいという一心でそれ以外には何も考えてないと思うんだよね。


 監督を擁護してもよかったんだけど、私を心配してくれた洋子さんの気持ちが嬉しかったので、ぐいっとソファから引っ張り起こされた勢いのまま洋子さんに引きずられる様に部屋を後にした。それにしても、この映画どうなっちゃうのかな。前世が男だった私にとってはハマリ役だし、できれば話が無くなるのは避けてほしいんだけども。




「あーらら、だから言ったじゃないですか監督。あんな無茶な話、本人はともかく周りの大人は絶対に許可を出さないって」


 中村はふざけた様子でそう言うと、先程まで部屋にいた女性と少女が出ていったドアを見つめる。もちろん彼はロリコンではなく、性や恋慕の対象は成人女性だ。どれだけ見目が良い少女であっても子供に手を出す気はさらさらないが、それを初対面の人間に証明しろと言われても無理だろう。


「だが、すみれ君は年の割にしっかりして大人びているが、まだまだ人生経験の浅い小学生だ。この役をより魅力的に演じるためには、君の仕草や話し方なんかを模倣してもらうのが一番いいと思ったんだが」


 そう言ってがっかりと肩を落とす神崎監督に、『この人、才能はすげぇのに常識がないよなぁ』と呆れながら中村はため息をついた。そしてここまで彼に役者として恋い焦がれられているあの少女に、ジリジリとした嫉妬じみた気持ちが湧き出てくる。


 中村が神崎監督の映画に出演したのは、まだ二十歳にもなっていない頃だった。求められる演技が出来なくて、怒鳴られた事もメガホンでぶん殴られた事もあった。だが、それがあって現在の中村がいるのだ。あの頃は監督に恨みにも似た気持ちを抱いた事もあったが、今となっては感謝と尊敬しか残っていない。


「別に俺と一緒に住まなくても、俺が出てるドラマとか映画のビデオを貸してあげたらいいんじゃないですか? 役によっては多少色付けはしますけど、基本的に演技のベースは俺ですから。そこまで普段の俺と演技中の俺に違いはないですよ」


「……なんでそれを先に言ってくれなかったんだ?」


「いや、普通は気付くでしょ」


 呆れた中村にそう言われて凹んでいた神崎監督だったが、そのアイデアを使わせてもらって再度すみれの保護者であるあずさや安藤と交渉する事にしたのだった。

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