46――久々の帰省 その5


 少女マンガの強引系俺様ヒーローみたいなまーくんの台詞はとりあえず忘れる事にして、残りの休日は穏やかに過ぎていった。本来穏やかな人なのに、正直なところ全然似合ってなかったよまーくん。


 ふみかのお見舞いにケーキを持っていこうとしたんだけど、直前で母に止められた。いくら普通の病院食が食べられる様になっているとはいえ、内臓を手術した人にケーキを持っていくのはあんまりよくないらしい。消化にいいものにしなさいと言われたので、駅前でゼリーの詰め合わせを買って持っていった。


 ふたりの勉強を見つつ、休憩中に持ってきたゼリーを食べて、他愛もない話でなおとふみかと一緒に笑い合う。こんなに楽しくてまったりした時間を過ごすのは、本当に久しぶりだ。いつかふたりには東京での親友である透歌とも会わせてみたい、きっと仲良くなれると思うんだよね。でもこのままだと中学は透歌と別々の学校に進学する事になりそうだから、難しいかな。私も映画の撮影とかその後の宣伝の為のテレビ出演とかで、今年はもう残りの日程が全部忙しいみたいなスケジュールになるかもって洋子さんが言ってたし。


 6年生になって私に余裕があって、透歌の家族の了承ももらえたら地元に招待するのもいいかもね。転入当初から助けてもらったし、田舎だからあんまり物珍しいものもなくて喜んでもらえないかもしれないけど、何かお礼をしたい。様子を見つつ、洋子さんや透歌本人に相談してみようかな。


 そんな事を考えていると、ふみかとおばさんの間でひと悶着が起こった。突然ふみかがしょんぼりした表情を浮かべたかと思うと、にこやかに私達を見ていたおばさんにこんな事を言い放ったのだ。


「お母さん。私、東京に住みたい。やっぱりすーちゃんがいないのつまらないし、一緒にいたい」


「何を言ってるの、そんな事できる訳ないでしょ」


 突然のふみかの爆弾発言に、呆れた様に言葉を返すおばさん。ふみかって普段はおとなしいのに、突然突拍子もない事を言ったりしたりするんだよね。行動力があるというか、芯が強いというか。


 『住みたい』『ダメ』という押し問答を聞きながら、私となおは顔を見合わせる。あ、でもなおも『住みたい』って顔をしている。この子達は賢いから理由も説明せずに、頭ごなしにダメって言っても反発心を煽るだけなんだよね。私のせいでふみかとおばさんの間にわだかまりが出来るのも申し訳ないし、おばさんに加勢しようかな。ふみかもちゃんと話せばわかってくれる子だから、そこまで心配する必要はないと思うんだけど。


「ふみかもおばさんも、ここ病室だから。ちょっと落ち着こう、ね?」


 私が仲裁に入ると、ふたりも自分達が病室にいる事を思い出したのか、口を噤んだ。


「ふみか、おばさんを困らせちゃダメだよ。東京に住もうと思ったら、住む場所とか働く場所とかおじさんとおばさんに負担を掛ける事になるんだよ? それはすごく大変だし、お金だってかかるし……ふみかだっておじさんとおばさんに必要以上の苦労してほしくないでしょ?」


「すーちゃん……でも、すーちゃんは東京で頑張ってるよ?」


「わたしが東京でやっていけてるのは、ひとえにあずささんのおかげだよ。あずささんが住む場所を貸してくれて、足りないお金を支援してくれてるからなんとかやっていけてるんだよ」


 そう思うと姉の暴走から始まった芸能界への道だけど、私って幸運だったんだなってしみじみ思う。あのオーディションで神崎監督と知り合い、そこからあずささんとの縁が出来たのだから。さらにそこから寮のみんなや洋子さん、事務所のスタッフさん達と良い縁が結ばれたのは幸運としか言い様がない。


「すーちゃん、ありがとう。後は私が言うわ、それが母親の役目だと思うから」


 私の言葉に黙り込んだふみかをどうしたら納得させられるのかと悩んでいると、ふみかのおばさんがそう言って私の肩に手を置いた。確かにこれ以上は差し出口になるだろうし、おばさんに任せた方がいいよね。


「ふみか、すーちゃんは東京に遊びで行ってる訳じゃないのよ。たったひとり、家族と離れてでもやりたい事があるの。ふみかには東京に行って、自分の安定した生活を捨てて家族から離れてたったひとりになってでもやりたい事がある?」


「ない……でも、すーちゃんと一緒にいたい」


 涙に潤んだ瞳でじっと見つめられると、嬉しさと共に申し訳無さが湧き上がる。その頑なさにため息をついておばさんが説得を諦めようとしたその時、これまでじっと沈黙を守っていたなおが口を開いた。


「ふみかは、一緒にいるのが私じゃダメ? 私もすーちゃんと一緒にいられないのはすごく悲しいけど、同じ思いをしてるふみかがそばにいるから頑張れてたのに」


「……なお、違う。なおがいてくれるのはすごく嬉しいよ」


 慌てた様にふみかが言うが、なおの悲しい表情は変わらない。多分私がいない間、ふたりは同じシンパシーを抱えた者同士の友情を深めていたのだろう。でもそれを否定されたみたいで、なおは悲しんでいるんだと思う。


「私だってふみかのことは好きだけど、すーちゃんは一番特別だもん。一緒にいたいよ」


「ごめんね、なお。わがまま言ってごめん、ふたりですーちゃんのこと応援するって決めたのに、約束破ってごめん」


 泣き出してしまったなおのところに、ふみかが痛みをこらえながらも近づいて優しく抱きつく。きっと私の知らないところで、ふたりで色んな事を話していたのだろう。私がふたりを慕う様に、ふたりもまた私の事を慕ってくれるのはすごく嬉しいけど、目の前で抱き合いながら涙を流すふたりを見ると本当に申し訳ない。だって私の事が原因でふたりが泣いてるんだもの、いつだってなおとふみかには笑顔でいてほしいのに、私がふたりの笑顔を奪ってるんだと思うと目の奥が熱くなって私まで泣きそうだ。


 結局おばさんが折れて、ふみかが大学に入学する際は東京の学校も選択肢に入れてもいいと許可を出した。ただどこでもいいという訳ではなく、ある程度以上の学力の学校という条件がつけられたのは言うまでもない。相談もされずに勝手にいないところで娘の進学についての約束が取り交わされるなんて、おじさんがちょっと可哀想だと思った。


 ちなみにおばさんはなおのおばさんにも今日の事を話して、もしなおの学力がその時に一定以上になっていた場合は東京への進学も考えてもらえる様に口添えすると約束してくれた。他所の家庭の事だからそれくらいしかできないけど、とおばさんは謝ってたけどなおは嬉しそうに笑っていた。


 その後ふたりは時には競い合い、またある時は協力し合って勉強を重ねてグングン学力を伸ばす事になるのだが、今の私達は知る由もない。




「おはようございまーす! すみれ、迎えに来たよ」


 連休最終日、9時過ぎぐらいに洋子さんが迎えに来てくれた。あとはもう帰るだけだからと、必要のない荷物は全部宅配便で東京に送っちゃったんだって。それに倣って私も今日着る服とか持っていかなきゃいけない荷物以外は、後で母に送ってもらう事にした。リュックに半分ぐらいの荷物になったので、行きと比べたらかなり身軽になった。


 荷物も少なくなったので駅まで歩いて行こうかと思ってたんだけど、父が近所の人から車を借りてきてくれたので乗せていってもらう事にした。運転席に父が乗り込み、助手席には母。後部座席に私と洋子さんが乗り込んで、ゆっくりと車が発進する。ちなみに見送りについては、心苦しいけど全部お断りした。明日からまた忙しい毎日が始まるし、里心がついて気持ちがブレたらイヤだなと思ったからだ。これからしばらくは100%演技の事を考えたい、それが私を選んでくれた神崎監督やあずささんへの最低限の礼儀だ。


 昨日病院でたくさんスキンシップしてふたりのエネルギーをたくさんもらったので、今の私は満充電状態だ。多分これまでみたいに不意に寂しくなる事もあるんだろうけど、ふたりがどれだけ私の事を想ってくれてるのかが今回改めてよくわかったから。きっと頑張れると思う。


「あれ、すみれ。そんなブレスレット持ってたっけ?」


「昨日幼なじみにもらったんですよ、私も突然の事でびっくりしました」


 長袖Tシャツの袖口からチラリと見えたブレスレットに、洋子さんが目ざとく気がついた。細い革製のもので、本来は二重に巻くものらしいんだけど、私は手首が細いし何より子供なのでもう一重多く巻く事でちょうどいい感じになる。


 なんとコレ、まーくんからのプレゼントなのである。昨日の夜に突然訪ねてきて押し付けられたんだけど、本当にいきなりで訳がわからなかった。でも『寂しくなったら、これを見ろ。すみれはひとりじゃないからな』って言われて、すごく気遣ってくれたんだなって嬉しくなった。小学生よりは多いとは言え、中学生だってそれほどお小遣いも多くないのに、こうして私にそれを使ってくれたのは純粋に嬉しかった。もらいっぱなしでは申し訳ないので、釣り合いはとれないけれど私が使っている白いリボンをせめてものお礼としてまーくんに渡した。


 『譜面台に結ぶわ、ありがとうな』って照れた様に言って頭を撫でられたので、とりあえずいらないとは思われなかった様でホッとした。でも譜面台なら白じゃなくて色付きや柄が入っているものの方がよかったかも、持ち運ぶし学校の譜面台は錆びてるから汚れるんだよね。ただ私がそれを言い出す前にまーくんは踵を返してしまったので、結局そのままになっちゃったんだけど。


「ふぅん、ただの幼なじみの女の子に中学生の男の子が、そんな大人っぽいブレスレット渡すかなぁ?」


 もらった経緯などを説明すると、洋子さんはちょっとからかう様にそんな事を言いだした。なんでも恋愛ごとに結びつけるのはよくないと思う、純粋に私を心配してくれたまーくんの気持ちを汚されたみたいで私はムッとした気持ちを表す様にほっぺをぷくりと膨らませた。


「そういうちょっと鈍いところもすみれのかわいいところだけど、もう5年生なんだから。知り合いでも不用意に男の子に近づかない様にね、スキャンダル的な意味でも身体的な危険から身を守る意味でもね」


 まーくんは全然そういうのじゃないから大丈夫なのに、と思いつつも洋子さんの言うこともわかるのでこくりと頷いた。何故か運転席と助手席に座る両親が洋子さんの言葉にうんうんと頷いていて、私はこてんと小首を傾げる。


 そんな事を話していると駅近くの駐車場に到着し、空いているスペースに父がスムーズに駐車する。ここまででいいよと言ったんだけど、両親はどうしても駅の改札まで送るというのでその気持ちに甘える事にした。そのまま新幹線に乗るので、窓口で切符を買う。代金を支払って領収書をもらう洋子さんを見ていると、前世でコンビニバイトをしていた時に下敷きをしないまま複写の領収書に記入して何枚かダメにした事を不意に思い出す。現世では絶対同じ失敗をしないようにしよっと。そういうお店で働くかどうかはわからないけどね。


 改札に入っていく人達の邪魔にならないところで、両親に向き直ると母にぎゅうっと抱きしめられた。私はもう生活拠点が東京に移っていて自宅に帰る感覚しかないけど、母からすれば娘がまた自分を置いて遠くへいってしまうという絶望しか覚えない状況なのだろう。せめて母の心配を少しでも和らげられる様に、大丈夫だよという気持ちを込めてにこりと微笑む。


 母が体を離すと、頭上からぬっと伸びてきた大きな手が私の頭をポンポンと撫でた。『しっかり頑張れよ』と短く言葉をもらったので、私はしっかりと頷いた。


 父は私が元気でやっているなら細かい事には興味がないようで、この連休も特にあちらの様子を聞いてくる様子はなかった。私がふみかのお見舞いに出掛けてたり、父もまた休日出勤で会社に行ったりパチンコに連日通っていたので一緒にいる時間はほとんどなかったけど、一緒にピアノ演奏のビデオを見たりコミュニケーションは取れたからまぁ満足かな。


 私は前世で母から『父はピアノが嫌い』と聞いていたのだけど、ちゃんと曲の体を成している演奏なら特に不快には感じないというのは新発見だった。普通なら当たり前の事なんだけど、下手な演奏を聞かされた事がトラウマになった上でのピアノ嫌いだから、てっきりピアノ全部が嫌いなんだと思い込んでいたのだ。これならピアノが登場する映画も見てもらえるし、懸念がひとつなくなってちょっと気が楽になった。


「安藤さん、どうかこの子の事をよろしくお願いします」


「はい、任されました」


 母が父と一緒に頭を下げながらそう言うと、洋子さんも笑顔でしっかりと頷きながら答えた。なんだかこういうのってすごく照れる。私はちゃんと向こうでもやれているのにという反発心と一緒に、大事に思ってもらえてるんだなという実感がわいてきて、きっと今の私の表情は複雑なものが浮かんでいるのだろう。


 手を振って見送ってくれる両親に振り返りながら手を振り返して、私と洋子さんは改札の中に入った。切符にハサミを入れてもらって、最後にもう1回両親の方を向いて手を振り、ホームへと向かう。また予定が空いたら帰ってくればいいのだ、両親と優しい幼なじみ達が待つこの田舎町へ。土産話をたくさん持って帰るためにも、明日からまたお仕事頑張ろう。


「そう言えば、洋子さんは別れてからどんな風に過ごしたんですか?」


「色々行ってきたよ、京都も大阪も楽しかった!」


 私の質問にキラキラとした表情で洋子さんはそう答えると、行った場所や起こった出来事について事細かに話してくれた。その土産話は新幹線に乗っても続き、東京まで途切れる事なく私を楽しませてくれたのだった。

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