45――久々の帰省 その4


 なおとホットケーキを食べた後、少し早いけど今日はこれで解散する事にした。帰り道は途中までは一緒なので、なおと手を繋いで歩く。


「明日のふみかのお見舞いは、お昼からにしよっか。朝から押しかけたら病院にも迷惑かもしれないからね」


「うん! すーちゃん、宿題持っていってもいい? わからないところ、教えてほしいんだけど……」


 なおのお願いに、私は迷う間もなくすぐに頷いた。以前から行っている先の学年の予習は現在も続けていて、高校3年生の単元まで一通り終わった後は苦手な部分を減らすために不得手な数学を中心に理解を深めている。学校が違っても小学生の問題ならちゃんと教えられるはずだ、ふみかも今回の盲腸で連休前から学校を休んでしまったのでわからないところがあれば教えてあげたい。


 話しているといつの間にかなおの家の前まで戻ってきていたので、明日は昼の1時に駅で待ち合わせという約束をして別れた。そろそろ夕方に差し掛かる時間帯なのに、祝日だからかまったく人通りがない。昔から知っている道なのになんだか急にこわくなって、私は早足で実家への帰り道を急いだ。


 実家の玄関ドアの前に到着してドアノブを回すと、どうやら今回は鍵が掛かっていなかった様で抵抗なく回った。『ただいまー』と部屋に向かって声を掛けると、母が返事を返してくれた。


「おかえり、すみれ。ふみかちゃんの様子はどうだったの?」


「うん、手術の傷は痛そうだったけど、それ以外は元気そうだったよ」


 私がそう答えると、母は少しだけホッとした表情を浮かべた。なおとふみかは私との付き合いが長いので、母にとっても昔から知っている子供だ。ふみかの容態について気にかかっていたのだろう。


 手洗いとうがいを済ませてもう一度部屋に戻ると、そう言えば洋子さんの姿がない事に気付く。あれ? お出かけでもしてるんだろうか。


「お母さん、洋子さんはどこかに出掛けたの?」


「安藤さんなら、せっかくの休暇だし観光してきますって出ていったわよ。6日の朝に迎えに来るってすみれに伝言を頼まれたわよ」


「ええーっ、全然聞いてないんだけど」


 驚いて思わずそんな言葉が口から飛び出てしまったけど、確かに洋子さんにとっては久々のお休みだもんね。観光したりのんびり羽を伸ばして欲しい。そうなると、私は実家でのんびり過ごしていればいいのかな? 両親とも久々に会うし、色々話したい事もある。


「そろそろ夕ごはんの準備する? 私もお手伝いするけど」


 父が帰宅時間は大体決まっていて、夜の6時から6時半の間には帰ってくる。いつもならもう台所で夕食の準備を始めているはずの母がのんびり座っているので、不思議に思ってそう尋ねた。


「今日は裏のおばちゃんが、すみれが帰ってきたから夜のご飯をごちそうしてくれるんだって。だから、今日は食事の準備をしなくていいの。ほら、すみれもまずは座りなさい。色々お話しなきゃいけない事もあるし」


 突然まったく聞いていなかった予定を告げられて、二度目の驚きの声を上げてしまった。おばちゃんやまーくんには後で帰郷の挨拶をするつもりだったのだけど、まさかそこまで歓迎してくれるなんて思ってもみなかった。後でちゃんとお礼を言わなければ。


 母に軽く手を引かれて、クッションの上にすとんと腰を下ろした。確かに話したい事はたくさんあるけれど、私の話はこんな風に改まってするものじゃなくてただの東京のお土産話だったりする。


「安藤さんから色々とお話は聞いたけど、すみれからもちゃんと聞きたいと思ってね。元気だった?」


「お母さんとはこの間会ったばっかりじゃない。特に病気もしてないし、変わらず元気だよ」


 そう答えたものの、ピアノの発表会があったからか母と会ったのがすごく前の話に思える。あの時に事務所のカメラで録画してくれた映像は、事務所のスタッフさんが超特急で編集してくれたので何本かテープにダビングしてもらって、今回の帰省で持って帰ってきている。そこに映っている身としては恥ずかしいけど、おばちゃんの家から戻ってきたら家族で見るのもいいかも。私もまだちゃんと見てないからね、でもピアノ嫌いの父は嫌がるかもしれない。


 それにしても洋子さんは母にどんな話をしたんだろう、特に後ろ暗い事はないので何を言われていても困る事はないのだけど。でもいないところでどんな評価で話をされていたのかは、純粋に気になる。


「安藤さん、すみれの事ベタ褒めだったわよ。聞き分けもいいし、他人を思いやる事もできるって。でも自分の事をないがしろにしがちって言うのはちょっとマイナスだって言ってたわ。お母さんもそう思う」


「別にないがしろにはしてないよ、もう限界だって場合はちゃんと言うし」


「それは自分だけの都合だった場合よね、仕事だったり他の人にも影響がある事だったら、すみれは絶対に無理してでもやり遂げようとするでしょう? それをお母さんも安藤さんも心配しているの、もっと自分の事を大事にしてあげてね」


 『出来なければ出来ないで、その場合は周りの人がどうにかしてくれるわ』と母はぽつりと言った。そういう他力本願な考え方、あんまり好きじゃないんだよね。前世でもこの人のこういう考え方のせいで、面倒事が全部私のところに押し付けられてた訳だし。でも頷かないとエンドレスでこの話が続きそうなので、とりあえずこくりと頷いておいた。


「あとは学校の事だけど、こっちに帰ってこない事は仕方ないにしても、本当に私立の学校に入るの?」


「うん……お金はあずささんが援助してくれるし、不足分は借金って言う形になるだろうけど。例え役者業がダメになっても私が働いてちゃんと返すから、お母さん達は心配しなくていいよ」


「そうは言ってもねぇ……」


 うん、不安なのはわかるよ。突然事情が変わって自分達に借金が覆いかぶさってきたら困るもんね、言葉を濁しているけど母が考えている事は容易に想像できる。私も最初は公立の学校に行こうと思っていたんだけど、仕事との両立とか身の安全とかそういう色んな事を考えると、芸能界で仕事をしている子達が多く通う学校に通った方がいいとあずささんや洋子さんにアドバイスされたのだ。


 その学校は中高一貫校で入学試験を受けるためには在校生の親御さんかOB、または学校関係者からの紹介状が必要らしいのだけど、そこはあずささんのコネでどうにでもなるらしい。恐るべし、大女優のコネ。


 お金に関しては今は学費も生活費も私のギャラから払えてるし、ちょっとずつだけど貯金額も増えているので心配ないと思うんだよね。今度の映画は主演だから多額のギャラも入ってくるし。たとえ映画が鳴かず飛ばずでも、選ばなければ仕事は取ってくる事ができると洋子さんも言っていた。映画の撮影が終わってから中学に入学するまで残り1年前後、コンスタントにお仕事すれば余裕も持てるんじゃないかな?


 姉の学費も払わなきゃいけないし、両親の不安はわかる。だから渋るのも理解できるんだけど、あんまりにも母がグダグダとはっきりしない物言いをするものだから、ダメ押しで一応持ってきていた私名義の通帳を開いて見せた。収入の波はあるけど、2年弱で小学生の女の子が稼げる額ではない数字が印字されている。多分月給換算したら大卒の新社会人と同じぐらい稼いでるかも。もちろん家賃と光熱費があずささん持ちだから、これだけの貯蓄ができてるんだけどね。


 通帳を見せたおかげなのか、それとも私の決意が固いのがわかったからなのかはわからないけれど、結果的に母は納得してくれた。でも両親に安心してもらえる様に、この学校に奨学金制度とか負担を軽減できる制度がないかもう一度あずささんに聞いておこう。




「まぁまぁすー坊、よく帰ってきたわねぇ。おかえりなさい」


 夜、父が帰ってきてから3人で裏のおばちゃんの家へ行くと、おばちゃんは満面の笑みで出迎えてくれた。その上むぎゅうと抱きしめられて、私は思わず『ぐえっ』と女の子らしからぬ声を上げてしまった。だっておばちゃん、兼業農家とは言え農作業に従事する人だから結構力が強いんだよね。私の棒きれみたいな体にそのパワーは少し荷が重いというか、歓迎の気持ちはすごく嬉しいんだけどね。


 おばちゃんから解放されて奥の部屋へと案内されると、そこにはおじちゃんやおじいちゃんおばあちゃんがいて口々に『おかえり』とか『大きく……はなっとらんな、ちゃんと食っとるのか?』とか『前より一段と可愛くなったねぇ』とか声を掛けてくれた。その中に一部不名誉な言葉もあった様な気がしたが、せっかくの再会の場なので聞き流しておこう。ちょっと笑顔が引きつったけど私のコンプレックスをグサリと突き刺したのだ、それくらいは見逃してほしい。


 私がおじちゃん達に挨拶をしておばちゃんにお土産を渡していると、いつの間にかまーくんが部屋の中に入ってきていた。それに私が気付いてまーくんに手をひらひらと振ってみせたが彼はふいと顔を逸らして、上げたかどうかわからない程度にひょいと手を上げてみせた。なんだろう、久々に会ったから距離を測りかねているんだろうか。長年一緒にいる幼なじみなのに、なんか水臭い感じ。


 でも思春期の男子ってこういう感じだった気がしないでもない、私も前世では女の子にどうやって接したらいいのか全然わからなかったもんね。なんだかよそよそしくてちょっと寂しいけど、こういうものだと思って私も合わせるべきなのかな。


 両方の家族が揃ったので全員席について、おじちゃんの『すー坊おかえり!』という音頭に皆でグラスを合わせた。我が家は私はもちろん父もお酒が飲めないので、全員がオレンジジュースを入れてもらった。ちなみに母は普通に飲めるらしいのだが、結婚してからは父に合わせて断酒しているらしい。


 『東京での生活はどうなのか?』という質問から始まって、芸能界やあずささんについての質問が続けざまにおばちゃん達から飛び出す。おじいちゃんおばあちゃんの世代からすると、あずささんはだいぶ年下なんだけど知名度は抜群らしい。若いのにすごい演技力を持った女優さん、というのがこの世代のあずささんに対する共通認識のようだ。


「でもワシはすー坊も大島あずさに負けていないと思ったぞ、ほれ……あの学校のドラマはよう頑張っとった」


「他の子が下手すぎてすー坊だけ浮いてたわよね、もうちょっと演技が上手な子達を集めたらよかったのに」


 おじいちゃんが私を褒めたのに乗っかって、おばちゃんがからかう様に言う。なんだか恥ずかしくなって来た私をよそに、録画してある教育ドラマを皆で見ようとおじちゃんが言い始めた。なにその公開処刑、『なんとかしてよ』という気持ちを込めて視線を母に向けると、母はどうやら上映会に賛成の様で嬉しそうな表情を浮かべていた。


「実は私、まだすみれのドラマをちゃんとは見てないのよね。ひとりで見ると失敗しないか心配で、ハラハラしちゃって」


 母がそう言うとどうやら父も同じだったみたいで、ながら見しかしていなかったようだ。両親はアテにならない、小さい頃から知っている――それどころか前世からの付き合いの――おばちゃん達家族に見守られながら自分が出演しているドラマを見るなんて絶対イヤだ。なんとかこの部屋から逃げ出す方法を考えないと。


 私がアワアワしてるのに気付いたのか、まーくんがそっと近づいてきて私の腕を優しく引っ張って起き上がらせると、有無を言わさずに薄手の上着を被せる。そのまま私の手を引いてまーくんは『ちょっと散歩してくる』とおばちゃん達に言い残すとスタスタと玄関へと歩き始めた。その後ろに引っ張られる格好で、私がヨタヨタとした足取りで続く。


「ちょ、ちょっと待ってまーくん。上着、ちゃんと着たい」


 私が言うと、まーくんは足を止めて掴んでいた手を離した。まーくんの上着だからオーバーサイズにも程があるし、そもそも腕が袖を通っていないのだからスルっと床に滑り落ちそうだったのだ。5月とはいえ、夜になると肌寒く感じるから気遣いはありがたいのだが、どうせならちゃんと羽織りたい。


「まーくんの上着おっきいね、袖から手が出ないよ」


 えへへ、と照れ笑いしながら袖から手が出ずにブラブラしているところを見せると、まーくんは少し気まずそうに私から目を逸らした。なんだろう、直視に耐えられない程不格好なのだろうか。確かに裾が膝の近くにあるから上着がベンチコート状態になってるけども、これは私が小さいのではなくまーくんが大きいのだ。そもそも小学生と中学生、4歳も差があるんだからこれも当然の結果だと開き直る。


 私がそんな事を考えていると、再びまーくんが袖に埋もれた私の手をそっと掴んで玄関へと向かう。靴を履いて庭を通って、敷地内から出る。まーくんに軽く腕を引かれて、お互い無言で歩くことしばし。家の近くにはため池があって、その周囲はのんびり散歩が出来る様に整備されている。街灯もほぼゼロなので真っ暗なのだけど、夜空に浮かぶ星がとてもキレイに見える。


「まーくんは最近どう? 中学校って楽しい?」


 無言で歩いているのもなんだか気まずいので、私から話題を振った。まーくんが通っている中学校は私が前世で通っていたところだ。私が在籍していた時より荒れていた頃だけど、まーくんはうまくやれているのだろうか。そう言えば前世も含めて、まーくんとちゃんとこんな話をするのは初めてかもしれない。


「部活ばっかりだな、ずっとラッパ吹いてる」


 苦笑しながらそう言ったまーくんは、ポツリポツリと話し始めた。前世と同じく吹奏楽部でトランペットを吹いているらしいまーくんは、去年は関西大会まで行けたらしい。私が『すごいね!』と言うと、どうやらまーくんはこの結果に満足していなかったらしく小さく首を振った。1年生だったし、自分の力がその結果に寄与できたとは思えないらしい。


 でも中学3年間頑張っても地方大会でダメ金すら取れなかった私からすれば、1年生で大舞台を経験したっていうのはすごいと思うんだけどなぁ。ちょっぴり不満そうな表情を浮かべた私を見て、まーくんは『すみれの方がすごいだろ、テレビに出てるんだから』とどことなく遠い目をしながら言った。あれ、今まーくん……私の事をすー坊じゃなくてすみれって呼んだ?


「すみれももう5年生だし、いつまでもすー坊って呼ぶのも変だろ」


「なんでまーくんは私の考えてる事が、そんなにすぐわかるの?」


「すみれの事、誰よりもよく見てるからな。いいか、忘れるなよ……すみれの事を一番わかってる男は俺だからな」


 まーくんがそう言うと共に、私の腕を掴んでいるまーくんの手にも力が籠もった。なんだろう、前世も含めて長い時間を一緒に過ごしたのに、今のまーくんはこれまで一度も見たことがない表情を浮かべていた。その言葉の勢いに圧される様に頷くと、まーくんはいつもと同じ表情を浮かべて、また歩き出した。


 少しだけ上下に揺れる彼の背中を見つめながら、私はこれまでに感じた事のない胸のざわめきを覚える。その正体がこれまでの当たり前が崩れてしまいそうな、不変だと思っていた関係が変わってしまいそうな、そんな漠然とした不安だと言うことにこの時の私はまだ気付いていなかった。

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