39――すみれの発表会(洋子視点)


 私は幼い頃から歌う事が好きだった。だから両親や祖父母の言う通り、近場だったり少し離れた場所で行われるのど自慢大会に出場し、優勝を掻っ攫っていた。


 歌うと心の中にあるモヤモヤしたものもどこかに飛んでいくし、何より優勝すると両親や祖父母がチヤホヤと甘やかしてくれたから。その代わり2位になると叱られたり無視されたりするのは辛かったけどね、段々となんで趣味でやってる事に対して両親達に口出しされなければならないのかとイライラし始めた。


 そのイライラを家族に向けて爆発させる前に、小学校を卒業する少し前に東京からレコード会社の人が訪ねてきて、私は作曲家の方の内弟子になりデビューを目指す事が決まった。両親や祖父母はこの事を喜んでくれたけれど、私はこの家を出て彼らと離れて暮らせるのが何よりも嬉しかった。その頃には大好きだった歌が家から独立する為の道具に成り下がっていて、私には色褪せたものに感じていた。


 そんな状態で歌手として成功できる訳もなく、私は中学1年生で曲をもらってデビューしたものの、残念ながら鳴かず飛ばずの散々の結果に終わった。高校卒業まで公私共に面倒を見てくれた作曲家の先生とその奥さんには、本当に頭が上がらない。結局高校卒業と共に歌手を引退し、私は短大へと進学した。


 がむしゃらに勉強に精を出して、気がつくと成績優秀者として表彰される程になっていた。そして将来何をしたいのかを考えた時に、私はうまくいかなかったけれど芸能界で頑張る誰かを影から支えたい、そんな気持ちが私の中に生まれていた。


 先生や奥さんとは芸能界を引退してからも定期的に会っていた。その日も先生の家に呼ばれて奥さんの手料理をごちそうになっていて、その最中にそんな気持ちを先生達に打ち明けた。すると先生は『知り合いにプロダクションをやっている人がいるから紹介するよ』と言ってくれて、日本人ならおそらく誰もが知ってる程の有名な女優である、大島あずささんに会わせてくれた。


 レトロな喫茶店で先生に付き添われて彼女にお会いしたのだけれど、私の身の上話やしたい事を親身になって聞いてくれて、気がつけばマネージャー見習いとしてプロダクションに就職させてもらえる事になっていた。


 1年目は大島さんの正マネージャーについて仕事を学ばせてもらう毎日、優しい50代の女性だったのだけれど体の具合があまり良くなく、後継者を探していたとの事だった。なるべく早く私が使える様になって、彼女に楽をさせてあげたい。そんな一心で仕事に励み、2年目からは私があずささんの正マネージャーとして存分に仕事に邁進した。前マネージャーさんが辞めてしまって心細かったけれど、他のスタッフさん達も支えてくれてなんとかやっていく事ができた。


 テレビ局のお偉いさんやタレントさん、制作会社のスタッフさんや広告代理店の方。様々な人達に顔を覚えてもらって、新人と舐められずに私が意見を言える様になるまで更に2年。事務所のエースマネージャーなんて影で噂をされるくらいになれたのは、私が24歳の頃だった。


 あずささんが自身の後継者を求めている事は、業界に務めているなら知らない人はいないだろう。親切心なのか取り入ろうとしているのかはわからないが、子役として才能がありそうな子供達がうちのプロダクションに預けられる事がある。これまでは他のマネージャーが付いて仕事をさせていたのだが、いかんせん子供達は厳しくするとすぐにヘソを曲げて辞めてしまう。


 私もあずささんの担当から外れて2年ほど子役の子達を担当したのだが、うまくいかなかった。厳しくするとすぐにへこたれる、優しくすると付け上がる。子供というのは本当に難しいものだ。


 結局子役をプロダクションに入れる時はあずささんが事前に審査を行い、そのお眼鏡に適う子のみを採用するという事になった。紹介する側としても欲しいのはあずささんとのコネクションであって、不興を買いたい訳ではないのだ。相変わらず紹介はされるものの、あずささんの審査は厳しくほとんどの子供達は不合格になって帰っていく日々が続く。


 うちに移籍した時にはもう大人だった愛はもちろん、真帆や菜月の高校入学組ぐらいになるとプロ意識とか意地とか根性とか、そういう物をうまく使って仕事を頑張ってくれるんだけどね。小学生や中学生でそれを理解して頑張ろうと思う子は稀だ。


 このシステムになってから初めての合格者は、栗田由美子という児童劇団出身の女の子だった。希望が舞台役者だったから私はあまり絡む事はなかったのだけど、素直な良い子という印象だ。でも芯はしっかりしていて、真帆達が構いまくっていたので寮にも仕事にもすぐ馴染んでいた。


「松田すみれです、よろしくお願いします」


 その1年後、私にとっては運命の出会いが待っていた。母親に付き添われてプロダクションを訪れた少女は、礼儀正しくペコリと私の目の前で頭を下げた。第一印象は似てない親子だな、と失礼な感想を抱いた。多分パーツで見れば似ているのだろうけど田舎の中年女性という雰囲気の母親に比べて、すみれと名乗った少女は愛らしい人形の様に容姿が整っていた。神様が手元にある有り合わせの素材で、渾身の美少女を作り上げたらこうなるのかな、なんてつまらない考えが頭をよぎる。


 あずささん自らが私に担当になる様に頼んできたという事は、よほどこの少女に期待しているのだろう。この時は真帆と菜月のマネジメントを暫定的に請け負っていたのだけど、すぐさまそれは別の人に譲って私は松田すみれの専属マネージャーとして活動を始めた。


 担当タレントとあんまり仲良くなりすぎるのもよくないのだけど、この子とは長い付き合いになるだろうと直感した私は、とりあえずすみれという少女をよく知る事を最初の目標とした。可愛くて華奢な外見と違って、すみれは芯がしっかりした女の子だった。上京して行われたあずささんの特訓にも弱音を吐かずに、歯を食いしばって食らいつく。かと言って我が強い訳ではなく、周囲によく気を遣い和を作る事にも長けている。


 寮の責任者である愛や高校生組の真帆と菜月、そしてこれまで末っ子扱いで甘やかされていたユミまでもがすみれにメロメロになっていた。かく言う私も大人の様にプロ意識を持って仕事に取り組む癖に、オフでは普通の子供の様に甘えてくる彼女のギャップにしっかりとやられていた。だって可愛いんだもの、結婚なんて生涯するつもりはなかったけれど、自分の娘が欲しくなるぐらいにはノックアウトされた。


 すみれがこの小さな体に秘めている才能はいくつあるのだろう、花見の時にはオリジナルの曲を伴奏なしで披露してくれたのには衝撃が走った。歌唱自体は素人にしては上手かなというレベルだったけれど、作詞作曲能力はプロと見まごうばかりだった。何かの仕事に繋がるかと録音していたカセットテープレコーダーを、思わず握りしめてしまった程だ。


 さすがに先生に聞かせる勇気はなかった私は、先生の後輩で私が歌手をしていた頃に曲を提供してくれた作曲家に話を持っていくと、是非会いたいという話になった。色々あって現在は飲み友達な彼はいい加減だしパッパラパーな性格をしているけれど、音楽に関しては真面目だ。


 彼に問い詰められたすみれは『昔から繰り返し見る夢の中で聞いた曲』だと言っていたが、そんな不思議な事があるだろうか。でも本人曰く作曲も作詞も勉強した事はないと言うし、そういうものかと納得するしかない。こういう不思議なところもすみれの魅力なのかな、と私は自分に言い聞かせる事にした。すみれには『こういう事をする時は事前に言ってください』って叱られちゃったけどね。


 それからもすみれはめきめき頭角を現していき、神崎監督の映画の主演オーディションでは日本で三指に入る子役にも演技で打ち勝った。あの時の演技は鳥肌だったなぁ、だってすみれの背後にあるはずがない海と砂浜が見えたもの。あれにはすみれの主演に反対していたスポンサーのおじいちゃん達もポカーンとしてたもの、いい気味だったわ。


 ただそこからがすみれの苦難の道で、神崎監督の無理難題によって水泳とピアノを撮影までに出来るようになれという指令が下された。痩せてて脂肪の少ないすみれは水に浮く事にすごく苦労していたけど、コツを掴んだ後はあっという間に泳げるようになっていた。泳ぎ方がキレイなのでコーチからもお墨付きが出て、今は泳げる距離を伸ばす方向で努力を続けている。あそこまでひたむきに頑張れるというのもすみれの強みなんだろうね。


 水泳に輪をかけて努力したのがピアノだ、こればっかりは付け焼き刃でプロみたいに弾けるというものではない。琴音先生という強い味方を得て順調にピアノを習熟していたすみれだったけれど、ここでまた監督の無理難題が飛び込んできた。本番さながらの状況ですみれの演奏を聞かせろと言うのだ、この時ばかりは『いい加減にしろ』と監督の横っ面を張り飛ばしたくなった……しなかったけれど。


 まだ小学生のすみれにどれだけの重荷を課すつもりなんだろうと腹立たしくもなるが、指示が出てしまえばどうにかするしかない。琴音先生に相談して、ちょうど予定されている音楽教室の発表会にすみれを出演させてもらえる事ができた。もともとすみれにも参加する権利はあったのだが、まだ早いだろうと琴音先生が断っていた経緯があったらしい。


 『私はすみれちゃんを伸び伸び育てたいんです、映画の撮影が終わってもピアノを続けてもらいたいですからね』とにこやかに笑っていたが、すみれは役者ですからね。ピアニストにはしませんからね!


 強制的に発表会に出演させられる事が決まったすみれは、これまで以上に練習に打ち込む様になった。その姿に鬼気迫る物を感じながらしばらくは見守っていたのだけれど、なんとなくこのままだとすみれが潰れてしまいそうな不安を感じた私は、数日でもすみれをピアノから離す事を決意する。


 ちょうど京都での断れない仕事が入っていたので、それを使ってすみれを説得した。その途中ですみれが泣いてしまって罪悪感と母性をくすぐられて思わず抱きしめてしまったけれど、すみれが可愛すぎるのが悪いのであって私は悪くないと思う。同い年の他の子供よりも幼げなすみれだけれど、抱きしめた時にほんの少し体が柔らかく丸みを帯び始めている事に気づく。いつまでも小さくて可愛いすみれでいて欲しい気持ちと成長を喜ぶ気持ちの両方があって、私はすごく複雑な気持ちになった。


 最初はあまり乗り気ではなかったすみれだったけれど、京都で過ごすうちに気が晴れたのかキラキラと輝く笑顔を見せてくれる様になった。無理やりに近かったけれど、連れてきてよかったなと自分の判断を褒める。でもすみれ、料亭で舞妓さんに色々と熱心に質問していたけれど、舞妓になりたいとか言い出さないわよね?


 京都から帰ってきてからはすみれもリラックスした様子で練習に励み、これまでよりも効率よく発表会で弾く曲を練習できたようだ。新学期になってどうやら親友の透歌ちゃんや親しい友達とも同じクラスになったようで、すみれは気力を漲らせた様子で追い込みのレッスンをこなす。


 そしていよいよ今日、すみれは初めての発表会当日を迎えた。教室に通っている一般の受講生の家族や友人と芸能プロダクション関係者が来場するため、主催者側もハコのキャパに余裕を持ちたかったのだろう。最大800人が収容できる、大きめのホールが会場として選ばれた。


 すみれは控室で白いワンピースを身に纏って、落ち着かない様子でスカートの裾を触っている。胸元に小さなバラのモチーフがたくさん飾られていて、肩紐や首元はフリルで飾られている。スカートは2枚重ねになっていて、重ねられたレースが華やかな印象を与える。琴音先生から譲り受けた物だが、すみれに合わせてオーダーしたかの様によく似合っていた。サイズがすみれには少し大きかったから、調節はしてもらったのだけどね。


 想像していたよりも緊張している様には見えないすみれを琴音先生に任せて、私は自分の仕事を全うする為にエントランスホールへと向かう。早めに移動したつもりだったのだが、既にお迎えする予定だった監督が大きな花束を持ってそこに立っていた。


「やあ、安藤さん。どうかな、すみれくんの調子は」


 気楽な様子でそんな事を宣う監督の頬をまたも思いっきり引っ叩きたくなったが、私は必死に理性を動員して抑え込む。この人の思いつきのせいですみれがあれだけ追い込まれて、涙を流す事になったのだ。恨み言のひとつも言ってやりたい、すみれはそんな事は望まないだろうから実際には何もしないけど。


 挨拶をされて気付いたが、監督の隣に小柄な女性が立っていた。話を聞くと映画の撮影期間にすみれのピアノを指導してくれるピアニストの方だそうだ、彼女には特に思うところはないので愛想よく挨拶をしておく。好印象を与えておけば大事なすみれに無理な指導はしないだろう、という下心もあるのだけどそれは置いておいて。


 ふたりを伴って客席に向かうとちょうど前の出演者の演奏が終わったところだったので、他の方の迷惑にならずに席に座る事ができた。この会場には今日の予定しごとがなかった真帆と菜月が来ていて、うちの事務所からもビデオカメラを持った撮影班がスタンバイしている。あずささん自らが一番高くて性能がいいカメラを使っていいという許可を出していたので、いい映像を撮ってくれる事だろう。


 すみれの出番まであと3人、子供達のピアノ演奏を聴きながらその時を待つ。すみれと同い年ぐらいの子達の演奏は、さすがに年季が入っているのかとても上手だ。でもうちのすみれだって負けてないんだから、と拳を握りしめながら心の中で応援する。


 そしていよいよすみれの出番だ。ステージの下手しもて側からスポットライトを浴びて歩くすみれは、いつもよりキラキラと光っている様に見える。観客席からも暖かい拍手に迎えられて、少しだけすみれの表情に笑みが浮かんだ。


 ピアノの前の椅子にゆっくりと腰をかけて、すみれはひと呼吸置いてから鍵盤の上に指を滑らせた。うん、緊張はしていない。いつも通りのすみれらしい柔らかい音が、ホールに響き渡る。体を揺らしながら弾くすみれの姿は、うっとりと見惚れてしまうぐらいに美しかった。後ろの席に座る誰かから、感嘆のため息がもれるのが耳に入る。


 まだ半年しかピアノ歴がない子供とは思えないくらい、すみれの演奏はしっかりしていた。でもそれは当たり前だと思う、普通の子供が練習するよりもたくさんの時間を費やし、集中して練習していたのだから。この曲はベートーベンが愛したテレーゼという女性に向けた曲というのが有力な説だが、すみれの演奏は愛は愛でも家族愛や親愛といったポカポカと暖かい感情が表現されている様な気がした。聴いていると自然と頬がほころぶ様な、そんなぬくもりがある。


 曲を余韻たっぷりに終わらせたすみれは、椅子から立ち上がって舞台の中央でゆっくりとお辞儀をした。そんな姿を見ていると、思わず目頭が熱くなる。私の涙腺が決壊しかけていたその時、隣の席に座っていた神崎監督がいきなり立ち上がって『ブラボー!』と叫んだ後、誰よりも大きな拍手をすみれに送った。


 びっくりして今にも溢れ出しそうな涙は引っ込んでしまったけど、私も彼に負けない様に手が痛くなるくらいの大きな拍手をすみれに贈った。その姿が上手かみてに消えるまで、客席からの拍手が鳴り止むことはなかった。

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