32――寮に帰ってからのひと騒動
「まさか合格できるとは思わなかったなぁ……」
帰りの新幹線の中で思わず呟いた私に、隣で手帳をめくりながら何やら書き込んでいた洋子さんがクスクスと笑った。
「見てるこっちにしてみれば、即興劇の時点で『決まった!』って思うくらいデキがよかったからね。あなたが実力で掴み取ったのだから、自信を持ちなさい」
私の頭をぽんぽんと撫でながら洋子さんに褒められたけれど、とてもじゃないが自信なんて持てない。何故ならあれだけの演技が出来たのは偶然の産物であって、私の普段の実力ではないからだ。
狙っていつもあのクオリティで表現できる様になれば、自信になるんだけどね。その為にはもっともっと稽古もお仕事もこなして経験を積まないといけない。
あの後しばらくの休憩を挟んで神崎監督から聞いたところによると、クランクインまではあと1年程時間が必要だという事だった。私には詳細はわからないけれど、色々な準備とか調整とかに時間が掛かるであろうことは想像できる。本来このオーディションも一部スポンサーから異議が出なければ、もう少し後に行われるはずだった事も聞いた。
そうそう、反対派だった社長さん達からも謝罪を含めて挨拶されたのだけれど、オーディション前に話しかけてきた京都弁のおじいちゃん社長が反対派のリーダーだったんだって。物腰が柔らかかったからあんまりそうは思わなかったんだけど、あれは京都の人特有の『いけず』だったんだとか。簡単に言うと軽い嫌味みたいな感じだと思ってもらえれば、わかりやすいかもしれない。
あの時に可愛らしいって言われたのは、要約すると『外見は可愛らしいけど、演技なんて出来るの? 恥をかく前に帰ったほうがいいんじゃない?』みたいな意味が含まれていたのだとか。
なんとか見返してやる事ができたからいいんだけど、後でこんな話を言った本人から聞かされる方がなんというかモヤっとする。まぁ、私は大人だから表情には出さないけどね。
しかしさすが戦後日本がすごい好景気だったとは言え、様々なトラブルを乗り越えて会社を大きくした社長さん達だ。反対派は揃ってコロッと手のひらを返して、私にこんな事を言ってきた。
「すみれちゃん、ワシはできる子やって信じとったで! 是非ともウチの会社のCMにも出てくれへんか?」
「おい、抜け駆けはずっこいで! すみれちゃん、ウチのCMにも出てくれるやんな!!」
おっさん達にもみくちゃにされても全然嬉しくないので、もう全部まるごと洋子さんに丸投げした。スケジュール的な事もあるから、私が勝手に返事をする訳にはいかないしね。洋子さんのホクホク顔から察するに、結構な数のオファーがもらえたみたいだからお互いにWinWinでよかったのかも。
最後は『今後ともよろしくお願いします』と営業スマイルで挨拶して、監督や社長さんの前を辞してそのまま新大阪駅へ。洋子さんからは『せっかく近くに来たんだから、両親に会ってから帰ったら?』と言われたんだけど、その時点でもう夕方になりかけてたので遠慮した。私の中の大人な部分は両親に会えなくても大丈夫だしその理由にも納得してるんだけど、ほんの少しだけ存在する子供の部分が癇癪を起こしているのがわかる。
なんで姉の事をちゃんとしてくれないのか。両親は私と会えなくても平気なのか、友達にも気軽に会えないし早くなんとかしてほしい。そんな事を心の奥底で叫ぶ幼い私がいて、その度に『仕方がない事なんだよ』と大人の私が慰めているんだけど、このままだといつかは爆発しちゃうかもしれない。そうなる前に両親には頑張ってもらって、なんとか事態の解決に動いてもらいたいと願う。私もできるだけ爆発しない様に、この子を優しく慰め続けるので。
そして新大阪駅の構内でおみやげを買って新幹線に乗り込み、現在に至るという訳だ。何を買おうか迷ったけど、結局は美味しそうなお菓子にした。大阪土産といえば豚まんとかたこ焼きとかがパッと頭に浮かぶが、個包装されてて分けやすいのがいいんじゃないかという結論に達して、寮のみんなにはゴーフルを買った。大島さんとトヨさんには、それぞれどら焼きを一箱ずつ。それなりに稼いでいるので、お土産ぐらいは自分のお金で買わないとね。
透歌達には夏休み中に会えないかもしれないから、食べ物じゃなくて可愛い動物型のキーホルダーにした。いらないかもしれないけど、キーホルダーならいつか出番が来るんじゃないかな。引き出しの肥やしにされるならまだしも、捨てられる事がない様に祈りたいところ。
そんな事を考えていると、新幹線は東京駅に到着した。考え事をしていると、本当にあっという間だ。洋子さんも仕事について手帳に何かをまとめていたので、集中していたのか東京駅に着いた事に気づいていなかったみたい。
終点だからそこまで急ぐ必要はないんだけど、ふたりで慌てて身支度を整えて車両から降りた。両手に荷物を持ちながら、タクシー乗り場の待機列に並ぶ。ちょうど帰宅ラッシュの時間帯に重なってしまった為に、40分程待ち続けてようやく私達の番がやってきた。タクシーに乗り込んで、洋子さんが行き先を告げるとゆるゆるとタクシーが動き出す。
ところどころ渋滞していたので35分程掛かったが、問題なく寮まで帰りつけた。ここで私だけ降りて、洋子さんはこのまま自宅に直帰するらしい。
「それじゃあ、すみれ。ゆっくり休むのよ、明後日からまた仕事だからね」
「大丈夫です、わかってます。洋子さんこそ、早く帰って休んでくださいね」
お互いにいたわりの言葉を掛け合って、タクシーが走り去るのを見送ってから門をくぐって中に入った。あれ、なんだか本邸の方がいつもより暗い。大島さん、お仕事でいらっしゃらないのかな?
小首を傾げながらも寮に入ると、ただいまを言う間もなくガバッと誰かに抱きつかれた。突然の事に声をあげる事もできず体を硬直させていると、頭の上から聞き慣れた声がした。
「すみれ~、おなかがすいたよ~」
「……
とりあえず泥棒とか痴漢ではなかった事に、固まっていた体が弛緩する。落ち着けば男性の体じゃないって、すぐにわかるんだけどね。女の子らしくいい匂いがするし、触れている体も柔らかいのだから。
私が声を掛けた事によって抱きつかれていた体との間に少しだけ隙間ができたので、そこから見上げるとサラサラの髪と見慣れた顔があった。寮生の中にいる女子高生コンビのうちのひとり、
「何があったんですか? 今日はトヨさんのご飯がない日でしたっけ?」
「ううん、本当なら夜ご飯作ってから帰ってくれるはずだったんだけどね。なんか急用ができたらしくて、食事を用意する前に帰っちゃったんだよ」
眉尻を下げながら言う真帆さんに、私もちょっと不安になる。とりあえず私に後ろから覆いかぶさる様にしたままくっついている真帆さんを引きずりながらリビングに行くと、もうひとりの女子高生寮生の
「菜月さん、生きてますかー?」
「お腹が減って死にそうだよ……」
とりあえず背中にくっついている真帆さんに菜月さんの体を起こす様に言い、私はテーブルの上にゴーフルの箱を置いた。包装紙を適当に破って蓋を開けると、個包装されたゴーフルが30枚ぐらい入っている。とりあえず一番大きいサイズのを買ってきてよかったなぁと、結果論ながらしみじみ思う。
「しばらくこれでも食べて凌いでてください。本邸の冷蔵庫から食材をもらってきて、何か作りますから。あ、これ愛さんとユミさんの分も入ってますから、全部食べないでくださいね」
「「はぁい」」
仲良く返事をした女子高生ふたりにため息をつきながら、私は荷物を持ってまずは自分の部屋へ向かう。オーディションや移動で汗をかいたから、サマーワンピースからTシャツとショートパンツに着替える。ちなみにこの大きめのTシャツはユミさんからのお下がりで、主にパジャマや部屋着に活用させてもらっている。ユミさんが一昨年ぐらいに着てたものらしく、私が着ると結構なブカブカ加減だ。例えて言うなら、前世で一時期流行っていた彼シャツみたいな感じになっている。
ついでに髪を適当にひとつに纏めて、洗面所で手洗いうがいを済ませる。その足で本邸に向かって、冷蔵庫の中から使えそうな食材をいくつかとその他に使えそうなものを回収して寮に戻った。トヨさんの献立に影響が出るかもしれないけど、使った分に関しては明日の午前中にでもスーパーに行って補充しておこう。残念ながらこの時間だと近所のスーパーはもう閉店しちゃってるんだよね。
再び寮に戻ってくると、リビングではぐうたら女子高生ふたりがゴーフルを食べて落ち着いたのか、まったりとした雰囲気でくつろいでいる。ちょっとぐらいは手伝ったらいいのに、と普通ならば思うのだが、このふたりは家事が壊滅的にダメな女子だから手伝ってもらったら余計に手間が増えてしまうのでスルーしておく。そう言えば私もまだ夜ごはん食べてなかった、新大阪で豚まんをひとつ食べて結構お腹いっぱいになったからあんまり気にしてなかったんだけど、こうして料理を始めると胃がちょっとだけ自己主張を始める。
中華鍋なんて専門的なものはこの寮には存在しないので、普通のフライパンで焼き飯を作る。野菜置き場からもらってきたたまねぎをみじん切りにして、焼豚の代わりにソーセージも輪切りにする。冷凍庫で余らせていたであろう冷ご飯をレンジで解凍して、溶き卵と絡ませる。
まずはご飯をフライパンに入れて炒めた後、たまねぎやソーセージを投入。本当なら青ネギも入れたいんだけど、今日は省略で。醤油や塩・胡椒で味付けをして、最後にちょっとだけごま油を入れるのが松田家流だ。これで焼き飯は完成、フライパンを洗ってあともう一品作る。戸棚にインスタントの麻婆豆腐の素があったので、フライパンを火にかけながらさいの目切りにした木綿豆腐と合わせてひと煮立ち、最後に片栗粉を混ぜればあっという間に出来上がりだ。
「できましたよー。思いがけず中華一色になっちゃいましたけど、それでもよければどうぞ」
リビングとキッチンを何往復かして、テーブルの上に出来上がった料理を並べた。すると真帆さんと菜月さんから歓声があがり、むさぼりつくように焼き飯を口にかき入れた。
私もふたりの量に比べると3分の1くらいに盛った自分の皿から、レンゲで焼き飯ひと口分を口に運ぶ。うん、なかなか上手にできてる。小皿に麻婆豆腐もよそって食べたが、インスタントらしくいつもと変わらない信頼のおいしさだった。
「愛さんとユミさんの分の夜ごはん、用意しておかなくても大丈夫ですか?」
「大丈夫、愛さんは飲みに行くらしくて、ユミは劇団の人達とごはん食べてくるって」
私の質問に真帆さんがもぐもぐと焼き飯を食べながら答えてくれた、朝ごはんは食パンがあったから大丈夫かな? それよりも急いで家に帰ったトヨさんが心配だ、何事もなければいいんだけど。
さっき本邸に行った時に大島さんの予定が書かれた掲示板を確認したら、今日は夜遅くまで仕事で食事はいらない旨が書かれていた。帰りは深夜だろうし、明日は多分起きてくるのも遅いだろう。明日トヨさんが何事もなく出勤してきたら、必要な物を聞いて買い物に行ってお手伝いしよう。洋子さんから大島さんにオーディションの結果は報告されるだろうけど、私からもちゃんと自分の口で報告した方がいいだろうし、帰ってきて早々忙しくなってきた。
食事を終えた後はちょっとだけ休憩して、食べ終わった食器を洗って水切棚に並べる。蛇口をキュッと閉めてんーっと伸びをしていると、突然脇の下から手が伸びてきてひょいっと私の体が持ち上げられる。
「よーし、それじゃあおいしいごはんのお礼に、お姉さん達ふたりがすみれをキレイにしてあげましょうねー」
「あ、後で自分で入るからいいです! はなしてくださいってば」
「諦めなさい、すみれ。真帆がこうなったら、誰にも止められないって知ってるでしょ」
「関係ない風を装ってるけど、菜月さんが手に持ってるの、私の下着じゃないですか!」
共犯じゃん、ひどい裏切りだ。私は頑張って抵抗したんだけど、女子高生ふたりの力に貧相なこの体では勝てる訳はなく。大人しく頭のてっぺんから足の指の先までキレイに洗われる羽目になってしまった。ちゃんとお礼にふたりの背中も流し返してあげたけどね、もうちょっと背が欲しいなと切実に思った。
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