31――オーディションと不思議な感覚


 百貨店のお食事処フロアでお昼ごはんを食べて、しばし休憩。お腹もいい感じにこなれて来たので、化粧室で身だしなみを整えてデパートを出る。


 目的地までは地下鉄で移動したら早く安く移動できるのだけどこれからオーディションという事もあって、汗をかいたり髪や服が乱れるのを嫌った洋子さんの提案で今日もタクシー移動だ。


 経費だから気にしなくてもいいと言われても、大島さんの事務所から出ているお金だからやっぱり申し訳ない気がしてくる。頑張ってお仕事をこなして、たくさん恩返ししなきゃ。


 そんな気負いが顔に出ていたのか、洋子さんが突然こんな事を言い出した。


「さっきのデパートのエレベーターさ、エレベーターガールの人がいたでしょ? 中学校の頃はエレベーターガールになりたかったのよ、私」


 オーディションを控えている私の緊張をほぐそうとしているのか、それとも手持ち無沙汰なのか。突然そんなカミングアウトをされて、私は『そうなんですか』としか言えなかった。


 でもあと10年もしないうちに、エレベーターガールという仕事はなくなってしまう業種だ。そうなると再就職とか配置転換で大変だったと思うし、もしもエレベーターガールになってたら私が洋子さんと会えなかったから、諦めてくれてよかったなと思う。


 そんな雑談をしていると目的地付近に到着したので、運転手さんにお礼を言ってタクシーから降りる。続いて料金を支払い終えた洋子さんが降りてきて、一緒に目の前の背が高いビルに入った。


 ロビーにカウンターがあり揃いの制服を着た受付嬢がにこやかに微笑んでいたので、そこに歩み寄って洋子さんが用件を告げる。ゲストと書かれた名札を渡された後に15階の会議室へどうぞと言われたので、名札を胸に付けてエレベーターに乗って指示された会議室へと向かう。


 社内を勝手に部外者が歩きまわって大丈夫なのかな、ちょっとだけ不安になる。でも受付嬢の人達も多分他の事で忙しいんだろうし、許可は取ってあるのだから叱られる事はないだろう。


「緊張しなくても大丈夫よ、いつも通りのすみれでいれば結果は自ずと付いてくるわ」


「……はい、ありがとうございます」


 確かにちょっと肩に力が入っている様な気がして、大きく息を吸って深呼吸する。そうだよね、いつも通りの私で演じて、それで無理だったら仕方がない。神崎監督には申し訳ないけれど、その時は恩返しは別の機会で勘弁してもらおう。


 エレベーターから降りるとなんと神崎監督が待ってくれていて、すごくびっくりした。


「そろそろ来る頃だと思ってね、今日はよろしく頼むよ」


「できる限りがんばります!」


 これが私の精一杯の決意表明だった。本当は『任せてください』って自信たっぷりに言えたらいいんだけどね、残念ながら生来の性格が慎重だから、無責任な放言はできない。ましてや恩人に対してなんだから、誠実でありたいし。


 神崎監督の後に続くと、少し広めの会議室に辿り着いた。中には6人の中年から定年間近ぐらいの男性達と、親子ぐらいの年の差の女性と女の子がいた。女の子は多分私と同じか1つ年上ぐらいの年の頃で、女性は30代半ばぐらいの雰囲気だ。


 というか、あの子って『安野結花あんのゆうか』ちゃんだよね? 多分子役やってる女の子では知名度は三本の指に入るくらいの実力派で、子役とかに興味が殆どなかった前世の私でも顔と名前が一致していたぐらいの有名人だ。確か女優になって、大人になってからも引き続き芸能界で頑張ってた記憶がある。


 なるほど、そりゃ結花ちゃんと私を天秤にかけたら、そりゃあ大部分の人が結花ちゃんを選ぶよね。なんというか神崎監督、駆け出しの私が勝負できる相手じゃないんですけど……結花ちゃんサイドが出演したいって言ってくれてるなら、私との約束なんてうっちゃってその話に乗ってしまった方が良いと思うよ。


 そんな風に内心では大混乱な私だったけど、頑張ってポーカーフェイスで表には出さずに、神崎監督に紹介されるままに皆様にぺこりと頭を下げる。


「はじめまして、松田すみれと申します。本日はよろしくお願いします!」


 なるべく元気にハキハキとを心がけて小学生らしく挨拶すると、パッと見て年齢が上の方が何人か相好を崩した。自分の事ながら外見が良いって得だよね、中身がこんな風だって知られてなければおじいちゃんおばあちゃんキラーになれそうな気がする。いや、実際父方祖父母と母方祖母には可愛がってもらってるんだけどね。


「さすが神崎監督が推薦するだけはあるね、可愛かいらしい子やわ」


 老紳士、といった風体の男性が監督にそう声を掛ける。言葉のアクセント的に京都の人かな、物腰は柔らかいけれどオーラを感じる。昨日聞いた話だとここにいる人達は監督の映画に出資してくれた方々らしいので、やはりタダ者ではないのだろう。


「それでは、皆様忙しい時間を割いて来て頂いている事ですし、早速オーディションを開始させて頂きます」


 神崎監督が口を開いてそう口火を切り、説明を始めた。私と結花ちゃんはテーマに沿った即興劇エチュードと用意をされた台本を元に演技をして、評価を競うという流れの様だ。


 審査員は6人の社長さんに神崎監督を足した7人で行い、ふたつの演技をまとめて評価して、支持された数が多かった方がヒロイン役を手にするといった寸法らしい。


 最初は即興劇からという事で、私と結花ちゃんでジャンケンをしてどちらが先に演技をするかを決めた。私がチョキで結花ちゃんがパー、先でも後でもどちらでもよかった私としては、強いて言えば結花ちゃんの演技を意識せずにいられる先攻の方がいいのかな。という事で先攻を選択、特に揉める事もなく順番が決まった。


 社長さん達が審査員席に見立てた席に座って何やら資料などを渡されて準備している間に、私と結花ちゃんにはどういう演技をするかというプラン作成の時間を与えられた。テーマは海で遊ぶ少女、1分間の演技時間でそれを見ている人に伝わる様に演じなければならない。


 母方の祖母は島で一人暮らししていて、家のすぐそばがビーチとして開放されている場所だったので、前世ではよく泳ぎに行った記憶がある。現世でも2回ぐらいはそこの海に入って遊んだので、海辺の感覚っていうのはよくわかっている。その時の匂いや空気、海の水の温度や感触をできるだけ思い出す。


「あなたも大変ね、こんなところまで呼び出されて」


 突然そう声を掛けられて、脳裏に広がっていた海の情報がフッとかき消える。声がした方を振り返ると、結花ちゃんが少しだけ笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「結花さんも東京から来られたんですか?」


「ええ、しかも始発の新幹線でね。でも神崎監督の映画に主役として出られるんだから、早起きぐらいは我慢するけど」


 確か私よりひとつ歳上だった気がしたので、咄嗟にさん付けで話しかける。どうやらそれは正解だった様で、彼女は特に機嫌を損ねた様子もなく言葉を続けた。


 どうやら結花ちゃんの中では既に勝負は決していて、彼女が選ばれる事が決まってしまっている様だ。キャリアも知名度もあちらの方が上だもんね、そう思うのは仕方がないのかもしれないけれど、ちょっとだけイラッとする。


「お互いに頑張りましょうね。今回は残念だったけど、あなたならその内いい役に巡り会えるわよ」


「……はい、ありがとうございます」


 大人だからね、更にイラッとする言葉で追撃されたけれど、にこやかに笑顔を浮かべてペコリと頭も下げる。そりゃあ面白くはないけど、ここで言い返してケンカしたところで、私には何の得もないのだから。気持ちを落ち着かせて再度海の光景を脳裏に思い浮かべる。


 即興劇は大島さんとのレッスンで何度も経験済みだ。結花ちゃんに勝つとか負けるじゃなくて、自分に出来る一番良い演技を皆さんに見せる事を一番の目的にしよう。その為にはしっかりと集中しなきゃ……潮の香りや太陽のジリジリと肌を焼く熱さなど細かいところまで思い出していると、まるで深い海の中に自分の意識が沈んでいく様なそんな不思議な感覚に見舞われた。


 本当ならそんな状態になったらパニックになってもおかしくないのに、何故だかそんなに恐怖は感じなかった。むしろもっともっと深くに行かなきゃって、自分の意識が深く深くに沈んでいくのがよくわかった。これまで即興劇を演ってもこんな状態になった事はなかったので、これが良い事なのか悪い事なのかはわからない。でも、何か新しい事ができそうな、そんなワクワクした気持ちが湧いてくるのを同時に感じていた。


「それじゃ、すみれくん……いこうか」


 神崎監督に声を掛けられて、ふわふわした気持ちで頷きながら審査員の皆さんの前に立つ。『よーい、スタート!』の声と監督が手を打った音が響くと同時に、私の目の前に砂浜と海が広がった。


 砂浜に歩を進めると足の裏に熱を感じ、思わず早足になりながら波打ち際まで進んで冷たい海水に足を浸す。その後は海水を両手で掬って一緒に遊んでいる誰かにかけてみたり、砂浜で一緒にボール遊びしてみたり、本当に1分間だったのかなと思うくらいに濃い時間を過ごした。


「カ、カット! そこまで!!」


 腕時計を見ながら監督にそう声を掛けられて、目の前のビーチがまるで霞の様に消えていく。その代わりに現れたのは、ポカンとした表情で私を見る審査員の人達の顔だった。




 結花ちゃんの演技を見ながら、私は自分の身に起こった現象についてぼんやりと考えていた。結局次の審査の間もあのふわふわしている様な、それでいて神経が研ぎ澄まされている様な感覚は消えずに残っていて。今はかなりいつも通りの感覚に戻ってきているけれど、まだ薄ぼんやりと残滓が自分の体の中にある様な気がする。


 あの状態を無理やりに言葉で表すなら、ゾーンというのが一番ピッタリ合う様な気がする。ゾーンとはアスリートなどの集中が極まった時に発揮される、普段よりも実力が高まった状態とでも言えばいいのだろうか。例えば野球選手ならピッチャーの投げたボールの縫い目まではっきりと見えたり、テニス選手だと普段は返されるサーブがサービスエースでバシバシ決まったり。


 前世の人生経験と大島さんとの稽古、そしてこの身体の才能が重なり合って今回の奇跡が起こったのかもしれない。少なくとも私は意図的にあの感覚を呼び起こせそうもないので、もう一度再現しろと言われても無理だ。それになんというか、あの万能感が支配する世界に何度も入り浸る様になると、自分の心が自信よりも驕りに偏っていきそうで不安しかない。


 自分の意思で扱えないすごい演技力よりも、私はやっぱり地道にコツコツ極めていく方が性に合っているのだろう。そう結論を出すと、ふっと体が軽くなった気がした。


 結花ちゃんの演技が終わる、先程の即興劇もそうだったが、どういう訳かいつもテレビや映画で見かける様な自信に満ちた彼女の演技ではなく、どことなく精彩を欠いている風に見えた。今日は始発でこちらに来たと言っていたので、もしかしたら体調が思わしくなかったのかもしれない。


 ちょっとだけ心配しつつ結花ちゃんを見ると、どういう訳かキッと憎々しげに睨みつけられた……解せぬ。そして何やら神崎監督に二言三言話しかけ、結花ちゃんはそのまま会議室を出ていってしまった。慌てた様子でお母さんらしき人が、彼女の後を追いかける。まだ結果が出てないんだけど、いいのかな? もしかして、お手洗いを我慢してたとか?


 きょとんとして閉まったドアを見つめていた私だったが、そんな私を見て神崎監督が苦笑していた。いや、監督だけじゃなくて審査員の社長さん達も同じ様な表情を各々浮かべている。


「あの、私の演技……ダメでしたか?」


 小首をかしげながらそう尋ねると、彼らの苦笑に呆れの色が加わる。助けを求める様に洋子さんを見ると、洋子さんも困ったように笑っていた。なんだかバカにされている様でちょっとだけ腹が立つが、何はともあれちゃんと説明して欲しい。


「それでは、全員一致で彼女に主演をお願いするという事でいいですか?」


「あんな演技を見せてもらったら、お願いするしかないでしょう」


 神崎監督の言葉に、代表して京都弁の社長さんが答える。他の社長さんが頷くのを確認してから、神崎監督は私の方へと歩み寄ってきた。


「すみれくん……改めてのお願いになるけれど、僕の映画に主演女優として出演してくれるかい?」


 右手を差し出しながらそう言う監督の言葉の意味が、じわじわと私の脳みそに染み渡る様に伝わってくる。つまり、そういう事でいいんだよね?


 私はまったく予想だにしていなかった合格という結果に驚きと喜びを感じながら、立ち上がってしっかりと監督の右手を両手で握り返した。

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