30――神崎監督との食事会


「ちょうどいい時間だし、一緒に食事でもどうだい?」


 神崎監督にそう誘われて、私と洋子さんは一にも二にもなく頷いた。ホテルは洋子さんが行きつけにしているところがあるらしいので、移動前に局のロビーに備え付けてある公衆電話から予約の電話を入れてもらった。


「よく行く美味しい洋食屋があるんだよ、あんまり堅苦しい店は苦手でね」


 少しだけはにかむ様に笑って言う神崎監督の言葉に、私もうんうんと頷く。実は前世ではいい歳のおっさんだったというのに、テーブルマナーがいまいちよくわからないのだ。苦手意識があったので、なるべくナイフやフォークを使う様な店に入らなかった記憶がある。ファミレスすらお箸で食べてたもんね、現世ではちゃんと勉強しようと思ってるんだけど、これまでなかなか機会がなかった。


 電車での移動なのかなと思っていたのだけれど、行きに続いてタクシー移動だった。私を真ん中に挟むように神崎監督と洋子さんが座る。暗くなってきた夜道に車のヘッドライトやネオンの光が、ピカピカと光って賑やかな雰囲気だ。東京も負けず劣らずなんだろうけど、年齢的に夜に殆ど出歩かないからあまり印象がない。


「すみれは大阪って詳しいの?」


 洋子さんに尋ねられて、少しだけ小首を傾げる。私が前世で大阪の街を自分の意思でうろうろする様になったのって、高校に入学してからだったんだよね。もちろん祖父母の家があるから、決まったルートを通る事はあったけど。この時代の大阪となると、殆ど未知の世界だ。昔からある建造物なんかは変わらないんだろうけど、出店しているお店とかは全然違うと思うからわからない。


 全然詳しくない事を告げると、明日は東京に帰る前に観光する事になった。洋子さんも仕事で大阪にくる事はあれど、観光なんてしている暇はまったくなかったらしい。


 ふたりで『大阪城の天守閣に登りましょうか』とか『通天閣もいいわね』とルートを話し合っていると、隣の神崎監督から待ったがかかる。


「食事の時に話そうと思っていたのだが、明日の午後にすみれ君の時間をもらいたいんだ。会ってもらいたい人達がいてね、申し訳ないんだが……」


 言葉通りに本当に申し訳なさそうな神崎監督の様子を見ていると、なんかこちらが意地悪をしているみたいですごく断りづらい。洋子さんの方に視線を向けると彼女も私の方をじっと見ていて、思わずお互いに顔を見合わせてしまった。とりあえず私は大丈夫ですよ、という意味をこめて頷くと洋子さんが代わりに返事をしてくれた。


 結果として明日の午前中に神崎監督の事務所に電話をして、スタッフの人から場所と時間を教えてもらってから指定の場所に向かう事になった。そんな話をしていると目的地周辺に到着したらしく、タクシーがゆっくりと停車する。


 タクシーから降りて神崎監督の誘導に従って付いていくと、なんとも趣のある昔ながらの洋食屋さんという佇まいの建物があった。何とも食欲をそそる匂いに惹かれる様にテーブルについて、メニューをめくる。写真付きのメニューなのでどれもすごくおいしそうに見えて迷ってしまったけど、王道のハンバーグに決めた。値段を考えずに食べたいものを注文できるというのは子供の特権だと思う、前世だと価格帯で入るお店を決めていたからね。おいしいご飯を誰かにごちそうになるなんて機会もなかったし。


 出してもらったお水で喉を潤しながら、神崎監督のお話を聞いた。お会いするのこそ久しぶりだが私の事を気にかけてくださってて、最低でも1ヵ月に1回は電話で様子を尋ねてくれていた監督。どうやらあの時に言ってた『私を主演にして映画を撮りたい』というのは本気だったらしく、この1年程その準備を着々と進めていたらしい。


 企画書を携えスポンサーになってくれる企業などをスタッフ総出で周り、ある程度形になりつつあったそうだ。だがしかし、とある企業の社長さんから主演女優――つまり私の事――に対して待ったが掛かったらしい。監督の作品には是非出資したいが、どこの馬の骨か分からない子役をメインに起用するのには反対するとはっきり言ったらしい。


 まぁその社長さんの言い分もわからないでもない。教育ドラマに出演したりCMが流れているとは言え、世間での私の知名度など本当に微々たるものだ。せっかくお金を出すのであれば、もっと名の通った子に出てもらいたいと思うのは当然の事だろう。


 その後、神崎監督が声を掛けていた他の企業の社長さんをも巻き込んだその社長は、自分達が推薦する子役を起用する様に監督に迫った。しかし監督としても私との約束もあるから退く訳には行かず、なんとか彼らを説得して私とその推薦されている子役のふたりでオーディションをする事になったそうだ。


「あのぉ、そういう事なら事前にうちの事務所に話を通してほしいんですけどー」


「そうは言うけどね、安藤くん。急に決まったのだから仕方ないだろう、なんとか君達の事務所に連絡して今日のスケジュールを教えてもらって、必死に追いかけたんだからね」


 えぇ……タレントのスケジュールをそんなにホイホイ簡単に部外者に教えちゃうの? 神崎監督って名乗られたら教えちゃうのは仕方ないのかもしれないけど、騙りだったらどうするんだろう。前世の行き過ぎなぐらいのプライバシー管理を経験していると、大丈夫なのかなって不安になる。どうか変な人に目を付けられたりストーカーが出ませんように、と思わず胸中で神様にお祈りしてしまった。


 会話も一段落した頃にタイミングよく注文したハンバーグがきたので、残りの話は後にして食事を頂く事にする。熱せられた鉄板の上に熱々のハンバーグと付け合せのニンジンのグラッセ、それとフライドポテトが3切れ載っていて、見た目も匂いもすごくおいしそうだ。セットのご飯は予め半分にしてもらう様にお願いしていたので、なんとか食べ切れるだろう。残念ながらお箸は置いてなかったので、監督と洋子さんのナイフとフォークの使い方を見様見真似しながら、ハンバーグを切って口に運ぶ。


 うん、柔らかいし肉汁がジュワッと口の中に広がって、すごくおいしい。デミグラスソースも濃厚で、ハンバーグとの相性もバッチリだ。


「すごくおいしいです!」


「だろう? 大阪に来たら必ず食べに来るんだよ。気に入ってもらえてよかった」


 ゴクンと口の中で咀嚼していたハンバーグを飲み込んで思わず監督に言うと、微笑ましそうに笑ってそう答えてくれた。すると横から、洋子さんが自分のエビフライを切って私の口元に運んできて『あーん』と促されたので、遠慮せずにぱくりと頂く。


 うん、エビもプリプリしてておいしい。お返しにデミグラスソースを絡めたハンバーグをフォークに刺してあーんすると、洋子さんは嬉しそうにフォークを咥えてモグモグする。


「ハンバーグもおいしいわね。次に大阪に来ることがあったら、また一緒に来ましょうね」


 洋子さんがそんな事を言うので、私はもちろん頷いておく。でも私は大阪まで里帰りする事はあるだろうけど、仕事で洋子さんと一緒に来る事なんてあるかなぁ。東京だけじゃなくて、今回みたいに大阪からもオファーがもらえる様に頑張ろう。その為には明日のオーディションをしっかり頑張らなくちゃ。


 食事を終えて少しお腹を落ち着かせる間に、さっきの話の続きをする。結局のところ、私はアウェーな場でオーディションを受けないといけないという事だ。もちろん私としても神崎監督の映画には出演してみたいし、望まれているなら全力を持ってその期待に応えたいと思っている。何しろ私に芸能界というか、大島さんとの縁を結んでくれた人だからね。神崎監督がいなかったら、私は今現在ここでこうしてはいなかっただろうから。


 でもそんな私の意気込みとは裏腹に、今回のオーディションは無理だろうなという諦めの気持ちも僅かながら湧いていた。私じゃない子を推している社長さん達は、100%私を採用しないつもりで今回のオーディションを審査するだろう。言わば彼らの中での私の評価はマイナスで、そこからプラスに……更に相手の子を超える印象を与えるのはなかなか大変な事だ。


(自信を持って『任せてください』って言えればいいんだけどね。私はそこまで自信家じゃないから)


 自信というのは、仕事を数多くこなして初めて芽生えるものなのではなかろうかと私は思う。キャリア1年足らずの私にそこまで根拠のない自信があったら、ただのうぬぼれ屋さんでしかなくなってしまう。


 ダメだった時は誠心誠意、神崎監督に謝ろう。内心でそんな後ろ向きな決意をしながらも、私は神崎監督と洋子さんの話に相槌を打つのだった。







 翌日、早起きしてホテルを出た私達は、近くの喫茶店でモーニングセットを食べて朝食を済ませた。平成末期ではレトロな純喫茶がブームになっていたけれどこの時代ではありふれているし、そこかしこにあったりするから別に珍しくはない。


 サラダと厚めに切られたトーストとゆで卵、そこにドリンクが付いて300円ぐらいで食べられるのだからすごくお得だなぁと思う。ただ昨日の夜も食べすぎてお腹いっぱいになってしまった分がまだ残っていて、結構お残ししてしまった。代わりに朝からすごくパワフルな洋子さんが全部平らげてくれたけど、そんなに食べて大丈夫なのかなと少し心配になる。


 さて、どこに行こうか。前世では大阪で一番有名だった水族館はまだ開業していないし、通天閣の周りはちょっと治安に不安があるから女性ふたりで行くのはちょっと不安。午前中しかフリーの時間がないのでどこに行くべきかと頭を悩ませていると、突然洋子さんが立ち上がってむんずと伝票を掴んだ。


「行くわよ、すみれ! 午後からはオーディションなんだから、可愛い服を買いに行きましょ」


「新しい服なんてもったいないですよ、このサマーワンピースじゃダメですか?」


 今日の装いは念のために着替えとして持ってきていた薄い生地で作られた半袖のワンピースで、胸元の大きなリボンとたくさんの花柄が可愛らしくて気に入っている一品だ。ちなみにこれはユミさんが小学3年生の頃にお母さんに買ってもらったんだけど、自分には似合わないと頑なに着ずにタンスの肥やしにしていたという曰く付きの服だったりする。小学3年生の為に買った服なのに、現在小学4年生の私が着て少し大きめなのがちょっとだけショック。まぁ気にしないでおこう、チビで貧相なのは今に始まった事じゃないしね。


「うーん、それも可愛いんだけどね。無理に買わなくてもいいんだけど、気に入ったのがあれば買えばいいと思うわよ。そうだ、私がすみれにプレゼントしてあげましょう」


「洋子さん、それはもう私をダシにして自分がショッピングしたいだけなのでは……?」


「すみれを着せ替え人形にして遊びたいっていうのもあるわね、というワケで行きましょ!」


 観光に行くという話はどこに行ったのかとか、言いたい事はたくさんあったんだけど今の洋子さんには通じないだろう。諦めた私は小さくため息をつきながら席を立って、会計に向かった洋子さんの後ろ姿を追いかけた。


 その後、梅田のデパートをハシゴして午前中一杯使って何十着という服を試着させられた私は、体力を吸いつくされたかの様にぐったりしていた。洋子さんと店員さんが『可愛い』『似合う』とたくさんヨイショしてくれたので、ついつい調子に乗りすぎてしまった。でも結局買ったのは、赤色の生地にデフォルメされた星柄のマークがいくつも描かれたパジャマなんだけどね。


 そこまで高額でもなかったし、洋子さんがどうしてもと言うのでプレゼントしてもらいました。お礼と一緒に『大事に着ますね』と言うと、洋子さんは嬉しそうに笑ってぎゅーっと抱きしめてくれた。現世では大分年上の人にこんな事を言うのもなんだけど、すごく可愛らしい人だと思う。姉であり妹みたいに手が掛かる洋子さんは、一緒にいてすごく面白くて楽しい。


 グロッキー状態で百貨店に備え付けてある休憩用の椅子に腰掛けて休んでいる間に、当の洋子さんは神崎監督の事務所に公衆電話から確認の電話を入れてくれている為ここにはいない。早く携帯電話が一般的にならないかな、いちいち公衆電話を使わなきゃいけないのってすごく面倒くさい。


 なんて胸中で愚痴っていたら、洋子さんが戻ってきた。どうやら淀屋橋と本町の中間ぐらいの場所にその会社はあるらしく、お昼ごはんを食べて少し休憩してから向かう事になったらしい。


 朝ごはんを少なくしたおかげか、それとも試着ファッションショーのおかげか。お腹の空き具合も結構ペコペコなので、今からでもお昼ごはんは食べられる。お昼は是非お好み焼きとか、ご当地グルメが食べたい。そんな事を話しながら、洋子さんと手を繋いでエレベーターへ向かって歩き始めた。

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