33――大島さんとのお話と神崎監督の無茶ぶり


 翌日、私が起床した時には既にトヨさんが懸命に家事に勤しんでいた。


「トヨさん、おはようございます」


 私が声を掛けると、トヨさんは申し訳なさそうな表情で頭を下げた。


「おはよう、すみれちゃん。昨日はごめんなさいね、大阪から戻ってきたばかりなのに迷惑を掛けてしまって」


「ううん、そんな事ないですよ。逆に私の方が勝手に食材とか使っちゃったので、今日はその分を買い物に行って補充しようと思ってたんです」


 昨日帰宅した後の話をすると、トヨさんは『あの子達は本当にもう……』と呆れた様に言った。『真帆さんも菜月さんもトヨさんに呆れられてますよ』って、声を大にして言ってやりたい。でもあのふたりは多分そんな事はまったく気にしないんだろうなぁと、内心で小さくため息をつく。


 トヨさんに食材の補充も必要ないからと言われてしまっては、私としてもそれでも無理にとは言えなくて。お言葉に甘える代わりと言ってはなんだけど、買ってきたお土産を渡しておいた。大島さんにも渡そうと思ったのだが、どうやら彼女が帰宅したのはついさっきらしい。『今日は一日寝て過ごすので誰も私を起こさないように』とトヨさんに厳命してから爆睡を始めたそうだ。


 まぁ色々と付き合いとかもあるだろうし『大島さん、いつもお疲れ様です』と胸中で呟いて、朝食の準備のお手伝いをする。トヨさんが作ってくれた朝ごはんを食べながら、昨日の早退の理由を聞いた。


 トヨさんには一番上は高校生、一番下はまだ小学生と合わせて3人のお孫さんがいるらしい。今回は一番上の高校生のお兄ちゃんが、サッカー部の部活中に利き足を骨折するケガをしてしまったらしい。トヨさんは子供さん世帯のすぐ近所に住んでいるんだけど、残念ながら彼らは共働き。連絡がつかずに複数登録してある緊急連絡先の一番最後に指定してある、大島さんのおうちに連絡が来たそうだ。


 とりあえず子供達に連絡した後、帰宅して来た真帆さん達に一言告げて慌てて病院へ向かったんだとか。そこで大事には至らなかった事を聞いて、トヨさんはホッとひと安心。記憶が確かならサッカーの有名な大会は冬だったはずだから、早く治してリハビリを頑張れば間に合うんじゃないかな?


 その後トヨさんの買い物に付いていって荷物運びのお手伝いをしたり、寮の掃除や溜まっていた洗濯物を片付けたりしていたら、あっという間に夜になっていた。のそのそと起き出してきた大島さんにお土産を渡して神崎監督の映画オーディションに受かった事を報告したら、『よく頑張ったわね』と頭を撫でられながら褒めてもらえた。


 大阪での出来事やそれに加えて未だに私が里帰りできない状態だという事を少しだけ愚痴ったら、大島さんはひどく私に同情して慰めてくれた。


「生まれ育った地元に行けないというのは辛いわね、しっかりしているとは言えすみれはまだ10歳だもの。ご両親には頑張ってもらって、早くなんとかしてもらわないと」


 大島さんの言葉に、私はこくりと頷く。やっぱり私にとって前世も含めて長く住んでいた場所なので、地元というのはやはり特別だ。何より現世では大事な親友だって地元にいるのだから、本当に早く気軽に帰郷できる様になってほしい。頼むよ、お父さんお母さん。


「もしこのまま状況が変わらなくて、すみれが寂しくてたまらなくなったら、私の娘になる?」


 突然何でもない様にそう言われて、私の頭は真っ白になった。固まってジッと大島さんの顔を見る私に、大島さんは苦笑した後でコクリとお茶で喉を潤す。


「冗談……でもないわね、結構本気なのよ。もちろん今すぐではないし、すみれが成人してからでも全然構わないの。おそらくあのお母様があなたの親権を手放す、なんて事はないだろうし」


 私は目を白黒とさせながらも、何故そこまで大島さんが私の事を買ってくれているのかが不思議でならなかった。だってまだここに来て1年ちょっと、少しはお仕事もさせてもらっているけどまだまだ駆け出し子役なのだから。


「不思議そうな顔をしているけれど、1年間も近くで見ていればあなたの本質はわかるわよ。明るく真面目で協調性もあるし、歳上の人にもちゃんと自分の意見も言えるし仕事も真摯にできる。何より私のレッスンから逃げ出すどころか、ひたむきに課題に取り組んでクリアしていくんだもの。私があなたを可愛く思ってしまってもおかしくないでしょう?」


 大島さんの予想では、私に入ってくる仕事はそれほど多くないだろうと思っていたらしい。でも洋子さんの頑張りもあって、夏休みには平均で週に3本。学校が始まっても平均で週に2本は何らかのお仕事の予定が入っている。更に教育ドラマの評判の良さや今回のオーディションの事を考えると、出来すぎなぐらいの結果を残しているんだって。


 こんな風に『認められているんだな』って強く思えるのは前世も含めて初めてで、カーッと目頭が熱くなった。自分が意識するよりも早くポロポロと、瞳から涙が零れ落ちて頬を濡らした。


 苦笑した大島さんが私の隣に移動して、そっと私の頭ごと優しく胸に抱え込んでくれて、背中をポンポンとリズムよく叩いてくれる。控えめな香水の香りと柔らかくて温かい大島さんの体温によってじわりと睡魔が忍び寄ってくる。そんなぼんやりした頭で聞いていたからもしかしたら夢だったのかもしれないけれど、大島さんはポツリポツリと身の上話を私にしてくれた。


 大島さんは未成年の頃に患った病気のせいで、子供が望めない体なのだそうだ。もしも子供が産める体だったとしても既に40代半ばに差し掛かろうとしているので、高齢出産として本人にも生まれてくる子供にもリスクをたくさん抱える出産になるだろう。


 入寮のための面接の時にも言われたけれど、大島さんは自分のすべてを受け継いでくれる後継者を求めている。これまでは自分の築き上げてきた演技を学んで、更にその次の世代に広めてくれるだけでよかったそうなのだが、私と暮らし始めて自分の娘が欲しいなと思うようになったんだとか。私とそう変わらない年齢のユミさんもいるけど、彼女の演技は児童劇団の物が下敷きになっている。でも私の場合はほとんど何も学んでいないまっさら状態だったから、自分の演技をイチから教え込めた事もあって一際思い入れが強いのだと言ってくれた。


「養子縁組ができれば私は嬉しいけど、それ自体はどちらでもいいのよ。すみれがそのまま真っ直ぐに育ってくれたら、きっと私達みんなにとって一番いい未来に時間が進んでいくはずだから」


 それ以降は本格的に眠ってしまったのか、気がついたら次の日の朝だった。自室のベッドの上で目が覚めたので、おそらく大島さんか他の寮生が運んでくれたのだろう。


 おぼろげに記憶に残っている大島さんの言葉を反芻して、その想いがこもった言葉に思わず手をギュッと握りしめる。


(これからも頑張らなくちゃ!)


 今のところ大島さんと養子縁組はするつもりは全然ないけれど、これから先の未来が果たしてどうなっていくのかはさっぱりわからない。ただできるだけ自分や周囲にとって良い未来になる様に、現在の自分が出来る事を精一杯頑張ろうと決意を新たにしたのだった。




 夏休みが終わりまた学校に通いながら、単発の仕事や雑誌モデルの仕事をこなしていく。もちろん教育ドラマの方も残り少なくなったが、撮影シーンがまだ残っているので参加している。


「すみれちゃんと成美ちゃん、今のシーンが最後です!」


 10月はじめの撮影で、私が初めて参加した教育ドラマの撮影が終了した。ADさんが大きな声でそう言うとカメラマンさんやディレクターさん等、スタジオ中のスタッフさんが『お疲れさまでした』と言いながら拍手してくれた。


 隣にいた成美ちゃんとびっくりしながら顔を見合わせていると、片手で持てるサイズの小さなブーケをゆっくんと別の男の子が持ってきて、私達ふたりに渡してくれた。大人だったら普通の花束だったんだろうけど、多分子供な私達に渡したら持って帰る間にダメになってしまう可能性が高いと判断したんだろうね。


 私としては花より団子な性格なので、大きな花束よりも荷物にならない小さなブーケの方がまぁありがたい。寮のみんなと分ける事ができるから、お菓子とかの消え物だともっと嬉しかったけどね。


 成美ちゃんと私のメイン回が評判がよかったからか、後半の私達は主役グループの仲間入りだったんだよね。他のクラスメイト役の子達がこれまで撮影終了を迎えた時はこんなサプライズなかったので、なんだか申し訳ない気になってくる。


「今度先輩達のコンサートで、先輩達のすぐ傍で踊れる選抜メンバーに入れたんだ。チケットやるから絶対見にこいよ!」


 私にブーケを渡してくれたのは、撮影が始まってから色々面倒を掛けられたゆっくん。所属プロダクションが彼の顔を売るための第一歩としてこの仕事を選んだらしいけど、結果としては役者仕事は彼に全然向かなかった。私達の努力で本当に少しだけマシにはなったけど、多分しばらくは役者関係の仕事でゆっくんと会う事はないんだろうなぁ。


 面倒を見すぎて身内感覚というか弟みたいな感じに思ってるので、そんな彼が見に来て欲しいと言うなら行きますとも。なんなら『ゆっくん』ってデカデカと書いたうちわを持って応援するよって言ったら、真顔で『それはやめてくれ』と懇願された。そうだね、それはゆっくんがメインのコンサートが開かれるまで隠し玉としてとっておこう。


 親友役だった成美ちゃんは一般募集からの参加だから、今後は現場で会う事はほぼないだろう。でも本人はこの撮影に参加した事で何か思う事があったらしく、将来は撮影現場のスタッフとして演者を支えたいと思う様になったんだとか。


 大変な仕事だけど、私達役者としてはスタッフさんはいてもらわないと困る人達だ。もし成長してもその夢を持ち続けていられるなら、頑張って叶えてほしい。


 全体としてはまだいくつかのシーンの撮影があるらしく後日にある打ち上げで顔を会わせるのだが、なんだかしんみりとした気分で一緒に撮影を乗り越えた皆とお別れしたんだけど、でもそんな感傷には長くは浸れなかった。


「すみれ、神崎監督から無理難題が届いたわよ」


 帰りのタクシーの中で洋子さんがカバンから手帳を取り出して、ページをめくりながら言った。もう無理難題という言葉からして嫌な予感しかしなかったが、このまま無視できる訳がないので覚悟を決めて言葉の続きを促す。


「映画の撮影で使いたいので、ピアノを弾ける様になっててほしいって。あと水泳もよろしく、との事よ」


 小さくため息をつきながら言う洋子さんの言葉が理解できなくて、私は思わず手に持っていたブーケを強く握ってしまった。一体何言ってるの、あの人? 

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