28――演技に現実を詰め込んで
「よし、今日もいい感じ」
鏡に映る自分を見ながら、各所のチェックを怠らない。思えば太っていてくたびれている中年男ではなく、それなりに可愛らしい少女が鏡に映ってもびっくりしない様になって随分経つ。
すみれである自分をちょっとずつ受け入れられているのかなと思う反面、中身がコレじゃあいくら外見が100点満点中70点ぐらいでも魅力半減だよなぁなんて後ろ暗い感情も浮かぶ。
明るくて無邪気な性格がこの外見には似合うんだろうけど、そうなったら今の自分だからこそ出せている演技の深みという役者としての強みを失う事になる。結局無い物ねだりなんだなぁと自分のくだらない思考を頭を振ってやり過ごし、洗面所から立ち去った。
今日は日曜日、私が出演している教育ドラマの収録は土曜日の午後か日曜日に行われる。週休二日制なんてまだまだ先だもんね、地域的には先行導入されてるところもあるかもしれないけど、残念ながら私の通っている学校では土曜日は半ドンである。
土曜日も丸1日時間が使えるなら、もうちょっと色んな事が捗るのになぁと思わなくもない。例えば勉強とかね、今だと夜に1時間ぐらい勉強時間を確保できているけれど、地元にいた頃の様には進んでいない。今は中学3年生で勉強する内容をこっそり勉強しているけど、前世のように学習指導要領も私達が中学生になる時とは変わる可能性が高いからあくまで参考程度。勉強した内容を思い出すきっかけになればいいな、と思いながら二次方程式とかを解いている。
大島さんが『これからは役者も英語を話せた方がいい』という考え方の持ち主なので、週に1回程度だが大島さんが英会話の先生を呼んでくれている。キャシー先生という女性なのだけど、文法なんかいらないからとにかく話そうというスタイルの人なので、前世から持ち続けていた英語への苦手意識は段々と薄れつつある。
だってSとかVとかCとか、何がなんだか全然わからなかったもの。中学校1年生で英語に初めて本格的に触れる生徒に、いきなり文法を叩き込もうとするあの頃の教育は本当に悪だったと思う。
でもキャシー先生と話そうと思っても、やっぱり語彙力というか単語をどれだけ覚えているかで会話量は変わってくるので、移動中の車の中とかで単語帳をめくって少しでも覚えられる様に勉強中だったりする。
今日も洋子さんが運転する車の後部座席に座りながら、単語帳をめくる。台本? 台詞はすでに頭に入ってるよ。たかだか30分ぐらいしかない尺のドラマなら台詞ぐらい、あっという間に頭に入ってしまう。若いっていいよね、加齢とともに段々覚えが悪くなり忘れっぽくなった経験がある私としては、是非今のうちにたくさんの事を脳みそに詰め込みたいと思っている。子供の頃に覚えたことって、忘れにくいしね。
「おはようございまーす!」
元気よく挨拶して、スタジオに入る。顔なじみのスタッフさんとか、ちょうど近くにいたクラスメイト役の子達が挨拶を返してくれる。その中に今日一緒に演技する子がいたのを見つけて、笑顔で近づいた。彼女の肩をポンと叩くと、すごくびっくりした表情で勢いよくこちらを振り向いた。いや、ゴメン。そこまでびっくりさせるつもりはなかったんだけど。
「す、すみれちゃん! ごめんなさい、気づかなくて」
「ううん、大丈夫。こっちこそごめんね、びっくりさせちゃったみたいで」
私が謝ると、彼女も恐縮した様にまたペコペコと頭を下げる。うーん、彼女もそうなんだけど周囲にいる子達はみんな一般参加で来ている子達で、どうにも普段から子役などで芸能界に関わりがある私達に壁を作っている様な雰囲気がある。別になんにも変わらないんだけどなぁ、私達と彼女達に違いなんて全然ないのに。
でも撮影前にわざわざそんなテンションを下げる様な話をするのもどうかと思うし、『今日は頑張ろうね』と声を掛けてからその場から移動する。
本日の撮影はさっきの彼女、
初めて成美ちゃんを見た時、実花役は彼女のための役だったんじゃないかなと思うくらいイメージにピッタリだった。もちろん彼女は一般参加だし、オーディションの時には既に大体の設定は決まっていたみたいだからそんなはずはないんだけどね。
引っ込み思案で本が好きな物静かな女の子と、クラスの人気者。このふたりの関係性を見て最初に思い浮かんだのは、前世でのなおとふみかだった。もう既に記憶はおぼろげなんだけど、あのふたりも小学校を卒業するまでは仲がよかったように思う。不幸な事になおが道を逸れてしまって疎遠になってしまったけれど、
そんな思いからかみさきを演じた後にOKテイクを見直すと無意識になおっぽく演じている私が映っていて、なんだか距離の離れた場所にいるはずのふたりが近くにいてくれるような、あたたかい気持ちになれるのが嬉しい。もちろん、私が勝手にそんな風に思っているだけなんだけどね。
それはさておき、目の前では成美ちゃんが演じる実花がクラスメイトに囲まれて、みさきとは釣り合わないから友達をやめるように言われているシーンが繰り広げられていた。私はこのシーンでは出番がないので傍らで見学しているんだけど、やっぱりこういうシーンは見ていて気分が悪い。特に実花とふみかを重ねてしまっている私にしたら、ふみかがいじめられている様でイライラしてしまう。
「こういうのは気分悪ぃな」
横で吐き捨てる様に言うのは、並んで見ていたゆっくん。その言葉には全力で同意だったので、私はこくんと頷いた。救いがあるとすれば、演じてる皆も気が乗らないのか演技が棒読みでやらされてる感アリアリなところだろうか。役者としては失格なのだろうが、教育ドラマだし大目に見てあげてほしい。
イジメのシーンが終わって、台本では実花の葛藤のシーンとか彼女ひとりの出番が多いのだけどそこを飛ばして、みさきと実花が一緒に帰るシーンの撮影に移る。さすがに帰り道のセットを作るよりも外に撮影に出た方が安上がりなので、スタジオがある建物の中庭が公園みたいになっていて、ちょうど良くベンチがあるのでそこにふたりで腰掛けて撮影が始まる。
いつもならリハーサルをしてから撮影に入るが、今回は臨場感やリアルな反応が欲しいとディレクターが言うのでいきなり本番が始まる。成美ちゃんが棒読みだけど、少しだけ感情を乗せて台詞を口にする。
「もう、仲良くするのやめようよ」
まるでふみかにそう言われた様に感じて、一瞬意識が飛びかけた。それくらいショックで、女子になってすごく緩くなった涙腺が開く準備を始めるのがわかる。
「え……なんで? 私の事嫌いになった?」
前世のネットでよく震え声とか書かれてたけど、まさに微妙に震えたり少し声が裏返りそうになったり、これぞ動揺している時の見本みたいな声が出た。でもそれが私の演技を真に近づけてくれたみたいで、ディレクターさん達がいるところから感嘆っぽいため息が聞こえてくる。でも正直内心はそれどころじゃなくて、訥々と自分の気持ちを語る成美ちゃんの声に意識を向けた。
ジッと成美ちゃんの声を聞きつつ、涙が出そうになるのを必死でこらえる。でも『みさきちゃんなんか大嫌い!』という成美ちゃんの台詞で、私の意思とは関係なく涙腺が一気に決壊した。
自分でも自覚はあるんだけど、友人の少ない前世を経験したせいか私は大事な人達に嫌われる事を極端に怖がっているきらいがある。例えばなおやふみかを始めとした親友、寮のみんなや洋子さん達、演技の師匠である大島さん、生まれ変わって自らの手で結んだ縁を失いたくないという気持ちが強いのかもしれない。もしもふみかにそんな風に嫌われたら、そんな想像が考えるよりも先に走馬灯の様に脳裏に浮かんできて、ひと雫目はゆっくりと零れ落ちた涙は今や大雨になりそうな勢いで頬を滑り落ちていく。
これはマズい、と本来はみさきが実花を抱きしめるなんて動きはなかったんだけど、私は自分の顔を隠すように成美ちゃんの肩のあたりに自分の目を押し付けた。でも声が篭もるとダメなので、口元は服から離しておく。
「私は実花ちゃんが大好きだよ」
泣いたせいで出しにくくなった声をなんとか絞り出して、私は精一杯の思いをこめて台詞を紡いだ。本当はダメなんだろうけど、目の前の成美ちゃんだけじゃなくて画面を通してこのシーンを見るなおとふみかに、私の気持ちが届けばいいなと思いながら言葉を続ける。
「釣り合いなんか関係ない、他人がどう思おうとどうでもいい。私は実花ちゃんと一緒にいたいから、ずっと一緒にいるんだよ。もちろんこれからも一緒にいたい、友達でいたいよ」
「私もみさきちゃんとずっと一緒にいたいよ」
お互いの気持ちを吐露し合ったふたりは、続けてみさきは実花を他のクラスメイトからの悪意から守れなかった事、実花もクラスメイトからのイジメをみさきのせいにして大嫌いと言ってしまった事をそれぞれにごめんなさいと謝罪した。そしてふたりが顔を見合わせて微笑みあったところでカットがかかり、ディレクターからOKが出た。
「えへへ、泣いちゃった……服濡れてない、大丈夫?」
私は泣いてしまった照れくささから、ごまかし笑いを浮かべてパッパッと成美ちゃんの服を払う。何故だか私の顔をぼんやりした表情で見ていた成美ちゃんにもう一度声をかけると、なにやらあたふたと慌てた様子で走り去ってしまった。もしかしたらトイレを我慢してたのかも、ここからトイレまでちょっと離れているから、無事に間に合います様にと心の中で応援する。
その後は少しの休憩を挟んで、教室のセットで学級会のシーンを撮影した。成美ちゃんとふたりで手を繋いで、クラスメイトみんなの前で『私の友達は私が選びます、実花ちゃんは一番大事な友達です』と宣言した。外見とか家柄とかで友達を選ぶ人達もいるんだろうけど、私はそんな事はしたくない。全面的にみさきの言葉に同意しながら、はっきりと台詞を言う。
『友達は見た目で選ぶものではないし、他人が彼女達の友人関係に口出しするものではない』と最後に先生がまとめて、全員での撮影が終了した。この後は成美ちゃんだけ居残りでひとりのシーンを撮るらしいので、解散する前にぎゅうっと成美ちゃんの両手を握る。
「えっ、すみれちゃん!?」
「成美ちゃん、今日はありがとうね。おかげですごくいい演技ができたから、お礼を言いたかったの」
ぶんぶん、と手を繋いだまま両手を上下させて、そっと手を離す。きょとんとした様子の成美ちゃんだったけど、少しだけ笑って『私も今日はいつもよりちゃんと演技できたと思う、すみれちゃんありがとう』とお礼を返してくれた。そこにいつも感じる壁は全然感じなくて、これからはもっと仲良くなれそうな気がした。
もちろん今日は寮に帰ったらなおとふみかにも手紙を書いて、そこにお礼をいっぱい詰め込もう。なんだか、今すごくふたりに会いたいな。会いに行っちゃおうかな、なんて考えながらスタジオの入り口で手を振る洋子さんのところに向かって小走りで駆け出した。
――この回の視聴率と評判がよく、テレビ局から番組が表彰を受ける事になるのだがそれはまた別の話。
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