23――学校生活と大島さんとのレッスン
地元の学校は集団登校だったが、こちらの学校は個別登校なのでひとりで学校へ向かう。校舎に近づくにつれて同じ制服を着た児童達が増えてきた。
ゾロゾロと校門に吸い込まれていく児童達と一緒に、私も学校の敷地の中へ。地元の学校とは並んでいる靴箱の数が桁違いの広い昇降口で上履きに履き替えて、教室へと向かう。ちなみにどうでもいい話だけど、地元の学校では昇降口の事を靴箱センターと呼んでいた。昇降口という無機質な呼び名よりもなんとなく可愛く感じて、個人的には気に入っていたりする。
「おはよーございまーす」
引き戸を開けながら挨拶すると、何人かのクラスメイト達が挨拶を返してくれた。でも完全に無視している子もいるので、まだクラスに馴染めていない事を肌で感じる。入学からずっと同じ教室で過ごしてもあんまり関わらない子もいるのだから、全員と仲良くする必要はないのだけど。でも、せめて挨拶ぐらいは返してくれる関係は目指したい。
そんな事を考えながら自分の席に向かうと、後ろの席に座る友人がニヤニヤした表情でこちらを見ていた。このクラスの委員長でもある、木村透歌ちゃんだ。
「透歌、おはよ」
「おはよう、美少女モデルさま」
普通に挨拶したのに、友人はからかうように挨拶を返してくる。私が訝しんでいると、『じゃーん』と机の中から一冊の雑誌を取り出した。うわ、見た事ある表紙だわ。というか、昨日寮に届いてたわ。
「昨日ママと買い物に行ったついでに本屋さんに寄ったのね、そしたら見つけちゃった」
なんでその雑誌に私の写真が掲載されているのがわかったのか、などとは聞かない。だって表紙にどーんと映っているんだもの。昨日出版社から送られてきて、安藤さんから何にも聞いてなかったから、正直なところ見た瞬間に目を剥いた。何故代役で参加した自分がカバーガールなんて大役に抜擢されたのか、慌てて事務所にいるはずの安藤さんに電話して確認したのも仕方がない事だと思う。
安藤さん曰く、本来ならカバーガールは私を囲んだ4人のうちの1人になる予定だったが、どうやら私を複数人で取り囲んで恫喝――には程遠い可愛らしいものだったけど――した事を安藤さんが怒りに任せて編集部にチクったらしい。前々から素行に問題があった彼女達、今後あの子達がやらかして雑誌のイメージが悪くなるのは避けたいという編集部側の思惑もあり、そこを安藤さんが突きまくって私を猛プッシュしたそうだ。次回から4人を使わないなら代わりに表紙をうちのモデルにしろというあちらの事務所側の言い分を1度は了承した編集部だったが、その事務所のモデル達の更なる問題行為を知ってしまっては、自分達の保身の為にも決断せざるを得なかったのだろう。
なにせ私はまだ小学3年生だ。小学生を対象としたこの雑誌のモデルとして長く使えるし、あの子達みたいな素行不良とは真逆で、しっかりと与えられた仕事をこなすという自負もある。他にもそれなりに可愛いとか、従順で撮影がやりやすいなどの現場の声の後押しがあったらしく、表紙に私が印刷されるというミラクルが起こったそうだ。
本当ならまどかさんが選ばれるはずだったんだろうけど、年齢的にジュニアモデルとしての卒業も近いだろうから、まだまだ使い倒せる私にお鉢が回ってきたんだろうなぁ。
『これで他にも仕事がバンバン入ってくるわよ、前回のおもちゃ会社のCMとの相乗効果も期待できるわ』とウキウキした声で話す安藤さんに、ため息をつきながら生返事をして電話を切った。CMとかモデルじゃなくて演技の仕事をしたいんだけどなぁと思いつつ、これもその為の布石かと諦め半分で無理やり納得することにした。
「あれ? それすみれちゃんじゃん」
「えー? なんですみれちゃんが雑誌に載ってるの?」
透歌繋がりで友達になったクラスメイトふたりが、物珍しそうに雑誌を覗き込む。まだ駆け出しだし、こういう仕事をしている事は先生と透歌ぐらいしか知らないので、彼女達にしてみたら私の写真が掲載されている事が不思議なのだろう。
『この服かわいいね』とか『どこで売ってるのかな、私も着てみたい』とか、キャピキャピした会話を愛想笑いでやり過ごす。基本的にスタイリストさん任せの着せ替え人形だった私は、その質問の答えを持っていないのだ。
「でも透歌、学校にこんなの持ってきて大丈夫なの? 先生に没収されても知らないんだから」
ふと疑問に思ってちょっとだけ嫌味混じりに尋ねた私に、透歌は不敵な笑みを浮かべて自信満々に言った。
「大丈夫、その辺はちゃんとしてるから。教室に来る前に職員室に行って、先生にも見せてきたの。あんまり見せびらかしちゃダメだけど、少しだけなら見逃してくれるって」
さすが優等生、先生からの信頼と根回しが半端ない。友人の腹黒いというか計算高い一面を垣間見て、この子の将来を想像するとちょっと怖いなと思った。
前世では物心ついた頃から太っていたので体育の授業というのは苦痛でしかなかったが、現世では運動神経抜群ではなくとも思い通りに体が動いてくれるのでそこまで苦手意識はない。
でも女子になったらなったで、女の子特有の悩みがあるのだ。男だった頃は普通に半ズボンだったので気にもしていなかったが、女子は太もも丸出しになるブルマを履かなければならない。それでも地元ではクラスメイトも幼かったし、女の子達もパンツがはみ出てちらりと見えていても気にしてなかったが、東京ではそうはいかない。
男子でマセた子達はチラチラとこちらを見てくるし、女子もハミパンを気にして頻繁にチェックをしている。なんでこんな下着みたいな物で体育を受けなきゃいけないのか、前世ではあと6・7年ぐらいでブルマ廃絶の機運が高まっていったが、現世ではもっと早く廃止にならないかなと願ってやまない。
それはさておき、今日の体育は跳び箱である。一段も飛べなかった
ダンッ、と踏切台を両足で踏んで両手を跳び箱の上で突き、足を開いて飛び越えるとマットの上にしっかりと着地する。3段から6段の跳び箱が並んでいて、それぞれ自分の実力に合った物を選んでクリアしていく。私は6段まで跳べたので、他の子のサポートに回る様に先生に指示された。
残念ながら私の小さな体躯では積み重なって高くなっている跳び箱でサポートをするなんて不可能なので、一番低い3段の跳び箱の傍に立っておく。
「松田さん、ちょっと跳び方見てほしいんだけど」
ぶっきらぼうな声が聞こえてそちらの方に視線を向けると、クラスメイトの男子が立っていた。ええと、確か原田くんだったかな。
「原田くんだったら、このくらいの段数なら簡単に跳べそうなのに」
「き、基本が大事だから」
最近体育の時に何故かこの原田くんと絡む事が多い、もしかしたら転校してから一番喋っている男子は多分彼なのではないだろうか。それでも両手に満たないくらいの回数なのだけど。
前回のドッジボールでは、私が当てられそうになった際に同じチームだった彼が庇う様に相手のボールをキャッチして、投げ返してくれたのが印象的だった。それを考えると多分運動が得意なはずなのに、何故初心者向けの跳び箱に来るんだろうか。そう思って質問したら、彼は視線を逸してそんな答えを返してきた。なんだよ、基本が大事って。
そんな内心をおくびにも出さずに、ひとまず跳び方を説明してから原田くんに跳んでもらうと、予想通り軽々とクリアした。フォームもすごくキレイだし、教える事も直すところも全くない。
パチパチと拍手しながら『すごいね』と彼を褒めると、ほんの少しだけ照れた様な様子で『ありがとう』とお礼を告げて次の跳び箱へと向かっていった。『一体なんだったんだろう』と首を傾げていると、なにやらニヤニヤ顔でこちらに近寄ってくる透歌。私の前に来るや否や『原田くん、何だって?』と聞いてきた。
「よくわかんないけど、なんか基本をちゃんとしたいんだって言ってたよ」
真面目だよね、と言うと透歌はまるで異星人でも見るような目でこちらを見て、重たいため息をついた。
「お子ちゃまをからかってもつまらないわね、もうちょっと大人になったら彼の言葉がどういう意味だったか教えてあげるわ」
失礼な、これでも中身はアラフォーまで生きたおっさんだぞ。確かに対人のコミュニケーション能力は低いけども、と内心でぐぬぬと憤るけれども、そんな事を彼女に言える訳がなく。モヤモヤした物を心に抱えながら、別の話を楽しそうに始めた透歌の声に耳を傾けるのだった。
それから給食を食べたり午後の授業をやり過ごして帰宅。今日は大島さんの予定が空いているので、レッスンをしてもらえる予定なのだ。しかもいつもなら予定の空いてる寮生が複数参加するのが常なのだが、今日は皆予定があって参加者は私ひとり。マンツーマンで大女優のレッスンが受けられるなんて、本来ならいくらか包まなければ参加できないだろう。
「あら、すみれちゃん。おかえりなさい」
「ただいまです、トヨさん。大島さんはいらっしゃいますか?」
寮の玄関前で掃き掃除をしていたトヨさんに挨拶と併せてそう尋ねると、彼女は大島さんから言付かっていて要約すると『いつでもいいから準備が出来たら呼びなさいな』という事だそうだ。トヨさんを伝言係にして申し訳ないが、私からも10分後に稽古場に来てほしい旨を大島さんに伝えてもらえる様にお願いして、自分の部屋へと走る。
制服から稽古着に着替えて、タオルや筆記用具・室内履きの靴も用意して慌てて稽古場へ。間違っても大島さんよりも後に到着するなんて、あってはいけない事だ。急いだ甲斐あってか稽古場は無人だったので、窓を開けて少しだけでも空気の入れ替えをして、大島さんがいらっしゃるのを待つ。
それから数分後、大島さんが稽古場に入ってきた。普段なら顔を合わせると『学校はどう?』とか『こちらの生活にはもう馴染んだ?』とか気遣って声を掛けてくれるのだが、レッスンの時はそういう私的な言葉は一切ない。
「それでは、始めましょうか」
「よろしくお願いします!」
ぺこり、と頭を下げてレッスンが開始される。ペラ紙1枚を渡されて、そこに書かれている台詞を演じて指導を受けるという流れで進んでいく。普段なら掛け合いは寮生の誰かと行うのだが、今日は誰もいない事を考慮してか母と娘の会話になっている。もちろん母役を大島さん、娘役を私が演じる。
台詞から状況を読み取って、セッティングするのも寮生の役目だ。今回の台詞から察するに、どうやら食卓での会話の様だから備え付けてあるパイプ椅子を2つ運んできて、対面になる様に配置する。
「それでは、はいスタート」
パン、と手が打ち鳴らされてエチュードが開始される。最初は私の台詞からだ、もちろん読むだけではなく体全体を使った演技が求められる。今日渡された台詞は兄の誕生日について相談する
母親にケーキやプレゼントの準備は大丈夫かと問う娘に、抜かりはないと答える母。そして母から頼まれていた部屋の飾り付けの為の飾りを作成をすっかり忘れていて、それを指摘されて慌てて飾りを作る為に席を外すという展開だ。
大げさには演じない、なおの様な明るさを意識して台詞を口にする。そして母から指摘された際に、少し思い出すように虚空を見上げてハッと思い至るというところに自分なりの工夫をしてみたつもりだ。
椅子から立って稽古場の壁まで移動すると、『はいそこまで』という大島さんの声と同時に再度手拍子が鳴る。すぐに大島さんの前に戻ると、さっきまで座っていた椅子に座るように促されたのですぐさま腰掛ける。
「うまく感情を台詞に載せられているところは良いわね、演技もよくある大げさな物ではなく、自然な感じを意識できているのもOK。でもね、さっきのハッとする演技はわざとらしかったわね。すみれは何かを思い浮かべる時に空中に視線を向けたり、思いついたら目を大きく見開いたり口を開けたりするかしら」
誰もが思いつく表現方法だが、普通に暮らしていてそんなわざとらしい態度を取る人はいるかもしれないけれど、実際は少ないと大島さんは言う。
「どんな時にどんな風な行動をするのか、10人いれば10人とも同じ状況でも違う事をするわ。これからあなたが演技をする上で色んな人の行動を見て記憶をストックしておく事が、すごく大事になってくる。だからね、人間観察をあなたのライフワークにしなさい。それで得たものはきっとあなたの宝になるから」
「……はい!」
大きく返事をすると、大島さんは満足そうに笑った。そして少しだけいたずらっぽく笑うと、私の頭を撫でてこんな事を言い出した。
「実はさっきのエチュードはテストだったの。ちゃんと合格だったので、すみれにはご褒美をあげましょう」
そう言って一枚の紙を手渡されて、私はまじまじとそこに書かれた文字を読む。
「教育テレビ、あしたにはばたけオーディションのご案内……?」
確か道徳の時間とかに見ていた小学生向けドラマがこんなタイトルだったはずだ。ドラマ、という事はついに演技の仕事ができるという事だろうか。
私が勢いよく顔を上げて大島さんの顔を見ると、彼女は微笑みを浮かべながらこくりと頷いてくれた。
「ただし、今回はオーディションを受けて役を自分の力で勝ち取ってみせなさい。たとえダメだったとしても、その経験は次に絶対活きると思うわ」
まずは全力でチャレンジしてみなさい、と温かい言葉を贈られた私は、大きくはいと返事をしてやる気を漲らせる。
日が暮れても続いた大島さんの演技指導に、体はとても疲れていたがテンションは上がり続けていく。いい状態でオーディションに参加できる様に、このテンションを維持できる様に頑張ろうと決意を新たにしたのだった。
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