22――寮生活でのあれこれ


――午前5時。


 枕元に置いている目覚まし時計がジリジリと鳴り出したのを感じた私は、他の寮生の人に迷惑がかからない様にパシっと叩いて止め……ようとしたが、腕がうまく動かない。


 まるで輪っかみたいな物で体を締め付けられている様な、そんな息苦しさを覚える。それなのになんだか柔らかい物に包まれている様な安心感と温もりもあって、不思議な感覚だった。あと香水の様な匂いと少しだけお酒の匂いが混じり合っている様な気がする。


「うぅん、うっさいなぁ」


 頭上でそんなうめき声にも似た呟きが聞こえてきて、締め付けがふと緩くなる。寝惚けた頭をなんとか回転させて体を起こすと、そこには見知った女性が目を閉じたままもがく様に左手で目覚まし時計を探していた。なるほど、身動きが取れなかったのは彼女に抱き抱えられていたからかと小さく安堵のため息をつく。


 とりあえず目覚まし時計を止めてシン、と静かになった部屋の中を見回す。間違いなく私の部屋だ。という事は、侵入者は彼女の方になる。まぁ、最近いつの間にか一緒に寝ている事が多いから慣れてしまったんだけどね。


「愛さん、あいさーん。ちゃんと自分の部屋で寝てくださいよ」


 寮生の中で最年長、女優としても活躍中の東雲愛しののめあいさんの体をゆさゆさと揺するが、うるさい目覚ましの音が消えたのもあってか再び眠りの世界に意識を向かわせている。シミーズといえばいいのか、それともスリップだろうか。とりあえずそんな肌着一枚で寝ているためか、私が揺らす度に豊満な胸がぷるんぷるん揺れているのが何故か気に障る。


「いい加減に、起きてくださいってば!」


 もちろん手加減しているが平手で彼女のおっぱいを引っぱたくと、パチーンといい音がした。それと同時に『いたーい!』と目の前の彼女から悲鳴にも似た声があがった。


「いたいじゃん、なんて事するのよ」


「愛さんがなかなか起きないからじゃないですか。それよりも、起きたなら自分の部屋で寝てくださいよ」


 まだまだ寝惚けた表情で抗議する彼女に、私は殊更呆れた様に返した。というか、私がこんなに早く起きたのには理由があって、ユミさんとジョギングする約束があるからだ。早く身支度して待ち合わせしてる玄関に行かなくちゃ、後輩が遅れて先輩を待たせるなんてよくない事だろう、常識的に考えて。


 未だに寝っ転がっている愛さんを避けてベッドから降りると、私はさっさとパジャマを脱いでからTシャツを着て、その上からジャージを羽織る。もちろんジャージのズボンも忘れずに履く。


「すみれさぁ、そうやってどこでも無防備に着替えちゃダメだよ。アンタの着替えを見るために惜しげもなく金払う奴も、この世の中には多分結構いるんだろうからね」


「何言ってるんですか、そんな事しません! っていうか、まだ酔っ払ってるんですか?」


「当たり前よ、寝たの3時過ぎだもん。そう簡単にお酒は抜けませーん。服脱いだら寒かったからさ、柔らかくてあったかい湯たんぽ代わりのすみれを抱いて寝ようと思って」


 愛さんの酷い言い草に小さくため息をついて床を見るが、彼女が脱いだであろう衣服は見つからない。別の場所で脱いできたんだろうなぁ、誰かが発見してくれる事を祈る。


 ブラシで軽く髪を梳いた後で、髪を簡単に頭の後ろで纏める。さすがに幼稚園の頃から髪の毛をちょくちょくいじっていれば、これくらいは片手間にできる様になる。髪ゴムで解けない様に固定すると、ベッドの上でまた夢の世界に旅立とうとしている愛さんに振り向く。


「あと30分ぐらいでトヨさんがお風呂に入れる状態に沸かしてくれますから、もし起きるならお風呂に入る。本格的に寝るなら自分のベッドに行ってくださいね。わかりました!?」


「はいはーい、りょうかーい」


 おざなりな返事に『もうどうにでもなれ』という気分になりながら、私は部屋から出る。洗面所で軽く洗顔と歯磨きを済ませた後玄関に行くと、既にユミさんが待ってくれていた。あー、本当に申し訳なさすぎる。愛さんというロスタイム製造機さえいなければ、ちゃんと先に来れたはずなのに。


「ユミさん、ごめんなさい。お待たせしちゃいました?」


「ううん、今来たところ。おはよう、すみれ」


 赤いジャージに身を包んだユミさんに『おはようございます』と返して、二人揃って運動靴に履き替える。そして玄関を出て庭に出て、まずは準備体操。ラジオ体操を念入りに行ってから、その場でピョンピョンと軽いジャンプを何度か繰り返す。


 前世では走ったりする前はつま先を地面につけて足首をグネグネする準備体操が当たり前の様に行われていたが、病に伏せっていた時に見たテレビで専門家が非推奨だと言っていたのを聞いていたので、転生してからはその時に代替案として紹介されていたジャンプを行うようにしている。何やらグネグネすると捻挫したり足を痛めやすくなるらしい、信憑性があるのかどうかは今ではもうわからないけど。


 ふたりともほんのり体が温まったところで、門扉から出て軽く走り出す。タッタッタッと軽い足音ふたつが、まだまだ静かな住宅街に響いて聞こえるのが心地良い。


 東京での生活に慣れてきた9月下旬、そろそろ日課だったジョギングを再開しようかと思ってユミさんに相談したら、だったら一緒に走ろうかと誘ってもらったのがきっかけだった。ユミさんもジョギングを始めようかと思ってたそうで、私の話は渡りに船だったらしい。


 でも東京は物騒だから、誰かと一緒でなければジョギングは禁止とユミさんだけではなく大島さんをはじめ寮生の皆さんにも止められている。歩幅も走るスピードも違うしユミさんにご迷惑じゃないかなと思ったりもするのだが、今のところお言葉に甘えていたりするのだった。


 少し離れた公園まで行って帰ってくる3km弱のコースを、ゆっくりとしたペースで走る。公園にたどり着いたところで、少し休憩。ユミさんと走り始めて気付いたのは、いつもより早く走らないと追いつけないという事だった。つまり、まーくんと走っていた時に彼は私のスピードに自然な感じで合わせてくれていたという事なのだろう。さすが気遣いができる男、前世の私もあれくらい気遣いができたら生涯童貞で過ごす事などなかっただろうに。


 そんな内心を表には出さず、目が覚めたら愛さんが私のベッドで一緒に寝ていた事を愚痴っていると、ユミさんは笑いながら『すみれは皆に可愛がられているからね』と慰めてくれた。確かに愛さんやユミさん、残りの女子高生ふたり組が暇があれば構ってくれるので寂しがる暇もないくらいだけど。


 他愛ない話をしつつ息を整えると、ふたり並んで寮に向かって走り出す。大体往復で45分ぐらい掛けて戻ってくると、脱衣所に直行する。寮のお風呂は大人ふたりが湯船に入っても余裕なぐらいに広いので、いつもジョギングの後はユミさんと一緒に入らせてもらっている。


 ジャージを脱いで備え付けのカゴに色物・タオル・下着とそれぞれ分けて入れて全裸になると、汗をたくさんかいていた事もあってちょっと肌寒い。ふたりして足早に浴室に入ると、ユミさんは湯船のお湯を私に優しく掛けてくれた。


「私が先に体を洗うから、すみれはぬくもってていいよ」


 いつもそう言って譲られてしまうので『いやいや、先輩に寒い思いをさせるなんて』と抗弁してみるが、今日も無理やり抱えられて湯船に入れられてしまった。確かに同い年の平均体重を下回ってる私だけど、中学1年生の女の子にそうひょいひょい抱えられるとちょっぴり傷つく。ちなみに下回ってるのは体重だけじゃなく身長もなのだが、私の心の安寧のために口には出さないでおく。


 浴槽の縁に腕を置いてそこに顎を載せてぼんやりとユミさんが頭を洗っているのを眺めていると、どうしても前世が男だったからかまだまだ膨らみかけの胸とか見えそうで見えないお股とかに反射的に目線が向くけど、だからといってムラムラしたりいやらしい気分にはまったくならない。なんだか男としても女としても中途半端だなぁと思って、小さくため息をつくとシャンプーを洗い流したユミさんが『どうしたの?』と尋ねてきた。


「……ユミさん、おっぱいって何歳ぐらいから膨らんでくるんでしょうね」


 さすがに本当の悩みは言えないので、私の中にある中ぐらいの悩みを吐き出してみた。これもそれなりに本気で悩んでいる事で、おっぱいが膨らむという事実が楽しみだったり怖かったりするのだ。女性としての意識としては、おっぱいは当然大なり小なり膨らむ物だと納得していてそれを楽しみにしているが、元男としての意識は恐怖に染まっている。


 前世では過度な肥満だったので胸に脂肪はついていたから違和感はそんなにないのかもしれないが、この枯れ木の様に細い体の中で胸だけが膨らむ変化とその違和感に耐えられるのだろうかという不安が恐怖を引き寄せるのだ。


 まさか目の前の幼い後輩がそんな事を考えているとは思ってもいないだろうユミさんは小さく吹き出して、手を伸ばして私の頭を優しく撫でた。


「心配しなくてもすみれの胸もちゃんと膨らむから大丈夫だよ。でもすみれはちっちゃいから、他の人より少し遅いかもしれないけど」


「そうだったらいいんですけど……でも愛さんぐらい膨らんじゃうとバランス悪いですし」


 私がそう言うと、どうやら今の私のボディに愛さんの巨乳を脳内で合成したらしく、ユミさんがブハッと大きく吹き出した。


「や、やめて……すみれは、私を笑い殺す気なの?」


 ヒーヒーと笑いながら体を洗うユミさんに『そんなに笑わなくても』とちょっとだけムッとしたけれど、それについては将来的にユミさんより巨乳になって見返す事にしよう。容姿では勝てないだろうけど、せめて胸ぐらいは誰かに勝てるものを持ちたい。


 ユミさんと交代して髪と体を洗っている時も、『洗うのに時間がかかるから髪を切ろうかな』と言った私にユミさんが勢い込んで止めてきたり、一緒に湯船に浸かっていると『将来に備えて揉んであげる』とユミさんが私の平たい胸を揉んできたり、キャッキャウフフしながらお風呂タイムを終えた。


 ほかほかに温められた体から湯気を出しながら、脱衣所に備え付けてあるバスタオルを体に巻いてお互いの部屋に戻る。ユミさんは髪が短いからいいけど、私の髪はなかなか水気が切れないのでもう一枚バスタオルを使ってそれを頭に巻いて水気を吸わせるのだ。


 私のベッドにはまだ愛さんが寝ていて、その隣でパンツやシミーズを身につける。そして部屋に備え付けてあるドライヤーで髪を乾かしていると、ドライヤーの音がうるさかったのか愛さんがむくりと体を起こした。


「お風呂入ってきたの? じゃあ、お姉さんが乾かしてあげよう」


 寝ぼけ眼でそんな事を言いながら、私の手からドライヤーを奪った愛さんが優しい手付きで髪を乾かしてくれる。髪を傷めない様に髪とドライヤーの距離を離している為、15分程かけて完全に乾かすと、今度はクシと髪ゴムと持ってきてヘアアレンジまでしてくれた。


「お客様、こんなのでどうでしょ?」


 鏡に映った私の髪型は、高い位置にポニーテール。でも一緒にまとめられているはずの後ろ毛をオシャレに垂らす感じになっていて、平成のセンスから見ると時代を感じるが非常に可愛らしく仕上がっていると思う。


「ありがとうございます、愛さん。すごいですね、ヘアメイクさんみたい」


「この間の撮影の時に、私も同じ髪型にしてもらったのよ。その時に色々コツみたいなのを聞いたからね」


 愛さんはそう言うと、上手なウインクを残して部屋を出て行った。寝癖ついてなかったら格好良かったのに、と思いながらその後姿を見送って制服に着替える。


 その後トヨさんお手製の朝ごはんを頂いて、学校指定のカバンを背負うと学校へと向かった。

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