20――突然のCM撮影


 俺――もとい、私が東京に来て2か月が経った。なんで脳内での一人称を私に改めたのかというと、万が一にもポロッと口に出したらマズイからね。以前なら自分ひとりが変な子扱いされれば済む話だったけど、今は後ろ盾になってくれている大島さんや事務所の皆さんにも迷惑がかかる可能性がある。そういうものは極力潰しておかなくては。


 東京に来たのはちょうど夏休み真っ只中で、2学期が始まるまでは地獄みたいに厳しい大島さんの演技レッスンから始まり、日舞やらダンスやら歌唱レッスンやらと色んな分野の基礎レッスン漬けになった。しかもどの先生も厳しいし、初心者だからって手加減してくれない。これ中身がおっさんの私だから耐えられたけど、普通の小学3年生だったら泣いて実家に逃げ帰ってるのではないだろうか。


 毎日ヘトヘトになりながらも課されるレッスンをこなし、夜はユミさんを始めとする先輩達に慰められたり甘やかされたりする毎日。現世では他の子のお世話をするばかりの立場だったから、こんな風にベタベタに甘やかされるのって実は初めてなのではないだろうか。体力の限界でご飯中に寝落ちしても次の朝にはベッドの上で目が覚めるし、寝てる間にお風呂にまで入れてもらっているという徹底ぶりだった。


 『ご迷惑かけて申し訳ないです』と謝ると、どうやら先輩達もこの集中レッスンを受けた経験があるらしい。そのしんどさは身にしみてわかっているし、小学生ならなおさら大変だろうと同情して色々サポートしてくれたそうだ。ありがたく思うなら次の入所者にも優しくしてあげて欲しいと言われて、私は一にも二にもなく頷いた。


 そして地獄の特訓をなんとかやり遂げると、2学期を迎えたので転校先の小学校へ。前世も通じて初めての転校なので、かなり緊張しながらもなんとか新しいクラスメイト達の前で自己紹介をこなす。一応いい印象を与えられる様に自分では微笑んだつもりだったが、後に仲良くなった子からは『かなり不自然だったよ、アンタの笑顔』と2か月も経つのに未だにからかわれたりする程引きつっていたらしい。


 担任の先生は吉田さんという女性で、どうやら前もってこのクラスの委員長さんに話を通しておいてくれたらしい。クラスメイト達からの質問とか、そういうのも全部委員長の木村透歌きむらとうかちゃんが全部仕切ってくれて、しばらく慣れない学校生活のサポートをしてくれた。そうこうしている間に普通に仲良くなって、私にとっては学校で一番仲良しと言ってもいいくらいの友達になっている。透歌もそう思ってくれてたらいいな。


 そんな感じで学校では一般的な小学生を演じて、寮に帰るとレッスン漬けの充実した毎日を送っていたある日、事務所で担当してくれている安藤さんが寮の稽古場へと飛び込んできた。ちょうど柔軟運動をしていて、足を180°に開いたまま上半身を床にべったりと付けていた私の姿を見つけると、その勢いのまま手を引っ張られて引きずり起こされる。


「いい、すみれ。これはチャンスなの、神様がくれた奇跡なの!」


 鼻息荒く言う安藤さんをなんとか落ち着かせながら、私はサッと着れるワンピースに着替える。どういう話なのかは全くわからないが、このままだと稽古着のまま外に連れ出されそうだったからだ。


 安藤さんの話を要約すると、どうやら子供用玩具のCMに出演する子役に、急なキャンセルがあったらしい。しかも撮影開始は1時間後という急なスケジュール。制作会社としてもお得意様である大手おもちゃメーカーの機嫌は損ねたくないという事で、草の根を分ける勢いで撮影に参加できる子役を探したが撮影開始のアタマが決まっている以上、なかなか見つからなかったらしい。


 そして懇意にしている制作会社のスタッフさんから安藤さんにもヘルプコールが入り、急いでここにやってきたのだそうだ。経緯を説明されながらもカーディガンを羽織って身支度を整えていた私は、そのまま安藤さんに荷物の様に引きずられて車の後部座席に放り込まれた。


 まぁ大島さんや事務所の利益になる事だったら、できる事ならなんでもやりますよという気持ちだから問題はなかったが、考えてみれば初めてのCM撮影である。撮影場所に近づくにつれて心臓がバクバクと暴れだしたが、スタジオに入るとそれ以上の衝撃が待っていてそんな緊張は吹っ飛んでしまった。


 なんとこれから撮影するCMはおもちゃとは言ってもお風呂で遊ぶ用のおもちゃで、更に全裸で撮影なのである。おっさん達が見ているスタジオの中で全裸なんて絶対に拒否したかったが、すでに小学1年生ぐらいの2人の女の子があったかいベンチコートの様な物に身を包んで待機していた。どう考えても断れる雰囲気ではない。


 監督さんやスタッフさんに挨拶した後、即メイク室へと連行される。そこで髪の毛を梳かされたりされながら、カット表を手渡されてCM内容の説明を受けた。私は2人の姉的な役回りで、彼女達と楽しく遊べばいいだけらしいので気は楽だが、一番のネックは人前で裸になってしかもそれが撮影されて、その上お茶の間のテレビで大公開されるという事だ。


 どの程度の露出なのか、胸や股間は映らない様にしてもらえるのかと監督に質問すると、股間はさすがに映さないが胸は映すだろうと言われてしまった。この時代だとそれは当たり前なのかもしれないが、さすがにそれは恥ずかしい。私が難色を示すと、監督達もここで私が降りたら今日の撮影は絶望的なのがわかっているのか、胸にも前貼りをしてくれる様に配慮してくれることになった。


 前貼り処理を施してもらって、全裸にベンチコートという露出狂一歩手前な格好でスタジオに戻ると、共演する女の子のひとりがお母さん相手にグズっていた。本来ならもう撮影も終わっている時間だし、子供にとっては長すぎる待ち時間だったのだろう。それを見てもうひとりの女の子も泣きそうになっている。このままの状態では撮影を始める事はできないだろうし、ちょっと顔合わせついでに挨拶しておこうかな。


 少し離れたところにいる女の子に手招きしてこちらに近づいてくる事を確認すると、グズっている女の子の前に立って少しだけ屈んで目を合わせる。


「こんにちは、今日一緒に撮影に参加する松田すみれです。よろしくね……お名前おしえてくれるかな?」


「……いけだ、すず……」


「やまとけいこ、です」


 グズっていた子がすずちゃん、もうひとりの子がけいこちゃんと言うらしい。表情がまだまだ固いふたりににこりと笑いかけて、私は『一緒に楽しく遊ぼうね』と呼びかけた。するとどことなくふたりの表情が柔らかくなって、ほんの少し笑顔が溢れる。


 監督もそれを見て『今が好機だ』と思ったのか、スタッフ達に指示を出し始める。私達もベンチコートを脱がされて、用意されている大きな浴槽へと案内された。ちゃぷん、と足を浸けると湯気があんまり出ない程度のぬるま湯、といった感じの温度である。どぷん、とすずちゃんとけいこちゃんが浴槽に入ったので、私も肩までお湯に浸かる。


 おもちゃはお湯に浮かべるとゆっくり前に進むプラスチック製で、お湯の中に沈めてから手を放すと勢いよく浮かび上がる物だ。既にカメラさんがテープを回して撮影している様なので、早速おもちゃを手にとってお湯の中に沈めてみる。


「いくよー、よく見ててね」


 私の声にきょとんとするふたりに当たらない様に気をつけながら、おもちゃから手を放すと結構な勢いで水面から飛び出していく。最初はびっくりした表情だったふたりは、面白さが勝ったのか満面の笑顔で『こんどはわたしのばん』とそれぞれにおもちゃを手に持つ。


 撮影の事を忘れてふたりと遊んでいると『はい、オッケー!』と監督の声が響いて、ようやくこれが撮影だった事を思い出す。撮った映像のチェックが終わり合格が出たのか、スタッフの人達がパチパチと拍手してくれた。それをBGMに大きなバスタオルに包まれて浴槽の外に出ると、そのまま更衣室に連れて行かれて着替える様に指示された。着てきた下着とワンピース、カーディガンをもう一度身につけて更衣室を出る。するとメイクさんがドライヤーを持って待ち構えてくれていて、髪の毛をブローしてもらった。


「すみれちゃん、だっけ? すごいわよね、すずちゃんがあんな風に素直に仕事するなんてなかなかないのよ」


 メイクさんにドライヤーを当てられながらそう言われて、思わずきょとんとしてしまう。全然そんな印象はなく、素直に言う事を聞いてくれたので驚きよりもその言葉の内容が理解できなかったのだ。


「普段は違うんですか? すずちゃん」


「もうすごいワガママ娘なんだから、でも大手芸能プロの関係者の娘さんだからスタッフもあんまり言えなくてね」


 メイクさんはドライヤーを切ると、人差し指を縦にして唇に当てて『シー』と言いながら苦笑した。内緒にしてね、という事だろう。


 私は頷いて立ち上がると、サラサラに乾いた髪をひと撫でした後に『ありがとうございました』とメイクさんにお礼を言って別れる。


 すっかりここに来る前と同じ姿に戻った私は、安藤さんと一緒にスタジオに戻って監督さんやスタッフさんに『ありがとうございました』と挨拶した。


「代役と聞いていたが、よく他の子をまとめてくれたね。おかげで我が社の製品の魅力をより強く視聴者に伝えられるCMが出来たと思う、ありがとう」


 その中にいたスーツのおじさんにそう声を掛けられて、反射的に『また何かお仕事があれば、呼んで頂けると嬉しいです』と軽く営業もしておく。越権行為かもしれないが、こういう営業活動は大事だと思う。今回はCMだったが、私がやりたいと望んでいる演技の仕事にも繋がるかもしれないのだから。


 すずちゃん達とも『またね』と手を振りあって別れた後、安藤さんと一緒に車に乗り込む。意識はしていなかったがやはり緊張していたのだろう、まるで溜め込んでいた何かを吐き出す様に、思わず深いため息の様に長く息を吐いてしまった。


「ふふ、疲れた? 今日は本当にありがとうね、すみれ。お疲れさま」


「いえいえ、いつも安藤さんにはお世話になってますし、何事も経験ですから」


「そう言ってもらえると有り難いわ。それにね、仕事っていうのはある意味数珠つなぎなの。もしかしたら今日やった仕事が、全然違う分野の仕事を持ってくる場合もあるからね」


 先程のスーツのおじさんにこっそり営業していたのを聞いていたのだろうか、安藤さんは私の希望分野を知っているし、フォローしてくれているのかもしれない。


 どうか演技のお仕事に繋がりますように、と祈りを捧げる。その日はおいしい夕ご飯をごちそうしてもらって、幸せな気持ちで寮に帰った。1か月程して撮影したCMがテレビで流れ始めて、学校で女の子達にからかわれたのはちょっぴり恥ずかしかった。男子はまぁ、ね。前世は男だったから同級生の女の子の裸を見ちゃったらソワソワしちゃう気持ちもわからなくもないけど、自分がその対象だとすごく微妙。さっさと別の物でそういうモヤモヤを発散して欲しいと強く望む。とりあえず向けられて来る妙にネットリした視線は、ひたすら無視を貫くことにした。


 父からも電話で緩く叱られたりした。『こういうCMに出る時は相談してほしい』とか『女の子がテレビで肌を見せるなんて』とか言われたけど、急に決まったんだから仕方がないでしょで押し通した。何故かまーくんからも電話をもらって文句を言われたのだが、心配してくれているのはわかるんだけど正直ちょっとウザったい。母やおばちゃんは『可愛く映ってた』とか褒めてくれたのにね。


「でも、東京に来て少ししか経ってないのに、もうCMに出ちゃうなんてね。すみれには差を付けられちゃったかな」


「ユミさんは自分の希望通りに、舞台に出演したりしてるじゃん。私も早く演技の仕事やりたいな」


 からかう様に言うユミさんに、私はちょっと頬を膨らませて言った。いつも通りに自主トレの為に寮の稽古場で準備体操をしていると、安藤さんがバァンと勢いよくドアを開けて稽古場に飛び込んできた。あれ、なんだかデジャヴを感じる光景。


「すみれ、喜びなさい! 今度は雑誌のモデルの仕事が来たわよ」


 突然の安藤さんの来襲と全く想定していなかった仕事の内容に、私はしばらく言葉も返せずに呆然とするのだった。

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