11――外郎売


 人間40年弱も生きると、それなりに色々な経験をしている。俺の場合は高校1年生の頃に声優になりたいと夢見て、バイトをしながら資金を貯めて養成所に通ったり。


 残念ながらその夢は破れてしまったが、週に1回同じ夢を追う人達と演技を勉強するのは楽しかった。前の人生で一番楽しかった思い出かもしれない。


 何故そんな事を思い出しているのかと言うと、簡単に説明するなら現実逃避である。


「じゃあ次は泣いてもらおうかな……はい、さんにーいちキュー」


 パン、と両手を打ち鳴らす目の前のおっさん。なんでそんな事をしなければいけないのか、などと言っても仕方ない。何故なら今、俺は面接の真っ最中なのだから。




 ゴールデンウィークの前日、学校が終わってから母と一緒に新幹線に乗って東京へ前乗りした。前世ではもう鉄道博物館でしか見る事ができなかった0系に乗って、一路東京駅へ。そう言えば新幹線の品川駅ってこの頃はまだなかったんだな。東京に住んでた頃は大森が最寄り駅だったので、帰省する時によく使っていた。


 ビジネスホテルで一泊して、会場へと向かう。6階建てのビルを貸し切るって、バブル期とはいえ金の掛け方がすごい。東京の芸能界でいえば端金なのかもしれないが、田舎者かつ貧乏人の金銭感覚としては驚きと共に畏れを覚える。後から聞いた話だが100人以上の書類選考通過者の面接を1日で終わらせようというのだから、これくらいのスペースは必要なのかもしれない。


 面接は音楽プロデューサーだったり映画監督だったり脚本家だったり、そういう業界人達を前に二人一組で行われる。他にはプロダクションのスカウトマンとか社長なんかもいるらしい。応募者の目指す道のスペシャリストに当たるかどうかは神のみぞ知る。まぁ主催者側は応募書類で志望動機を読んでるから、それに合わせた振り分けはしてるんだろうけど。


 保護者は別室にて待機との事なので、母と分かれて面接会場へと向かう。分かれる際に『もしも変な事されたら大声出しなさいよ』と耳元でこそっと囁かれたが、さすがにこんな名の通ったオーディションでそんなオイタをするアホはいないだろう。とりあえずは小学生っぽく『変な事ってどんな?』ときょとん顔で返したら、母は言葉に詰まった様子で手を振った。さっさと行ってきなさいの意味だろう。


 部屋の前に行くと俺より5つか6つぐらい年上の少女が扉の前に立っていたので、もしかしたら待たせてしまっているのかもしれないと思い慌てて駆け寄る。


「えーと、松田すみれさん?」


「はい、よろしくおねがいします!」


 案内係と書かれた腕章を付けた男性に尋ねられたので、ぺこりと頭を下げる。俺としてはキリッと大人っぽく挨拶をしたはずなのだが、舌っ足らずなのと声が可愛らしいせいでどうしても脳内でひらがなに変換される。同い年の子と比べても低めの身長と合わせてコンプレックスだったりするのだが、無いものねだりをしても仕方がない。


 どうやら少女は俺と一緒に面接を受けるみたいなので、同じくぺこんと頭をさげて挨拶しておく。緊張で表情をこわばらせていた彼女だったが、俺みたいな普通の子も参加すると聞いてホッとしたのか、少しだけ笑顔を浮かべた。この子が自薦か他薦かはわからないけど、さすがは書類選考を通過しただけの事はある。笑顔にドキリとする破壊力のある、かなりの美少女だった。


「私は伊藤かすみ。よろしくね、すみれちゃん」


「はい、こちらこそ!」


 時間がある様ならもう少しお話してみたかったのだが、どうやらすぐに面接が開始されるらしい。案内係の人に導かれるがままに、室内に入った。なんか就職の時に何度も経験した面接みたいだな、緊張感といい面接官の威圧感といい。


 椅子の横に立ったが面接官からは座れとも名乗れとも指示が来ない。かすみちゃんも緊張のためか固まってしまっているので、面接官達と俺達ふたりのお見合い状態に陥ってしまった。仕方がないので俺から動く事にする。もし何か失礼があっても、子供の無邪気さで許してくれるだろうという淡い期待も込めて。


「松田すみれと申します、本日はよろしくおねがいします!」


「あの、伊藤かすみです、よろしくお願いします!」


 俺が元気よく聞こえる様に言うと、かすみちゃんも最初は戸惑ったようだったが、それでもはっきりとした声で名乗りをあげる。すると3人いる面接官の中で一番若くスーツを着た男性がにっこりと笑って、『おかけください』と着席を促してきた。


 まずは面接官の人達が自己紹介を始める。スーツの人が河合さん、芸能プロダクションのスカウトマンなのだそうだ。真ん中のセーターを着た中年のおじさんが音楽プロデューサーの石川さん、右端のハンチング帽を被ったヒゲ面のおじさんが映画監督の神崎さんとの事。確かに神崎監督は前世でも名前聞いた事あるな、人気が下火になっている邦画でもオリジナル脚本で映画を作ってヒット作を世に生み出してるとかなんとか。


 そしてこちら側の自己紹介に。へー、かすみちゃんは神奈川出身なのか。高校1年生で歌手になりたくて応募したらしい。前世ではこのオーディション出身の歌手の人もいた記憶があるので、是非彼女には頑張ってその夢を掴んで頂きたいものだ。前の人生でたったひとつの成功体験すら得られなかった俺が言うのもアレなのだけど。


「それでは次に、松田すみれさん。自己紹介をお願いします」


 スーツの河合さんにそう振られたので、俺は当たり障りのないところから自己紹介を始める。名前や年齢に出身地、そして姉が自分に黙って応募したので書類にかかれている事とは違う部分も出てくるかもしれないと、予防線を張っておく。ただせっかくの機会なので挑戦してみる事にしたのだと、やる気を見せる事も忘れない。ダメ元のつもりでやってきたけど、落とされるとしてもせっかくならいい印象を持ってもらいたいと思う。自分から積極的に相手に嫌われにいくマゾっぽい趣味などないのだ。


 俺達の自己紹介が終わって、次は面接官からの質問タイム。明確に歌がやりたいと希望を言っていたかすみちゃんに、音楽プロデューサーの石川さんから具体的な質問が飛ぶ。どんな歌が歌いたいとか、目標にしている歌手だとか。逆に俺に対しては彼らも質問内容を掴みあぐねているのか、かすみちゃんの質問ついでに好きな芸能人や学校で流行っている事などを聞かれるだけに留まった。


 そして最後に自己PRタイムがはじまって、まずはかすみちゃんがアカペラで歌謡曲を歌った。これまでの受け答えでは少したどたどしい部分が見えた彼女だったが、歌手でやっていきたいという気持ちは本気なんだなと理解できてしまうぐらいに、力強く意思がこもった歌声を聞かせてくれた。


 さて、次は俺の番だ。オーディションなのだからこういう自己PRは必ず求められるだろうと、東京に行く事が決まってから色々と考えてはいたのだ。最初はかすみちゃんと同じ様に歌を歌えばいいかなと思っていたのだが、この時代の曲ってあんまり知らないし、下手に平成の曲を歌ってしまって『その曲は一体!?』みたいな変な注目を浴びたらややこしい事になりそうだなと思い却下した。


 変に新しい事をしても付け焼き刃になるだろうし、ここは身についているアレをしようと立ち上がって宣言する。


「『外郎売ういろううり』をやります!」


 俺がそう言うと、これまでほぼ俺と目が合わなかった映画監督の神崎さんが、ちらりとこちらを見た。他のふたりも意外そうな表情を浮かべている。


 外郎売とは元々は歌舞伎の演目のひとつだが、現在ではその中の長台詞を演技者やアナウンサー達が滑舌の練習に諳んじる早口言葉の様な扱いを受けている。しかし元々は歌舞伎の演目なのだから長台詞の中にもストーリーがあり、ただ読み上げればいいというものではない。薬売りの男が周囲の通行人に呼びかける、薬を売り込む、効能を伝える、そのどの言葉にも様々な感情が宿るはずだ。


「拙者親方と申すは、お立ち会いのうちにご存知のお方もござりましょうが!」


 俺が養成所で演技を学んだ時に2年間お世話になった講師が言っていた、大事なのはハートなのだと。上辺だけ取り繕った演技では人の心には伝わらない、というのが彼女の決まり文句だった。


 この薬売りの男の状況や心情を読み込み、目の前の風景を想像し、どうやったら通行人の足を止められるか。そんな事を考えながら俺はあの頃ずっと、この演目を練習していたのだ。


 長いので途中で止められるかなと不安だったが、制止の声はかからず最後まで演じきる事ができた。刷り込まれた身振り手振りも自然と出て、額にじっとりと汗が浮かぶ。ありがとうございました、と頭を下げてから面接官達を見ると、何故かぽかんとした表情でこちらを見ていた。不思議に思ってかすみちゃんの方を見ると、彼女も同じ様な表情を浮かべている。


 しばらく無音の中でどうしたものかとオロオロとしていると、神崎さんがパチパチとゆっくりとした拍手をくれた。その音で我に返ったのか、他のふたりの審査員も感心の色を表情に浮かべながら拍手に加わってくれた。隣を見るとかすみちゃんも拍手してくれていて、なんだかすごくそれが嬉しかった。


 神崎さんは他の二人に『ちょっといくつか彼女に質問したいのですが、いいですか?』と断ってから、俺に視線を向ける。


「今までに演技の勉強をしたことはあるのかい?」


「いいえ、ありません」


 現世では、と心の中で小さく付け加えながら質問に答える。すると彼はますます興味深そうな表情で、無茶振りをしてきた。


「今からおじさんとゲームをしようか。おじさんが指示するから、松田さんはそれに合った顔をしてほしい。そうだな、見本を見せようか。河合くん、怒った顔をしてみて」


 突然指名された河合さんがびっくりした顔をしながらも、さすがに逆らえないのかわざとらしく腕を組んで怒った表情を作る。なるほど、簡単なエチュードみたいな事をしようという訳か。


 前世でもこういう練習はした事があるので、俺は神崎さんに対して頷いた。怒った顔のままで放置されている河合さんは、可哀想なのでスルーしよう。


「じゃあ、松田さん。喜んだ顔してみて」


 そう言われて、俺は前世で嬉しかった事をいくつか思い出す。現世でも嬉しかった思い出はいくつかあるが、感情の強度でいえば前世の出来事の方が圧倒的に強いのだ。その時の感情や空気、周りの景色を思い出していると、自然とそれが表情に出た様だ。神崎さんから次のお題を出される。


「うん、いいね。次は怒った顔」


 同じ要領で次々出されるお題に応えつつも、段々と辟易としてきたところでやっと冒頭へと戻る。神崎さん……いや、もうおっさんでいいや。おっさんから泣けと言われたのだ。


 『そう簡単に涙なんか出るかよ』と普通なら思うのだが、俺には泣くための必殺技があるのだ。前世で19年一緒に過ごした猫、その今際の際を思い出すとすぐに目が潤み大粒の涙が瞳から落ちる。


 30秒もしないうちに涙を流した俺に、おっさんは『ありがとう、よくわかったよ』と俺に礼を言った。どうやらこのゲームはこれで終わりの様だ……とあれ、ヤバい。涙が止まらなくなった。


「あ、ええと、これから三人で本選への合否を審査するので、お二人は部屋の外でしばらくお待ち下さい。終わったら呼びますので」


 泣き止まない俺に慌てたのか、スーツの河合さんが早口でそう言って俺とかすみちゃんに退出する様に促す。部屋から出て備え付けられているベンチにかすみちゃんと並んで腰を下ろすも、壊れた蛇口から漏れ続ける水の如く涙は止まってくれない。


「うん、すみれちゃんは頑張った。頑張ったし上手だったし、だから泣かなくていいよ。大丈夫だからね」


 さすがに隣で小学生の女の子に泣かれたままなのは気まずいのか、かすみちゃんが自分のハンカチで俺の涙を拭いながら、よくわからない励ましの言葉をくれる。多分相当テンパっているのだろう。


 廊下を歩く他の参加者達にもジロジロ見られるし、かすみちゃんまで巻き込んで本当に申し訳ない。そんな思いは言葉にならず、俺は部屋の中から呼ばれるまで止まってくれない涙を必死になって止めようと努力するのだった。

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