10――3年生のはじまりと寝耳に水なオーディション


 穏やかな小学2年生が終了し、小学校生活の前半最後の年である3年生がスタートした。


 昨年度は特筆すべきことは特にないが、強いて言うなら木尾先生の尽力で誰一人脱落者もなく九九を覚えたのと、春秋にあった遠足で必ずクラスメイトの誰かが迷子になって先生と一緒に探し回っていた事ぐらいだろうか。


 知らない場所で迷子になるというのは、子供にとっては非常に恐怖を覚える事だろう。どちらも俺が最初に発見したのだが、迷子になった児童はポロポロと泣きながら俺にしがみついてきた。こらこらそこの男子、自分より小さな女の子にしがみつきながら泣きじゃくるのはちょっと恥ずかしくないかい? いや、いいんだけどさ。


 ちなみに春は女子で秋が男子だった。女子は新学年に転校してきた子だったから、これがきっかけで友達になってうまくクラスにも溶け込んだので災い転じてなんとやらだと思う。男子は幼稚園時代から知ってる子だけど、この一件以降なんでか俺の方をチラチラ見てくるんだよなぁ。泣いた事を言いふらすなよという無言の圧力なのだろうか。


 そんなこんなで新学年の風物詩といえばそう、クラス替えである。うちの学校はクラス替えが2年に1回なので、毎年クラス替えが行われるところに比べると友達と一緒に過ごせる時間は長い。実際入学から2年、一番仲がいいなおとふみかとは一緒に過ごせた。しかしながら、ついに今年クラスが分かれる事になってしまったのだ……なおだけが。


 それを知ったなおはもうびっくりするぐらい駄々をこねた。その暴れっぷりたるや、最高潮に気が立ったマウンテンゴリラの様だと言っても過言ではない。なおの名誉と女子力のために詳細は伏せるが、校長先生の顔に痛々しいひっかき傷が2本出来るぐらいの大暴れだったとだけ言っておこう。血が滲んでめちゃくちゃ痛そうだった、あれ治るのにしばらくかかるだろうな。


 クラス替えというと適当な教師たちはくじ引きなんかで決めてしまうという都市伝説を聞いた事があるが、俺達の担任だった木尾先生もそうだが神田先生も負けず劣らず真面目な先生だ。きっと児童の性格や交友関係を考えた上で決めたのだろう。


 こんなに幼い頃から交友関係が固定されてしまうというのは、将来的にみてもマイナスにしかならない。クラス替えというものは、それを防ぐために行われるのではないかと俺は思う。クラスメイト全員と交流があるとはいえ、俺達3人は仲が良く固まり過ぎていたし、何より俺への依存心の様なものをなおとふみか両名から感じていた。おそらく傍から見ている先生達にもそれは伝わっていたのだろう。


 なおとふみか、どちらが社交的かと言えば圧倒的になおだ。彼女ならひとり別のクラスに放り込まれても、立派に友達を作ってやっていけるだろう。しかし引っ込み思案なふみかには、現状それは難しいミッションだと言わざるを得ない。


「なお、クラスが分かれても友達だし休み時間に行き来しよ。きっと次のクラス替えは3人一緒になるよ」


 こう言ってなおをなだめた俺だったが、おそらくこの様子だとそれは難しいのではないだろうかと内心では思っていた。先程も言った様にクラス替えは人間関係のリセットと再構築の練習だ。先生方の思惑はおそらく次のクラス替えでなおとふみかを一緒にして、俺ひとりを離すつもりだろう。人見知りのふみかを心配しているというよりは、多分だけど俺に対する不安が教師陣には大きいのかもしれない。


 第三者の目線から見たら、俺はなおとふみか以外のクラスメイト達とは当たり障りなく仲良く過ごしている様に見えたはずだ。だからこそ、このふたりと引き離した時にちゃんと友人作りができるのか、積極的に人の和の中に入れるのかという部分を見たいのだろう。


 と、ここまで偉そうに予想して全然違って、再度3人一緒のクラスとかだったらめっちゃ恥ずかしいな。でもいいや、俺もなおとふみかの3人でいるの心地良いし。


 なんて考えてたら、それどころじゃない事態が発生した。両親に嗜められてから数年、おとなしかった姉が久々にやらかしたのだ。




 事の始まりは4月中旬。そろそろゴールデンウィークにどこに出かけるか、なんて話がちらほらと会話に出始める頃だ。


「すー、あんたに大きな封筒が届いてるんだけど」


 母から手渡されたのは、A4サイズが入る大きめの封筒だった。確かに宛名は俺で、書かれている差出人は……全日本美少女オーディション事務局?


 きょとんとして首を傾げながら母を見ると、母も同じような様子でこちらを見ていた。そのコンテスト名は知っている、数々の女優やアイドルを見出してきたオーディションだ。ずっと続いているのかどうかは不明だが、2000年代に入ってもたまにエンタメニュースで行われている事を報道されていた。


 ただわからないのは、何故そのオーディションの事務局から俺宛に封筒なんぞが届いたのかという事だ。まったく心当たりはないし、わざわざ俺に尋ねるって事は母も同じなのだろう。


 よく知らないけど、こういうのって他薦でも応募できるって聞くよな。という事は、物好きな誰かが俺の名前で勝手に応募したという可能性もあるのか。


「あっ、それ!」


 母と俺が困惑しているところにやってきた姉が、封筒を指差しながらそう言ってこちらにやってきた。そして差出人を確認すると、嬉々とした表情で俺の方を見る。


「世界の広さって物を見てくればいいわ! 所詮アンタなんか井の中の蛙なんだからね」


 最近そのことわざを習ったのだろうか? めっちゃドヤ顔でそんな事を言われても何の事かわからんし、どう返せばいいのやら。しかしどうやら姉の企みによって、面倒事に巻き込まれかけているという事だけはよくわかった。最近静かだったのになぁ、年齢が上がって益々性格が歪んできている様にも見える。


 母も姉がよからぬ事を考えているのがわかったのか、俺にこの場にいる様に言いつけた後で姉を引きずりながら奥の部屋へと引っ込んでいった。おそらくこれから事情聴取という名の尋問が行われるのだろう。


 まぁ変に首を突っ込んでもロクな目に遭わないだろう、ここはひとつ静観の構えでいこう。どうせ話があるにしても父が帰ってきてからだと思われるし。


 予想は当たって、父が帰ってきて夕食を食べた後に家族会議と相成った。母から既に話は聞いているのだろう、父が姉を見る視線の温度がかなり低い。


「で、なんで月子はすみれの名前で、勝手にこんな物に応募したりしたんだ?」


「……皆から可愛いって言われて図に乗ってるこいつに、世界の広さを思い知らせてやるためよ」


 多分そんな事だろうとは思ってたけど、こうして姉の口から直接聞くと陰険さを強く感じる。つまり芸能人レベルの容姿の人達が集まるところに、田舎者の俺を投げ込んで笑いものにしたかったと。


 確かに近所の大人達とかまーくんとかなおやふみか達は俺の事を可愛いって褒めてくれるけど、でもそれってそういう美醜がどうのって意味での可愛いじゃないと思うんだよなぁ。そういう意味で言えば確かに自分自身でも贔屓目に見たら多少見目がいいかなとは思ってるけど、芸能界でどうのこうのできるレベルではない。せいぜい良くてクラスで5本の指に入るか入らないかといったレベルだろう。


「デリケートな話題だから今まで言わなかったが、今回ばかりは限度を超えている。はっきり言うぞ、お前が現状デブでブスだからって、すみれを傷つけていい理由にはならんだろ。そんな事をしてもお前がすみれより可愛くなる訳ではないし、逆にみじめになるだけだぞ」


「やっぱり! お父さんも私の事ブスでデブだって思ってたんだっ!!」


「短気を起こさずに話を聞きなさい! お前は痩せれば可愛いと思うが、デブなのは事実だろ。デブだって言われるのが嫌なら痩せろ。だがお前はその努力もせず、悪意もない妹に対して逆恨みし、挙げ句の果てに妹を笑いものにして傷つけてやろうとする。それは人として最低の行為だぞ」


 父と姉がギャーギャー言い争ってるのをBGMに、俺は送られてきた書類に目を通す。姉の心境とかその後の更生とか正直言って興味ないんだよね、転生してしばらくは情もあったし何とか仲良くなれたらいいなとは思ってたけど、ここまで逆恨みされて変に嫌われてる状況が続けばその情もすり減るというもの。両親には生産者としての責任をとって、姉をちゃんと他人様ひとさまに迷惑を掛けない人間に育て直してもらいたいとは思うが、その過程や結果はどうでもいい。


 ふむ、どうやら書類審査は通っていて、次は面接と。どういう応募書類が必要だったのかは知らないが、どうやら姉がうまい事でっち上げたらしい。姉としては俺に恥をかかせる為には書類選考には通ってもらわないと困る訳で、かわいく見える写真を選んだのではないだろうか。2年ぐらい前に偶然撮れた奇跡の写真があるんだけど、多分あれではないだろうか。小学3年生の俺の経歴ならそんなに書くこともないだろうし、あとはそれっぽく志望動機を書くだけならば姉ひとりでもできるだろう。


 それはさておき、面接に合格した後はステージ上で審査員の人の質問に答えたり、歌を歌ったりしてアピールするらしい。せっかくの機会だし経験として参加するのもいいのかもしれないけど、会場は東京だし難しいかな。


 『すみれはどうしたいのか』と母に聞かれたので、上記の事をそのまま伝えると少し考え込む様にした母が懸念をいくつか上げた。


 うちの親戚は西に偏っていて東の方にはいないから、宿はホテルを利用するため金銭的な負担が増える事。あと行くとすれば母が同伴してくれるそうだが、東京には行ったことがないので土地勘がないのも不安との事だ。


 俺は短い間だが前世で東京に住んでいた事もあるので移動はどうとでもなるが、金銭的な事が理由にあると弱い。普通に過ごしているとなかなかできない稀有な経験だとは思うが、家計に負担をかけてまで我儘を通すつもりはない。


「お母さん達が決めていいよ、わたしはどっちでもいいから」


 俺がそう言うと、今も姉と言い合いをしていた父がギロッとこっちを向いた。


「すみれ、行って来い! そんで優勝かっさらってきて、世の中はこのバカ娘の思い通りにはならないって事を思い知らせてやれ!」


「バカ娘って何よ! お父さんこそ妹を贔屓するバカ父じゃない!!」


「そういう考え方が性根が腐ってるっていうんだボケ!」


 そうしてまた父娘は言い争いに没頭していく、どこからツッコめばいいんだろう。とりあえず優勝は無理だと思うよ、お父さん。


 そんな訳で突拍子のない姉の行動により、俺と母は今年のゴールデンウィークを東京で過ごす事が決定してしまった。

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