12――不合格からのスカウト


 かすみちゃんに慰められ続ける事5分、ようやく止まって目端に溜まった涙を指で拭ってすん、と鼻をすする。


「……ごめんなさい、かすみさん。迷惑、かけちゃいましたね」


 さすがにちゃん付けはまずいだろうと、さん付けに変えてお詫びを告げた。やっぱり前世でずっと一緒に暮らした愛猫の記憶は諸刃の剣だと、改めて思い知る。まぁ日常でこんな風に急に泣け、と言われる事もないだろうし、この技はもう封印すべきかもしれない。


「ううん、私は別に。それよりもすみれちゃんはもう大丈夫?」


「はい、なんか止まらなくなっちゃって」


 苦笑しながら答えると、かすみちゃんも同じ様な表情でクスクスと笑う。それにしても、久しぶりに演技をして超気持ちよかったしスッキリした。もし現世でもう一度役者になれるチャンスがあるなら、今度は本気で目指してみるのもいいかもしれない。


「かすみさんの歌、ものすごく上手でした。まるでホントの歌手みたいだなって思いました」


「ありがとう、まだまだ頑張らないとなんだけどね。すみれちゃんこそ演技とっても上手だったけど、劇団か何かに入ってるの?」


 俺が首をふるふると振って否定すると、かすみちゃんはすごく驚いていた。そりゃそうだろう、演技経験がない小学生女子が突然『外郎売』を諳んじたら、そしてそれが熱演と言ってもいい出来ならば俺だって驚くしビビる。俺の場合は前世での経験があるインチキだが、そんな子がいたら間違いなく本物の天才だろう。


 そこからお互いの身の上話をしていると、廊下の向こうからスタッフさんらしき人に先導されながらこちらに来る母の姿が見えた。あれ、保護者の控室みたいなところで待ってるって言ってたのに。


「すー、大丈夫!? お母さん、呼ばれたから何かあったのかと思って心配で」


 駆け寄ってきた母が俺の顔や体などを何か異常はないかと、手探りで確かめる。泣いたせいで目が赤くなっているのには一番に気付いたのだろう、ちょっとだけ母の雰囲気が固くなるのがわかった。


 そりゃあ面接を受けてた娘に涙の痕跡を見つけたら、一般的な母親なら怒りを覚えるだろう。面接官の人達に必要以上の怒りを向けないように、かいつまんで事情を説明しておく。話を聞いていくうちに怪訝そうな表情になっていく母、そりゃそうなるわな。


「演技? 外郎売? あんた、どこでそんなの知ったのよ」


「えっと、図書館で見た本にあったの」


 以前から何かボロを出した時の言い訳として図書館を使う事を考えてはいたが、まさかこんなに早く使う事になるとは。でもこう言われてしまえば、母としては納得するしかない。『変わったモノに興味を持ったのねぇ』とかなんとか言いながら、俺の頭をポンポンと撫でる。


「伊藤さん、松田さん、結果の方が出ましたので室内にお入りください。松田さんのお母様もご一緒にどうぞ」


 ドアからスーツの河合さんが出てきて、俺達に入室する様に促す。母も入れるって事は、なんか俺についての話があるのかな? 何にしても怒られる系の話でなかったらいいけど。


 先程と同じ様に俺達と面接官が対面する様に座る、さっきと違うのは俺の隣に母が座ってるところだけだ。


「お二人とも、面接お疲れ様でした。早速なのですが、結果をお伝えしたいと思います」


 そう言って河合さんは一枚の紙を手に取った。合格発表というのは何度経験しても嫌なものだ、高校受験や資格試験で何度も経験しているはずなのにいつまで経っても慣れやしない。


 隣をちらりと見ると、かすみちゃんが両手をがっちりと合わせて握りしめ、神様に祈るように目を閉じ祈りを捧げている。あの歌声は本当に気持ちのこもった良いものだったし、是非彼女には本選に残ってもらって、デビューへのチャンスを掴んでもらいたいと俺も思う。


「本選に参加してもらうのは、伊藤かすみさんです。おめでとうございます」


 そう言われた瞬間、かすみちゃんは一瞬パァッと顔を明るくしたが、申し訳なさそうな表情で俺の方を見た。いや、せっかく面接を通過したのにそんな顔しなくても。本当に優しい子だなぁとほっこりしながら、俺は彼女の方を向いて笑顔でお祝いした。


「おめでとうございます、かすみさん。本選も頑張ってくださいね」


「あ、ありがとう、すみれちゃん」


 なんだか戸惑った表情でそう言うかすみちゃんだったが、俺は別に無理はしてないし不合格という結果にも納得している。そもそもダメ元のチャレンジで、久々に全力で演技を披露して、その楽しさを再認識する事もできた。俺にとって、今回得た経験は貴重な物だったと思う。


「さて、伊藤さんにはこの後、明日の予定などを説明させて頂きます。松田さんはもうご退室頂いて結構ですよ……神崎さんもどうぞ、こういう事はこれっきりにしてもらいたいですね」


「……すまない、恩に着る」


 んん? 退室を促されたのはいいんだけど、その後の不穏な会話がすごい気になる。とりあえず面接官の三人に『本日はありがとうございました』と挨拶をして部屋を出ようとすると、何故か神崎さんが一緒に付いてきた。


「松田さん、申し訳ない。話したい事があるのでおじさんに少しだけ時間をくれないかな? お母様もご一緒に聞いて頂きたい、大事な話なんです」


 真剣な表情で頭を下げた神崎さんにひとまず了承を伝えると、神崎さんは俺達を連れて移動を始めた。向かった先は1階にある喫茶店、席はいくつか空いているが人目に付きにくそうな奥の席へと案内される。なんだかこれから変な取引でも行う様な、変な緊張感すら漂ってきそうだ。


 席について早々に神崎さんが『なんでも好きな物を頼んでくれて構わないよ、ごちそうするから』と言うので、お値段1000円を超える豪華なチョコレートパフェを注文した。前世でも現世でも甘いものは大好きだ、もっとも前世では物心ついてからずっと太っていた事を後悔しているので、現世ではカロリー管理と運動を厳密に行っているのでパフェなどは控えている。


 でも今日くらいはいいだろう。一生懸命演技したからかお腹もすいているし、新しいことにチャレンジした自分へのご褒美として今日はセルフ甘やかしを実行する事にした。地元に戻ってからまた頑張ろう、うん。


 注文した物が運ばれてくるまで、神崎さんは母に自己紹介をしていた。名刺を受け取った母は目を丸くして驚いていたので、この頃でも神崎監督はそれなりの知名度はあるのだろう。だが映画監督の顔なんて、テレビなどで度々見掛ける様な一部の超有名と呼ばれる監督じゃないと、一般人は覚えていない。『この人は本物だろうか、自分達は騙されているのではないだろうか』という疑念が母の表情には浮かんでいた。


 チョコレートパフェが運ばれてきたので、早速『いただきます』とスプーンを突っ込んで生クリームを口に運ぶ。おそらく平成末期のスイーツの方が質は高いのだろうが、生クリームが久しぶり過ぎて前世の数倍はおいしく感じた。噛みしめる様に食べていると母達のコーヒーも運ばれてきて、神崎さんが一口飲んで喉を潤すと話を切り出した。


「まずは謝らせて頂きます。実は本当であれば、松田すみれさんは本選に出場するはずでした。容姿も愛らしいし、受け答えも隣にいた伊藤さんと遜色ないどころか、上回っていたと言っていい。そしてあの演技力、本選でもいい結果を残せる可能性は十分にありました」


「あの、でも娘は不合格だったんですよね?」


 母が怪訝そうな表情でそう尋ねる。思いの外高評価だった事には驚いたが、事実俺は不合格だと告げられた。なのに神崎さんは合格するはずだったと言う、この食い違いは一体何なのだろうか。


「私が不合格にしてほしいと、他のふたりに頼みました。軽蔑されても仕方ありません、私は自らの私利私欲の為にすみれさんを不合格にしました」


 平成のアイドルオーディション番組ではいくつものカメラを導入し、参加者達のオフショットや面談の様子などがテレビを通じて視聴者へと流れていた。しかしこの時代、録画機器は非常に高価だ。一般の人達に今日の面接の様子は伝わらず、漏れたとしても結果だけだ。どういう様子でどんな評価がされたのか、そんな事は一切伝わらない。つまり結果を改ざんしたり、都合の悪い事を握りつぶしたりするのはある程度容易だということだ。


 ただ最後の河合さんの様子を見るに、こうした事に忌避感はあるのだろう。あくまで想像だが、今回の事は本当に稀なケースなのではないだろうか。それでも他の二人が神崎さんの意に沿って行動したという事は、余程の理由があるに違いない。


「神崎さんはなんでそんな事をしたんですか?」


 俺はその理由が気になって、空気も読まずにストレートに尋ねた。隣に座っている母が少し慌てた様子で俺の口を塞いだが、言い切った後でやっても意味がないと思う。


「本当に君にはすまないと思って……」


「もう謝らなくても大丈夫です、ダメで元々の参加だったので不合格という結果も受け入れてます。私はただ、なんで神崎さんがそうしたのか、理由が気になるだけです」


 私がそう言うと、本当に怒ってもいないし気にしていない事が伝わったのか、神崎さんは一度だけ頷いてからごくりと喉を鳴らして口を開いた。


「……君を主演にして映画を撮りたくなった。もちろんこのオーディションで入賞して名前と顔を売ったほうが箔がつくが、バラエティやテレビ番組への出演など役者以外の活動がメインになるだろう。もしかしたら歌手として歌を歌わされるかもしれない……それ自体は君自身も楽しめるかもしれないが、本当にやりたい事とは違うだろう?」


 確かにテレビに出てバラエティ番組でおしゃべりしたり歌を歌ったり、その光景を想像すると楽しそうではある。でも、それが俺のやりたい事かと言われれば違うとしか言えない。あくまで現段階の話だが、やりたい事と言われて真っ先に出てくるのは演じる事だ。これまで日常の忙しさに紛れて隠れていた俺の本当の気持ちが、今回の面接でよくわかった。


「売上をアップしたり話題になる為にはどうすればいいか、新しい技術や斬新な演出。映画を撮る時に最近はずっとそういう小手先の事ばかりを考えて、なかなかしっくり来ない事が多かったんだ。だけどね、今日君の演技を見て初心を思い出した。映画監督として歩き出した頃の楽しかった気持ち、余計な事を考えずに作品にのめり込むひたむきさ。全身で喜怒哀楽を表現する君の演技を、もっとたくさんの人に見て欲しい。そしてその時にメガホンを持つのは私がいい、他のヤツには渡したくない。だから、君を不合格にしたんだ」


 見た目は神経質そうでクールな感じの神崎さんだが、その口からこぼれ出る言葉は熱い。まるで愛の告白かプロポーズの様だ、と聞いていて思った。役者に対する監督からの口説き文句だと思えば、あながち間違ってはいないのだろうが。


「ただ、今の彼女はまだ荒削りの原石です。輝く為にはよい指導者に導いてもらって、磨いてもらわなければなりません。私にはその伝手があり、彼女に最高の環境を与える事ができます。彼女が成長している間に、私は映画制作のための準備をします。作品の構想やスポンサー集めなど、やる事は山程ありますから、おそらく撮影開始までには数年掛かるでしょう」


 神崎さんはそう言って、ハンチング帽を脱いで母に向かって深く深く頭を下げた。


「どうか、すみれさんを私達に預けてはくれないでしょうか。お願いします、この才能を育てて花開かせたいのです」

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