07――進級と農作業


「よい……しょっ!」


 ザクッと小気味良い音を立てながら、振り下ろしたクワが土に刺さる。この小さな体で大人用のクワを振り回さなきゃいけない事に理不尽さを感じてしまうが、この時代は大は小を兼ねるというか子供に合わせて道具を作る分野が少ない様に思う。農業なんてその最たるものではないだろうか。


 何やらうちの学校が勤労生産学習とやらのモデル校となったらしく、2年生になって早々にこうして学年全員で農作業に精を出す事になった。インターネットでもあれば勤労生産学習で検索をして意図と教育内容を調べる事もできるだろうが、残念ながらそんな便利なものはまだまだ登場しない。言葉だけで判断するなら『農作業で作物を育てる事で色々学ぼう』みたいなニュアンスになるのだろうか。その是非については横に置いておくが、個人的には面倒くさいとしか思えない。


 そもそも前回もこういう取り組みがあったとして、うちの学校が選ばれたなんて話は全く記憶にない。育てたサツマイモをみんなで焼き芋にして食べた思い出はあるが、ああいうのはたまにやるから印象に残るのだ。説明ではじゃがいもから始まりラベンダーやさつまいもなど複数の花や野菜を季節に合わせて育てるらしく、そこまでやると苦役にしかならんだろうと呆れ混じりのため息をついてしまう。


 むしろ可哀想なのは児童ではなく先生かもしれない。普段の授業や学級運営に加えて農作業、平成の世でも教員の過酷な労働状況は問題視されていたが、昭和の先生達も結構辛い環境にいるのではないだろうか。


 それはさておき、何でモデル校になっちゃったんだろうなぁ。教育委員会の人達、もしかしたら候補の学校を箱か何かに入れてくじ引きで決めたりしたんだろうか。まぁ、決まってしまってこうして授業まで始まっている以上、ぶつくさと文句を言っても始まらない。


 これでも前世ではサツマイモを育てた事がある経験者だ、畝作りぐらいなら非力なこの体でもなんとかできる。この後石灰を付けた種芋を置いて、その上に土を掛けるらしい。何故石灰を付けるのか、理由は説明されてないし質問できる時間もなかったのでよくわからない。


「すー坊は上手ねぇ、今度うちのところもお手伝いしてもらおうかね」


「あ、おばちゃん……あれ、おばちゃんちってお米農家さんじゃなかった?」


 黙々と作業していると、PTAから応援として来てくれている裏の家のおばちゃんが声を掛けてきた。


「庭に家庭菜園があってね、たまにすー坊のおうちに野菜のお裾分けしてるのはそっちからなのよ」


「そうなんだ……あ、テルの小屋の近くにあるあそこ?」


「そうそう、家族の分とご近所さんへのお裾分け分だけ育ててるのよ」


 そう言っておばちゃんはコロコロと笑った。ちなみにテルというのはおばちゃんの家で飼ってる雑種犬だ。元々は捨て犬だったらしいが非常に頭がよく、知らない人には勇敢に吠えて警戒心を顕にする。けれども俺達みたいな知ってる人間が近寄ると甘えるようにすり寄ってくるという、番犬になるために生まれてきたようなワンコだ。


 おばちゃんの家は兼業農家ではあるものの、結構な広さの田んぼを所有していて販売するルートも確立しているからか、結構なお金持ちだ。家族で田植えや刈り取りもやってしまうので、人件費が抑えられるのもその理由の一つだろう。なので自宅の敷地も結構広く、お屋敷みたいな家の横には広めの庭がある。あのサイズの家庭菜園ならあと6個ぐらいは作れるかもしれない。


「すー坊みたいな子が正孝のお嫁さんに来てくれたらいいのにねぇ」


 突然何の前振りもなしにそう呟いたおばちゃんに、俺は何かを吹き出しそうになったがすんでのところで耐える事ができた。何を言い出すんだろう、この人は。


「わたしみたいなのがお嫁さんじゃ、まーくんがかわいそうだよ。もっとちゃんとした女の人の方がいいと思う」


 ちゃんとした、の部分の真意は多分おばちゃんには伝わらないだろうけど、さすがに男としての自意識がまだ多分に残っている俺と結婚するなんてまーくんにとっては罰ゲームだろう。彼には恩義も友誼も感じている俺としては、是非可愛いお嫁さんをもらって今度こそ幸せいっぱいな結婚をしてもらえればと思う。前世での結婚相手は農家の長男嫁にはまるで向かない性格だったからね、彼女の人格を否定したりはしないけれど無用なトラブルを持ち込んで四方八方に延焼させる人だったのは確かだ。


 俺の返事に何故かおばちゃんは困ったような笑みを浮かべて、俺の頭をぽんっと撫でた。おばちゃん、軍手のままだと土が俺の髪についちゃうんだけど……。




 小学1年生は謂わば小学校生活のチュートリアルステージだ。遠足だって裏山にある自然公園に行って遊ぶだけだったし、学校のプールも水遊びとしか形容できないぬるさだった。


 でも2年生からが本番とばかりに勉強のレベルが上がる。算数では九九が立ちふさがり、国語ではこれまでより物語性の強いお話が掲載されている。2年生は先生もクラスメイトも変わらず持ち上がりなので、顔ぶれは変わらない。さすがに最初から躓く子はいないだろうが、勉強の積み重ねがうまく行かずに本気で取り組んでも平均点すら取れない同級生は結構いた。仲の良い子達がそんな風にならない様に、注意して見ておこうと思う。


 去年度はずっとお花係だった俺だが、今年は保健委員になった。と言っても自薦ではなく、先生を含めたクラス全員の他薦で決まってきょとんとしたものだ。どうやら芽生えた母性に任せるまま、あちこちでクラスメイト達の面倒を見ていたのが原因らしい。まぁ主な仕事はたまに開かれる委員会に出る事と、これまでと同じ様にクラスメイト達に気を配って必要があればフォローしていけばいいみたいなので特に負担はない。


 最近はふみかが絵を習い始めたので、その練習に付き合う感じでなおと三人で放課後に絵を描きに行く事が増えている。前世では絵に関する才能が壊滅的になかった俺だが、どうやら現世では人並みの才能はもらえた様で年相応の絵を描くことができている。このまま少しずつ練習を重ねて、いつかはイラストなどが描けるようになったらいいな。


「すーちゃん、今度はわたしのピアノにもつきあってね」


 並んで絵を描いてたなおが、少しだけ拗ねた様な表情でこっそり耳打ちをしてきたので、こくんと頷いておく。俺もピアノには興味はあるのだが、いかんせんうちの父が大のピアノ嫌いなのだ。前世でも現世でも姉が習いたいとゴネていたが、父が強硬に却下した。『大人になってもピアニストなどになれる人間など限られているので時間の無駄』などと尤もらしい事を言っていたが、本当の理由を前世で母から聞いていた。


 どうやら父が子供の頃、隣の家のお姉さんが日がな一日ピアノを弾き鳴らしていたらしく、騒音もそうだがあまりに下手なピアノを強制的に聞かされ続けてノイローゼになりかけた事があったそうだ。それがトラウマになっている様で、子供達には絶対ピアノに近づけないと結婚当初から言っていたらしい。なんというか気持ちはわからんでもないが、自分勝手な話だなぁとは思う。


 俺も前世の吹奏楽部でトラウマ級の嫌な出来事がラッシュの様に起こったが、だからといって自分の子供が吹奏楽部に入部するのを邪魔するかと言えばそれはしないと断言できる。やるとしても自分の実体験をありのまま伝えて、判断材料のひとつにしてもらうぐらいだろう。音楽によって自分自身やその周囲が良い影響を受ける、それを知れたのは吹奏楽部に入ってよかったと思えた唯一の収穫だった。


 絵であれ音楽であれ、お金を稼ぐプロにはなれなくとも趣味として生活の潤いや彩りとして嗜めば自分にとってもプラスになる。同好の士と知り合って新しいコミュニティを開拓する事もできるし、その人の繋がりが良くも悪くも新しい刺激を与えてくれる事もあるだろう。


 結局前世の父は友達もおらず趣味らしい趣味もなく、退職してからは金がある時はパチンコに行くが、懐が寂しくなったら家の個室でテレビを孤独にぼんやりと眺めるという生活を送っていた。それを悪とは言わないが、そんな生活を俺としては絶対に送りたくない。前世の俺も人のことをとやかく言えないくらいに孤独な人間だったが、だからこそ現世では充実した人生を送りたいと強く思う。


 その為にも色々な事にチャレンジしていこう。転生してから何度目か忘れてしまったが、改めて決意を胸に俺はスケッチブックに視線を落として鉛筆を走らせるのだった。

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