片比寺春子の恋わずらい

カニカマもどき

ある女子中学生の物語

 わたしは、強くあらねばならない。


 なぜそう考えるようになったのかは定かではないが、その信条は、ずっと前から変わっていないように思う。文武両道、謹厳実直、質実剛健。それがわたしこと片比寺春子かたひじはるこの目指す姿だ。中学二年の夏を迎え、剣道部の引退試合、そして来年の高校受験を間近に控えたいま、そのことをよりいっそう意識するようになった。

 ゆえに、わたしは自身を厳しく律し、日々成長すべく努力する。世の女子中学生たちの心を惑わす、流行のファッションや音楽、映えるスイーツ、甘酸っぱい恋――そういったものに、わたしがうつつを抜かすことなど、断じてないのである。




 そんなわたしだが、最近、少しおかしい。


 例えば、部活での練習試合のときのこと。

 わたしは女子剣道部の中で最も強いため、男子部員との練習試合を行うことがある。この日は、幼馴染みのシュウとの試合に臨んだ。

「今回も勝たせてもらうぞ」

 防具を身に着け、向かい合ったシュウが、静かな闘志を見せる。

「今回は、の間違いだろう。わたしが勝つけどな」


 試合が始まり、竹刀を低めに構え、にらみ合う。片時も集中を切らさず、相手の一挙一動を観察し攻防に繋げなければならない、緊張の時間。

問題はここからである。

 正直に言おう。わたしはこのとき、集中を切らした。普段のわたしならば有り得ないのだが、シュウの挙動を子細に観察しているうちに、また身長が伸びたなとか、肩周りがガッシリしてきたなとか、試合とは無縁な雑念が入り込んでしまったのだ。

 はっと気が付くと、シュウが面を打ち込んでくるところだった。咄嗟に竹刀でそれを受け、鍔迫つばぜり合いの形になる。

 そしてこの先がさらに問題だった。シュウの顔が間近に迫り、面の奥にのぞく真剣な眼差しを見たとき――なぜか、わたしの心臓は鼓動を早めた。頬は火照り、口元は緩み、目は泳いだ。

「…胴オォッ!!!」

 わたしはシュウの引き胴をまともにくらい、敗北した。


「今日は動きが悪かったな。何かあったか」

 試合後、シュウがわたしの異変を察知したらしく、声をかけてくる。

何かあったかと聞かれても、わたし自身、何があったのか分からないのである。しかも、シュウに近づかれると、また頬が熱くなる。

 わたしは曖昧な返事をして、逃げるようにその場を去ったのだった。


 そのときからだろうか。シュウとテストの点数で勝負したり、部活、委員会活動、早朝ランニングや清掃ボランティアで張り合ったりする日常の中で、わたしはたびたび、あの練習試合のときのような異常、すなわち頬の火照りなどを経験した。これといった解決策も見出せず、わたしは、それとなくシュウを避けるようになりつつあった。

 一体、わたしはどうしてしまったというのか。




「ハル、恋してるでしょ」

 昼休み、校内中庭のベンチにて。

 わたしの隣に腰かけたスズは、唐突にそう言った。周囲には誰もいない。わたしに向かって話しかけていることは間違いないようである。

「恋? わたしが? それはないだろう。ないない。ないないない」

「いや明らかにしてる。シュウ氏に。恋を。いつも一緒にいる私でなくても分かる。ファンクラブの連中も大いにざわついてるよ」

 スズがカツサンドにかぶりつきながら断言する。ファンクラブとは何か、そんなものが存在するのかという疑問はひとまず置いておこう。

「シュウに? なおさら有り得ないな。奴はわたしの好敵手(ライバル)であって、恋するとかそういうのではない。大体、わたしは強くあらねばならないのだから、普通の女子中学生のように恋に落ちたりはしない」

「じゃあ聞くけど、シュウ氏があなた以外の女子と親しくしてたらどう思う?」

「よそ見せず、わたしとの勝負に集中しろと言いたい」

「なら、シュウ氏が不規則な生活を送っていたら?」

「規則的な生活を基礎とした健康な体作りなしには、わたしとの勝負は成り立たないからな。その場合は、規則的な生活を送るよう勧める…いや、わたしが朝起こしたり、弁当を作ってやったりしたほうが確実だな。それがいい」

 回答を聞いたスズは、満足そうにうんうんと大きく頷く。

「うん、恋だね。ぐうの音も出ないほど恋だね。間違いない」


 わたしは戸惑った。

「しかし、本当に恋だとすると厄介だな。わたしは恋などにうつつを抜かす気はないのだから、この気の迷いが自然に消滅するのを待つしかないということになるか」

 わたしが言うと、スズはわたしをぎろりと睨み、ずいと詰め寄ってきた。

「それ本気で言ってる? ハルは今、ようやく恋心を自覚したんだよ? シュウ氏みたいなヤツに出会えることは、この先ないかもしれないんだよ? ハルが強さを大事にしてきたのは知ってるけどね、ここは自分の心の声をよく聞いて、優先順位を考えたほうがいいよ。というか、ここで恋を成就させるために邁進しなきゃ絶対後悔する。賭けてもいい」

 いつにない剣幕でまくし立てるスズに、わたしは圧倒される。

当のスズは、それだけ言うとすぐにケロッとして普段の穏やかな雰囲気を取り戻し、こう付け加えた。

「まあ、最終的にどうするか決めるのはハルだけどね。でも、恋をしたならそれに真っ直ぐ向き合うのが、本当の強者だとあたしは思うよ」




 放課後。通学路から少し外れたところにある公園のブランコに、わたしは一人揺られていた。小学校低学年のころなどにはよく遊びに来ていた公園であるが、今は、一人静かに頭を整理したいときに立ち寄る。


 シュウのことや、スズに言われたことがぐるぐると頭の中を巡っていた。

 スズは、恋の成就のために邁進しろと言った。恋をしたのなら、真っ直ぐに向き合えと。それは間違いではないのだろう。わたしとて、恋というもの全てを頭から否定するつもりはない。ただ自分には、もっと優先すべきことがあるのではないかと思われるだけだ。

 しかし、こうして悩んでいる間にも、わたしはどんどん弱くなっていると感じる。このまま悩み続けているのは良くない。それはわかっている。進むべき道を見定めなければならない。どうやって?

 おそらく重要なのは、そもそもわたしが目指す強さとは何であったのか、なぜ強くなろうと考えたのかという点だ。わたしが忘れてしまった、強くなる理由。そこには何か大切な意味があったはずなのだ。わたしの人生の道標みちしるべとなる程の何かが。それを思い出すことが、きっと前へ進むきっかけになるはずだ。


 空を見上げる。雲一つない晴天である。わたしがこんなに悩んでいるのに、空は晴れ渡り、日は昇る。小鳥も楽しげにさえずる。5歳くらいの男の子が一人、ボールを投げては追いかけて遊んでいる。わたしもあのくらいの歳のころは、悩みなど持たず、ひたすら無邪気に近所を駆け回っていたものだ。何だかため息が出る。

 危険を察知したのは、そのときだった。

 男の子の手元が狂ったか、ボールが勢いよく公園入口の方向へ転がっていく。男の子は一心不乱にそれを追うが、なかなか追いつけない。このままだとボールを追った男の子が、公園入口から車道へ飛び出すのでは…というタイミングで、悪いことにトラックが走ってくる。運転手からは男の子とボールが死角に入り見えないようで、まだブレーキを踏んでいない。

 次の瞬間、わたしは駆け出していた。駆けながら脳内で、取るべき一連の動作のシミュレーションを行う。大丈夫、いける。間に合う――わたしはシミュレーション通り、男の子の元へ駆けつけ、抱え上げ、すぐさまターンを…しようとしたが、そこで足をひねった。


 目前にトラックが迫る。

 急ブレーキの音がするものの、停車は間に合いそうにない。

 死ぬ、と思った。死ぬのか、わたしは。こんな半端者のままで。せめてこの子だけでも…と考えたとき、わたしの体がふわりと宙に浮いた。

 顔を上げると、いつの間にか現れたシュウが、わたしを抱え上げ、走っていた。


 少し経ち。わたしとシュウは二人並んで、公園のブランコに揺られていた。

「………」

 気まずい沈黙が続く。しばらくして、わたしが先に口を開いた。

「…まずは、礼を言わないとな。ありがとう」

「……」

 シュウは無言のままだ。火事場の馬鹿力を発揮した疲労のためかもしれない。

「本当に、いいところで来てくれた。危ないところだった。しかも、男の子とわたしをまとめて抱え上げ走るとは…強くなったな。、今度はわたしが助けられてしまった」

 その言葉に反応し、シュウがようやく口を開く。

「覚えてたのか…昔のこと。この公園であったこと」


 わたしたちが小学一年のとき、この公園で起こった出来事。

「完全に忘れていたが、先ほど思い出した」

 そう、思い出した。トラックに轢かれそうになったとき、走馬灯として。

「あのとき、公園を占有していた上級生に、シュウは無謀にも挑みかかり、あっという間に返り討ちにあって泣かされた。腹を立てたわたしが、報復として上級生を泣かした。派手に暴れたから、親や教師にはこっぴどく叱られたな」

「いや、はじめに手を出したのは俺じゃない。あいつらが、ハルを突き飛ばしたんだ」

 そうだったか。よく覚えているな。


「とにかくわたしは、あの日、弱いくせに無謀で危なっかしいシュウを守っていくために、もっと強くなろうと考えたわけだ。そのうち理由を忘れて、ただ強くあらねばという気持ちだけが残ったが」

「…そんなこと考えてたのかよ」

「言ってなかったか」

 シュウが唇をとがらせる。

「俺は逆にあの日、思ったんだ。守られるだけの自分は嫌だから、ハルよりも強くなろうと。ハルの隣に並び立てる男になろうと。お前がどんどん先に行くから、それは予想よりもずっと大変だった」

「そんなことを考えていたのか」

 互いに顔を見合わせる。ぷっと吹き出し、二人で声を出して笑った。

 少々のすれ違いこそあったが、わたしたちは常にお互いを想い合っていたわけだ。わたしが悩み続けていたことの答えは、最初から出ていた。


「伝えたいことがある」

 わたしたちは、どちらからともなく、そう切り出した。

 その後、わたしたちがどのような会話を交わしたのか、二人の関係がどう発展したのかは、言うまでもないだろう。恋をしたなら真っ直ぐ向き合うのが、真の強者だ。

 わたしたちの強さは、新たな段階へ突入した。

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片比寺春子の恋わずらい カニカマもどき @wasabi014

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