右の女 8

「お疲れましたー」

 ひかるがミルクティーの入ったペットボトルを掲げる。

「お疲れー」

 あき子がコーラのペットボトルをそこにぶつける。

「お疲れ」

 灯も、微炭酸飲料のペットボトルをぶつけて乾杯する。続けて飲む。乾ききった口内に水分が流れ込んで若布を水で戻すように細胞に潤いが沁み込んでいく。ぷっはー、と呻くひかるに合わせてくぅー、と呻いてみる。

「やっぱ運動の後のビールは最高だわ」

 と笑うひかるに、

「それおっさんみたいだからやめてよー」

 あき子がツッコミを入れている。

 灯もあき子と同じことを思った。だが即座に言うのが躊躇われた。あき子が言うなら自分は黙っていて正解だったと思う。

「この後どうする?」

 ひかるはまだミルクティーを半分も飲み干さずに問う。

「今月何回目ー?」あき子は呆れた声を出す。「さっさと男捕まえて所帯固めてよー」

「へっへ。まだ遊び足りないぜ」

 ひかるはミルクティーを一口飲み、じっと飲み口を見る。それはたぶん、要らないのサインだ。

「ねえ、そのミルクティー、飲んでいい?」

 灯が声を掛けると、ひかるは明るい顔つきとなるがそれにはどこかこの質問が織り込み済みであったような根っからではない平熱の笑顔がある。

「そんなに欲しかったかー。ならあげる」

 ひかるは灯に素早くミルクティーを押し付ける。灯はそれを受け取る。両手が塞がる。塞がった手で器用に蓋を開けて、残りのミルクティーを飲み干す。お腹の張りを感じる。炭酸でなく微炭酸にしておいて正解だった、と思う。

 紫苑が灯を見捨ててサークルを辞めてから、灯はかつて仲良くしていたあき子とひかるの下に身を寄せた。二人は灯を受け入れ直してくれたが、力関係はというと、灯が完全に下っ端で、お情けで仲間に加えてやる、という態度だった。

 こんな二人に取り入るのも癪だったが、これからテニスを続けていく上で、そして大学生活を円滑に続行する上で、これは必要な社交なのだと我慢することにした。

 花と組む、という選択肢はなかった。紫苑という紐帯が切れた以上、花と付き合う必要がなかった。何より、彼女は紫苑の退部と共にサークルを辞めてどこかへ行ってしまった、だから付き合いようがない。興味もなかったので今彼女が何をしているのかも知らない。

 ひかるは相変わらずのパリピっぷりで、今日もまた合コンをセッティングしようとしている。灯は以前と違い、きちんとそれに参加する。ひかるは灯のルックスを頼みにしている面があった、その点でのみ灯は自分に発言権が与えられているような気がしていた。でも、調子には乗らない、あくまで外様と弁えて行動・発言する。

「あ、灯。今度経済学概論の講義のノート、見せてよ」

 この後についてあき子と話していたひかるが、いきなり灯に話を振ってくる。

「いいよ」

「つか、コピー取って私に頂戴。いいよね?」

「いいよ」

 偽りの笑顔を見せる。ひかるはそれが真実だろうと偽りだろうと興味なしの態で、今日の夜のパーティーについてまたあき子に話している。

 心底くだらないな。

 灯は思った。

 上辺だけの笑顔を交換して。中身のない話をして。野郎どもの自慢話に合いの手を入れて。そんなことばかりしている。その何が楽しいのか。それを徒労と言わずして何と言うのか。そこに価値などあるのか。

 価値ある人生。輝きに触れた瞬間。灯は、紫苑と過ごしたほんの一か月のことを思う。花とのいがみ合いは余計だったけれど、でも、そうしてでも欲しかった紫苑という煌き。あのエトワールから去って、自分の人生は輝きを失った。つまらなくなった。あの子はなんて素晴らしい子だったんだろう。失ってより強く感じる。

 今でも法律の授業で見かける。でも、話しかけても無視される。それで分かる。いや、ダブルスのペアを辞退された時点で分かっていた。あの子は私を選ばなかった。あの子は人生の同伴者に私を選ばなかった。選ばれなかった人生の、なんと虚しいことだろう。

「ぼーっと突っ立ってないで、行くよー」

 ひかるが手を振る。今行く、と応えて、灯は踏み出す。

 私はあの一瞬の輝きを思い返しながら、この先つまらない大学生活を過ごしていく運命にあるのだろうか。

 季節はもう夏だった。流れる汗が、皮膚のたわみに溜まって不快だった。

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右の女と左の女 ――右の女―― 大和なでしこ @KakuKaraYonde

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