この逆ハーレムには理由(ワケ)がある!

やなぎ怜

この逆ハーレムには理由(ワケ)がある!

 令嬢エステラには我慢のならないことがある。だれしも、どうしても気に入らないことやものはあるだろう。エステラの場合はベアトリクス・パートリッジの存在が、そうだ。


 ベアトリクス・パートリッジはエステラと学び舎を同じくする同級生というやつであったが、その家格には大いに差がある。


 名門と名高い伯爵家で育ったエステラは、幸いと言うべきか、努力をすることは嫌いではなかった。加えて、女子であれ勉学に励むことをよしとする家風も手伝って、学園に入れば才媛として知られるようになった。


 だが入学してエステラは「上には上がいる」という言葉を噛み締めることになる。


 ベアトリクス・パートリッジの生家は爵位を持たない、裕福な商家であった。ベアトリクス・パートリッジはその商家の一人娘である。美しくも暗い赤髪でシニョンを作り、楚々とした態度で学園では――その髪の色以外――目立った生徒ではなかった。


 だがベアトリクス・パートリッジは成績で常にエステラの上を行った。そう、彼女は張り出される成績上位者の一覧で、常にエステラの名前の上にいたのだ。


 ベアトリクス・パートリッジは、目立った生徒ではな“かった”。学期を経れば優秀な生徒として彼女の名は知れ渡るようになっていた。そしてその、奇妙な素行の噂でも。


 ベアトリクス・パートリッジは、パートリッジ家の本邸では暮らさず、学園にほど近いマンションを借りて暮らしていると言われていた。その四階建ての立派なマンションは、幽霊が出るホーンテッドマンションとして有名だった。


 ベアトリクス・パートリッジがそこで暮らしていることは学園中の者が知っていたが、なぜそうしているのか、詳しい事情を知る者はだれひとりとしていなかった。エステラもそうだ。


 実家から冷遇されているのではともっともらしく語る者もいたが、じきにそんな噂はスキャンダラスな別の噂話によって上書きされた。


 ベアトリクス・パートリッジはくだんのマンションで複数の男を侍らせている――。


 そこに、男たちとよからぬ関係を結んでいるらしい――という尾ひれがつくのは、すぐだった。


 エステラは、ただでさえ気に入らなかったベアトリクス・パートリッジのことが、猛烈に憎くなった。先の噂が事実であれば、汚らわしいとさえ思った。


 学生の身分で色恋にうつつを抜かすのを、百歩譲って許したとしても、複数の男性と? ――そんな蛮行はエステラの価値観では許されざることであった。


 おまけに噂通りであったのであれば、エステラは色恋沙汰にうつつを抜かしている女に、勉学で負けたことになる。それは、エステラにとってはなにがなんでも我慢のならないことであった。


 エステラはすぐにでもベアトリクス・パートリッジに詰め寄りたかった。己より勉学の面で優っているらしい女には、品行方正であって欲しかった。そうでなければ、その女より劣っている自分は?


 だがエステラは立ち止まって考える。


 この噂を利用すれば、にっくきベアトリクス・パートリッジを学園から追い出せるのではないか? あるいは、毎度毎度己をイラつかせるベアトリクス・パートリッジが、学園でちょっとは居心地の悪い思いをすればいい。そうなればエステラの溜飲は下がる。


 だからエステラはベアトリクス・パートリッジに単身で詰め寄ることはせず、まずはアグネス・グリーニングの耳に噂を入れることにした。


 アグネス・グリーニングは品行方正な模範的淑女であり、エステラたちの同級生であった。おまけに母親は現国王の叔母にあたる、大変高貴な血筋の人間であった。


 そしてそのいつ、いかなるときも正義感にあふれた態度からついたあだ名は“聖女”。もちろん、本人の前で呼ぶ者はいないが、学園内で“聖女”と言えばアグネスのことであった。


 そんなアグネスにエステラは耳打ちをしたのだ。


「パートリッジ嬢の良からぬ噂を耳にしまして……。いえ、わたくしはまったく信じてはいないのですが、もし事実だとすれば学園の品格にもかかわってくることですから、どうすればいいのかとグリーニング様に……」


 ……というような、ベアトリクス・パートリッジを心配するフリをして、エステラはアグネスに良からぬ噂を教えたのであった。


 そしてアグネスはエステラが予想した通り、ベアトリクス・パートリッジに直接事情を聞きに行くと言って昼休みに学園併設のカフェテリアへ急行した。


「パートリッジさん、少しいいかしら?」


 浮かれた喧騒に包まれていたカフェテリア内が、にわかに別のざわつき方をする。


 学園のだれもが知るアグネスと、悪い意味で名が知られているベアトリクス・パートリッジ。その組み合わせに好奇心を刺激された生徒たちが、耳を大きくして成り行きを見守る。エステラはその様子を見て、内心でほくそ笑んだ。


 噂が事実であるかどうかなど、今のエステラにはどうでもいいことだ。ベアトリクス・パートリッジが、エステラの目の前で少しでも恥をかけばそれで溜飲は下がる。


 だがベアトリクス・パートリッジは、アグネスに声をかけられても平然としていた。


「なにか御用でしょうか、グリーニング様」


 一種のふてぶてしささえ感じさせる無表情。アグネスを前にしてもにこりとも微笑まない。愛想笑いすらない。ベアトリクス・パートリッジは、そういう女だった。エステラの中に、イラ立ちが募る。


「貴女に関する良からぬ噂を耳にしたものですから……今この場でハッキリとさせたほうがいいと思いますの」

「噂、ですか」

「単刀直入に聞くわ。貴女が複数の男性を侍らせていると言う噂は本当なのかしら」

「それは……」


 ベアトリクス・パートリッジが言い淀む。しかし顔色は変わらないし、あせっている様子もない。ただただ無表情のままであったが、口調からしてなにか迷っていることは明らかだった。


 カフェテリア中の生徒が、固唾を飲んで見守る。エステラはベアトリクス・パートリッジの態度から、自らの勝利を確信した。


 だが、次の瞬間、ベアトリクス・パートリッジの表情が変わった。


「こんな公衆の面前で晒し上げるような真似をして、恥ずかしくないの?」


 眉間にぎゅっとしわを寄せて、ベアトリクス・パートリッジは心底軽蔑しているといった顔を、ほかでもないアグネスに向ける。これには野次馬たちはおどろいた。エステラも仰天した。


「貴女はいったいなに? 警察官? 裁判官? そうじゃないでしょうに。衆人環視の中で問うにしては、随分と不躾な質問ですこと。一体、どんなつもりでそんな質問を私にぶつけたのかしら?」

「そ、それは……ここでハッキリとさせたほうが貴女の噂もすぐに消えて――」

「あっそ。でもそれは大きなお世話ってやつよ。私の噂をどうするかは私が決めること。頼まれてもいないのにしゃしゃり出てくるのはお節介って言うのよ。それとも、貴女が噂を流したの?」

「そ、そんな卑劣な真似!」

「噂を半分でも信じて公衆の面前で問い詰めることと、卑劣度はそう変わらないと思うわ~」

「そ、そんなつもりでは……」

「じゃあ、どんなつもりよ? そんなことをされれば、どう転んでも辱められるのは私。そんな想像すら簡単にできないって、貴女いくつ?」


 野次馬たちも、エステラも、アグネスでさえも、絶句した。みなベアトリクス・パートリッジは大人しい生徒だと思っていた。目立つのはその暗い赤髪と、成績と、事実かどうかもわからない噂話だけ。いつも口を閉ざしていて、その唇が開かれるのは授業のときくらい。皆そう認識していた。


 だが今のベアトリクス・パートリッジはどうだろう。アグネスの所業に対し、委縮する様子を欠片も見せず反論している。それどころか、あのアグネスを押してさえいる。


「はあ~……マジうっざ……」

「え?」

「……貴女みたいな人間は真実らしいものが出てくるまで納得しないでしょ? じゃあ私のウチに来なよ。特別に招待してあげる。それともここまで来て尻尾巻いて逃げる? 私は別にそれでもいいけどね」


 さしものアグネスも、そこまで挑発されれば断る理由はなかった。


「……いいでしょう。わたくしの目で真実を確かめさせてもらいますわ。そしてもし噂と相違あれば謝罪いたしますし、学園の皆さんにも噂は事実ではないと宣言いたします」

「わかった。じゃあ今日の放課後にでも来ていいよ」


 生徒たちが見守る中、約束はなされた。そしてアグネスにくだんの噂を耳打ちした人間として、エステラもベアトリクス・パートリッジのマンション訪問に付き合わされることになった。



「さあ入って」

「お邪魔します……」


 ベアトリクス・パートリッジが住まう幽霊ホーンテッドマンションは、噂に対してさほど古びたところのない、見た目だけは立派で瀟洒な住処であった。それでも「幽霊が出る」という噂をエステラは方々で聞かされていたから、知らず二の腕に手をやってしまう。


 まだ日が落ちていない時間にもかかわらず、マンションの内部は非常に暗く見えた。大きな玄関扉から一歩中へと進めば、かび臭く湿っぽい空気が顔にぶつかる。幽霊マンションとしては一〇〇点満点。普通に住居とするぶんには、マイナス一〇〇点といったところだろうか。


 エステラはちらりとアグネスの顔を見やる。エステラと同様のことをアグネスも考えているのだろうことは、なんとなくその顔色から察せられた。さしもの“聖女”も、この幽霊マンションの不気味さには恐れを抱くらしい。


 そしてこの幽霊マンション、まったくひとの気配がない。マンションの中はしんと静まり返っている。エステラは、己の息遣いすら壁に反響してマンション中に聞こえてしまいそうな錯覚をする。


「このマンション、定期的に各部屋に掃除婦を入れてるけどそれでもこんな感じなんだ」

「そ、そうなのですか……」


 ベアトリクス・パートリッジは淡々と説明を続ける。


「使っているのは最上階の部屋だけ。そこが私の城というわけ」

「今日はそちらに案内してくださるのですか?」

「私の部屋を見てなにもなかったら納得してくれるの?」

「それは……」

「そう。証明なんて、確信なんてそう簡単にはできない。けど――貴女には今日、納得して帰ってもらう」

「それは、どういう――」


 不意に、エステラのうなじにひんやりとした空気が通った。エステラは思わず首に手をやる。手の甲に、またしても冷ややかな空気が触れる。


 エステラは思わず振り返った。


 振り返ってしまった。


 そこには――


『君がベアトリクスのご学友様?』


 まるで色あせた写真のように薄らぼんやりとした、モノクロの、半透明の男性が、エステラの目と鼻の先で立ち、笑っていた。その身体の輪郭は奇妙にブレていて、それでもどんな顔をしているのかだけはハッキリとわかった。


「アギャ――――――――――――ッ!!!???」


 エステラは気がつけば絶叫していた。叫びに叫んで、喉が痛くなるほど叫んで、それから酸欠のようになって意識が遠のいていくのを感じた。



 ◆◆◆



「倒れた」

「え?」

「なんか絶叫して倒れたわ。エステラ」


 スポットライトのように、真上から降り注ぐ光の中にあるイスに座った茉昼まひるの言葉に、朝佳ともかは「面倒なことになったな……」とひとり心の中でごちた。ちなみに朝佳は光が当たらない暗がりに置かれたイスに座っている。


 今、ベアトリクス・パートリッジの身体を操っているのは茉昼だからだ。


「幽霊見せたらまあそうなるんじゃない、かな……」

「あ~っ、メンドっ」


 朝佳の控えめな言葉に対し、茉昼はイスに深く座り込んで足を組んだ。学生服の短いスカートから下着が見えそうだと朝佳はヒヤヒヤする。しかしこの場には、朝佳と茉昼以外にはあとひとり、千夜子ちよこしかいないので、朝佳が気を揉む必要はない。


 ここは――いわば、ベアトリクス・パートリッジの脳内であり、精神世界でもある。


 ベアトリクス・パートリッジには三つの人格がある。


 ……いや、より正確を喫するのであればこう言うべきだろう。


 ベアトリクス・パートリッジの中には前世日本人だった少女たちの魂が三つ入っている。


 だがベアトリクス・パートリッジの身体を動かせるのはひとりだけ。この、三人が精神世界と定義づけている場所にある、スポットライトを浴びているイスに座った者がベアトリクス・パートリッジの身体を動かせるという仕組みであった。


 なぜ、このように奇天烈な事態に陥っているのかは、だれにもわからない。ただひとつたしかなのは、朝佳、茉昼、千夜子の三人の最初の生はすでに終わっており、このベアトリクス・パートリッジの中で生きて行くしかないということであった。


「消す?」

「千夜子ちゃん……そういうのはムリだから……」


 三人のうち、もっとも幼い千夜子が、そのあどけない顔に似合わぬ言葉を口にする。朝佳は内心で冷や汗をかきながらやんわりと止めておく。


 千夜子の前世は――暗殺者、らしい。「らしい」というのは平和な世界で生きてきた朝佳には、イマイチその主張が本当なのかどうか判断できなかったからだ。


 それでもベアトリクス・パートリッジを操るときの身のこなしは、「本物」だと思えるていどには機敏でこなれていた。不審者を相手取るときは千夜子一択。そしてベアトリクス・パートリッジの身体をトレーニングで強化するときも千夜子一択。朝佳と茉昼の共通認識である。


 朝佳の前世は――どこにでもいる女子大生だった。地味で大人しく、彼氏がいたことのない典型的なモテない女。二次元オタクでもあったので、異世界転生を果たした際にもさほど混乱せず状況を飲み込むのは早かった。


 けれどもまさか、異世界転生した肉体の中に、住人がほかにふたりもいるとはさすがの朝佳も予想はできなかった。


 そして今、ベアトリクス・パートリッジを操っている茉昼の前世は――ちょっとギャルっぽい女子高生。思春期特有の無鉄砲さが目立つものの、朝佳とは違ってハッキリとモノを言うので、舌戦を挑まれたときには彼女が出て行くことになっていた。


 今日のカフェテリアでの一件もそうだ。最初は朝佳がスポットライトの当たったイスに座っていたが、アグネスの気迫や衆人環視というシチュエーションに負けて茉昼と交代したのだ。そしてそのときに茉昼がベアトリクス・パートリッジの家へ招待すると言って――今の状況に繋がる。


「やっぱり、納得してもらうのは難しいんじゃないかな……実際、ベアトリクスが逆ハーレム状態なのは事実だし」

「でも幽霊が相手じゃなんもできないっしょ。実際、ベアトリクスはまだ処女だし」

「言い方……」

「こんなところで恥ずかしがってどうすんのよ」

「まあ、そうだけども……」


 そう、ベアトリクス・パートリッジの周囲に複数の男性の影がある、というのは事実だ。


 ただし、その男性たちは全員幽霊であった。


 パートリッジ家は商家であったが、それは副業。本業は上流階級御用達の霊媒師。ベアトリクス・パートリッジも例に漏れず霊能力と言うべきものが生まれながらに備わっており、物心がつく前から幽霊との付き合い方を叩き込まれて育った。


 そして一六歳になったベアトリクス・パートリッジは、パートリッジ家のならわしとして、ひとりで浄霊をすることになり――この幽霊マンションへと放り込まれた次第である。


 それがなぜ逆ハーレムを築くことになったのか。


 それはベアトリクス・パートリッジという人間の肉体がひとつしかないから、である。


 外から見れば逆ハーレムだが、内から見れば逆ハーレムではないのだ。


 三人の幽霊は、ベアトリクス・パートリッジの中にある三つの魂――朝佳、茉昼、千夜子と――それぞれ健全なお付き合いをしているわけなのであった。


「はあ、ホントどうしてこうなっちゃったんだろ……」


 朝佳はため息をつく。


「エステラどーしよ? 外に捨てちゃっていいかな」

「消す? 消す?」

「捨てるのも消すのもナシ! ひとまずアグネス……だっけ? その人に説明しちゃおう。たしかお母さんが王室出身だった気がするから、家業のこと説明しても問題ないだろうし……」


 バッサリとしすぎている茉昼に、前世が暗殺者というだけあって一般常識に欠ける千夜子。そのふたりより年上ということもあって、朝佳が自然とまとめ役になってしまっているのだ。


 ――ホントどうしてこうなっちゃったんだろ。


 朝佳は今度は心の中で大きなため息をついた。



 この後、再び代わった朝佳が、アグネスに事の次第を説明したところ、「ベアトリクス・パートリッジはその身を捧げてさまよえる魂に救いを与えようとしている」と超解釈をされて「なんと高潔なお心の持ち主なのでしょう! わたくしが間違っておりましたわ!」となぜか感激された上、きちんと謝罪もされるのだが……なんとなく「これでいいんかい」と思わざるを得ないのであった。

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