第七十九話 雌豚(12)

――さすが、アグネスだけある。


 アグネスとは、ジナイーダの養母だ。


 盗人集団の、言ってみれば頭目のような存在だった。


 ジナイーダに盗みの手管を仕込んだのもこのアグネスだ。トルタニア各地を旅しているなら、また会うかも知れないが……。


 既に人ならぬ時間を生きているジナイーダを逢わせても仕方がないように思われた。


 ジナイーダは逢いたいのだろうか?


「これで全部血も泥も落ちたかな?」


「石鹸は……あるか?」


「うん」


 ルナが買い占めた荷物のほとんどは途中で廃棄したが、どこで汚れるかはわからないので石鹸は背嚢に入れていた。


 もちろん泥にまみれていたが、念のために用意しておいて川岸に置いていた。


 背嚢はしっかり口の部分を括って林の中に放って置いた。もちろんバルタザールもメルキオールも中に入れている。


「見んなよ」


 とズデンカは言い置いておいた。


「はいはいわかってますよ。神話にもあるでしょう。女神の水浴を見て、動物に返られた男の話が」


 愉快な声がずだ袋から聞こえてきたものだ。


「川を汚しちまうが、仕方ない。使おう」


 ズデンカは石鹸を取った。


「今度はあたしが背中を洗ってやるよ」


ジナイーダは少し恥ずかしがる素振りをしたが、ズデンカは背中を向かせて洗い始めた。


 その肌にはたくさん傷が付いている。人間だった頃についたものと思われた。


 ズデンカは経験がないが、人間の時に受けた傷はヴルダラクとなった後は治りにくいと聞く。


「苦労してきたんだな」


 ズデンカは思わず漏らした。


「えっ、そっそんなことないよ! ズデンカったら……」


 ジナイーダはうつむいた。その顔は赤くならない。人間ではないからだ。


「お前じゃなかったら。あたしと逢う前に死んでたかも知れない。お前は凄いな」


 不思議と言葉がスラスラと出た。人を褒めたりなど普段はしないのに。


「……私はただ、生きてきただけだよ。でもズデンカと逢えた。皆から追放された――裏切り者だと言われて……本当に辛かった。でも、ズデンカがいてくれたから耐えられたよ。『家族』以外の人を――こんなに信頼したのは初めてだった」


「……」


 今度はズデンカが黙った。ジナイーダがコンナにも自分を大事に考えてくれたなんて思いもしなかったからだ。


 ズデンカはある意味で自分勝手に生きてきた。他と争うことも辞さなかった。


 それなのに、今目の前にいる吸血鬼ヴルダラクは信頼してくれている。


 重く肩にのし掛かるものがあった。


 ズデンカは入念に慈しむようにジナイーダの背中を洗った。


 二人とも川から出ると、メイド服とジナイーダの服を洗った。


 少し染みにはなったが、ある程度綺麗にはなった。


 タオルはない。草むらに二人で寝転び、服は枝に結び付けて乾かした。


 やはりジナイーダは恥ずかしそうだったが、


「誰かが来たらあたしが隠してやるよ」


 とズデンカは被せた。


 時間は飛ぶように過ぎていった。ルナのことが不安になってきた。


 カミーユが何かしていないといいのだが。


 夏のことだし服はすぐに乾いた。

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