第七十九話 雌豚(11)
ズデンカもカミーユに従った。谷底で苦しみ悶える人豚を楽にしてはやりたかった。だが、下手に動くとカミーユが何をするかわからない現状では難しい。
これは勝ち負けの問題ではない。カミーユは自分の命を楯に取っている。いつでも死ぬことはできるだろう。
――あたしは結局、カミーユに逆らえないのか。
その時だ。
物凄い絶叫が谷底に轟いた。
ズデンカは急ぎ、視線をやる。
どす黒い血が溢れ返っていた。水溜まりのようになっている。
豚に似た生き物は眼を向き空を見て絶命していた。
ジナイーダが爪で喉を引き裂いていた。
一撃の元に殺したようだ。
ズデンカは驚愕のあまり声も出なかった。
――まさか、ジナが。
ジナイーダは表情を変えていなかった。
「ズデンカがやらないから、私がやった」
そして、眼を合わせずに大声で言った。
「このままじゃ可哀相でしょ」
「ふーん、そうですか。ジナさんが殺すとは意外ですね。でもまあ、良しです。帰りましょう」
カミーユは後ろをチラリと見ただけでまた歩き始める。
さすがにズデンカは我慢出来なくなって、谷底へ一秒もかからずに飛び下りると、ジナイーダを抱きすくめていた。
「お前にこんなことをさせちまった。あたしがやるべきだったんだ!」
――ジナイーダは、あたしが守らなくっても良い。
そんなことを考えていたのにもかかわらず、声は悲痛になり、余計大きくなった。
泥だらけの服にさらにどす黒い血が広がっていく。
「そんなことない。ズデンカがやれないときは私がいつでも代わりをやるからさ」
ジナイーダは案外冷静だった。血で汚れても。
初めて殺しをしても。
いや、ジナイーダがこれまで殺しをしてこなかったとは確かめたことがなかった。動物であれば、殺したことがあったのかも知れない。
喉を正確に抉っている。爪は鋭く伸びていた。
ズデンカが教えてもいないのに。
「ズデンカ、服が汚れたね……私もだけど」
「仕方ない。代えは飼育場に置いてきた。水も汲んで流そう」
「うん」
ジナイーダはこくりと頷いた。
あとは速やかに行われた。
カミーユを放置するのは少し不安だったが、レギナとドロタが死んだ今となっては、それほど危険もないと思われるので別れた。
「安心してください。ルナさんには何もしませんよ。私もルナさんは大好きですから、今回の件は一切秘密にしましょう」
とカミーユは言った。
飼育場に戻り代えの服と桶を持って帰り、河辺で服を脱いで身を洗った。
ジナイーダもズデンカと同じように脱ぎ、背中を流してくれた。いままでそんなことをして貰ったことがない(ルナと入る時は流すばかりだった)、なぜだかドキドキとした。
「泥だらけだね。ズデンカはずっと戦ってきたんだ」
「戦ってねえよ。単に大蟻喰とじゃれ合っただけだ」
「あの人怖いから」
「そうか? 単なるこけおどしだ」
ズデンカは笑った。
「今まで会ったこともない人だよ」
「似た人間なんて一人もいない」
「でもある程度はわけられる。そうやって覚えた方が楽だってママも言ってた」
ジナイーダは答えた。
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