第六十六話 名づけえぬもの(21)

「わたしだって……楽しかったよ。君と旅をするのは……」


「なら、続けよう。あたしはそれが望みだ!」


 ズデンカは叫んだ。想いが伝わるように、強く。


「でも……どうやって……」


「糸を破れ、破ってこい!」


 そんなことが出来るのかどうか、ズデンカはわからなかった。


 だが、ルナにやらせるより自分がやった方が早いと思い至って、糸を毟り始めた。


 思っているより簡単に出来た。だが糸はすぐ元に戻っていく。


 ズデンカが毟るより早くだ。


――これはルナの意志だ。


 ズデンカは直感した。ルナがまだ外に出ることを恐がっているから元に戻るのだ。


 ルナを説得するしか、術はない。


 だが、ルナに戻る意志がないなら、仕方ないではないか。


「お前がここにいたいなら仕方ない。あたしは戻る!」


「ちょっと、ズデンカさん! あなたがここで諦められたら僕の立つ瀬がないですよ!」


 バルタザールの焦った声が聞こえて来た。


「お前の力で何とかやれよ」


ズデンカは答えた。


 そう言いはしたが決して引き下がるつもりはない。


 帰る素振りを見せて、ルナの気を変えようと思ったのだ。


「え、帰っちゃうの……うーん……どうしよう」


 ルナは眼を開け、迷い始めた。


 だが、いつものことだが、興味の湧かないことに関してルナは動き出すのが遅い。


 結局、もぞもぞと左右に身体を揺すっただけで糸を破ろうとはしなかった。


 各地を旅しているのに昼夜逆転という滅茶苦茶な生活を送ってきたルナを起こすのは一苦労だったことを思い出す。


――寝ないあたしだからこそ付き合ってやれてるんだ。普通のメイドならすぐ見捨てるぞ。


 何人も何人もズデンカの前任者は止めていたのだ。給料は高いにもかかわらず。


 そう言えばズデンカは長い旅に付き合ってやってるにもかかわらず、給料が払われていないことに気付いた。


 とは言え寝る必要もないし、人間の食い物はいらない吸血鬼なので金を貰っても無意味だったし、破れた衣服類はルナのポケットマネーから払っても何の文句も言われなかった。



「おい、ルナ。あたしに給料を払ってないだろ。払え。そのためだけでもいいから、ここを出ろ!」


「そうだね……払わないとだね……でも、ここ、居心地がいい……もう少しだけ……もう少しだけ」


 ズデンカは焦っていた。この空間もあの深淵のように時間が早く経過するのではないだろうか。バルタザールの力を借りているので、防げているのかも知れないが……。


――早くしなければ、町が滅びちまう。


 正直『ラ・グズラ』の動向も気になる。ズデンカの推測では町の北側に逃げた人々を襲撃し始めているのではないかと考えていた。


 連中の目的は出来だけ人間の血液を吸い取ること、それだけだ。


 なら、戦争で人が退避を始めているここを襲っても意味がない。


 早くハウザーとの戦いにケリを付けて戻らないと結果的にパヴィッチは全壊する。


 本来は守る必要もない人々を守らなければいけない破目に陥ったわけだ。


 でも、ズデンカは見捨てることが出来なかった。それは吸血鬼という種としては大きく道に外れているかもしれない。


 でも、ズデンカは好きなルナが属する人という種を守りたく思っていた。


  たとえその種が、どれほど愚かしい真似をしでかすとしても。

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