第六十四話 深淵(5)
自分と同等の力を持つ存在が今眼の前にいる。勝てるとしてもよほど消耗することは必定だった。
しかも。
ボリバルはいくらでも複製能力『鏡の影』を使える。
やっと勝っても次から次へ現れてくることは推測出来た。
「っ、気持ち悪いなあ!」
後ろから声が聞こえて来た。
大蟻喰も同じ目に遭っているらしい。
ズデンカはだが振り向いていられなかった。
もう一人の自分は笑みを浮かべて組み付いてくる。
力はとても強い。ズデンカなのだから当然だ。首筋に囓り付いて血を吸い出そうとしてくる。
――願い下げだ。
ズデンカは身を引き剥がし、分身の頭部へ肘鉄を食らわせる。
分身の頭が凹んだ。とたんに全身が砂のように砕け散る。
――ああ、そうか。あたしの姿こそ複製できても再生する力までは出来ないのか。
ズデンカは納得した。
おそらくボリバルはズデンカのことを良く知らないのだ。見た目だけをコピーするしかできない。
「なら、劣化コピーじゃねえか!」
既に幾体もの分身が現れていた。
ズデンカを取り囲み、高速で攻撃を繰り出してくる。
だが、ズデンカはもう怖くなかった。
適確に相手の頭部を狙って、打ち砕いていく。
ものの十分も待たずに、現れた限りの分身を撃破することが出来た。
「大蟻喰、大丈夫か?」
やっと余裕が出来たので振り返って叫んだ。
「もちろん」
向こうも複数の分身と取っ組み合いをしていた。
もうかなり数が減っている。
分身も全て今の大蟻喰と同じ状態ののっぺらぼうだ。やはり見たままを模倣しかできないらしい。
ズデンカはボリバルの掃除に移った。
革のスーツごと砕いても潰しても引き裂いても、つぎつぎに現れ出る。
血は噴き出し、内臓ははみ出し、赤黒く血は滴った。
限りない無限の地獄がここにはあった。
ズデンカは闘いながら奥へ奥へ進んでいった。
普段なら気が滅入るだろう。ボリバルの複製に罪はない。ただハウザーに使われている丈なのだ。
だが、ズデンカは心を殺し、ひたすら殺戮の機械になり続けた。白いメイド服は隈なく血で赤く染まっていた。
――向こうにはルナがいる。ハウザーがいる。
ハウザーはルナを使って何か良からぬことを企んでいるに違いない。
――何だろうが打ち砕く。ハウザーは絶対に殺す。
殺し続けながら進むズデンカは心の中で激しく燃え上がるものを感じた。
「どこだ! ハウザー」
「ここだよ」
すぐに答えは返ってきた。
ズデンカは周りを見回した。
急に灯りが点った。
それまではずっと暗闇を歩いてきた訳だが、全くそうは感じていなかった。
円形のホールだった。
中心にハウザーが立っていた。スワスティカ親衛部の制服を身に纏って。
その横には怯えた様子のビビッシェ・ベーハイムがいた。
「ルナ!」
ズデンカは叫んだ。
ルナは答えない。
代わりにハウザーが言葉を発した。
「メイドさん。よく来てくれたね。これから君にいいものを見せたい。『鐘楼の悪魔』をもっと世の中に拡散させるためにはビビッシェ・ベーハイムが必要だ」
「何を考えてるか知らねえが、絶対に阻止する」
「ビビッシェの能力を使って、『鐘楼の悪魔』製造所を世界中に作る。だから、君が壊そうがムダなのさ。そして、俺は世界中の人々の心の中に語り掛ける! 魂からの熱い『対話』を繰り広げるんだ」
「お前のやろうとしているのは『対話』じゃねえ。一方的な支配で蹂躙だ」
ズデンカはハウザーを睨み付けた。
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