第六十三話 メルキオールの惨劇(1)

ゴルダヴァ中部パヴィッチ――

 

 夏の太陽は道を焦げ付かせ、薄い陽炎を立たせた。


 綺譚蒐集者アンソロジストルナ・ペルッツのメイド兼従者兼馭者だが今は馬車を持たない吸血鬼ヴルダラクズデンカがパヴィッチについた頃にはすっかり昼となっていた。


「あと二日、あと二日だ」


 ズデンカは期限を繰り返す。


 スワスティカの元残党であるカスパー・ハウザーがパヴィッチ全市を壊滅させようと企んでいる。


 その期日が二日後だった。


「急がなくても時間はあるでしょう。あなたも強くなりましたよ」


 鼠の三賢者メルキオールが言った。


 確かにズデンカはヴルダラクの始祖ピョートルから血を授かり、上位種の吸血鬼すら倒すほどの力を手に入れていた。


 ハウザーと十分に渡り合えるようになったつもりではある。


「ない。いくら強くなっても油断は禁物だろ……あいつらも心配だ」


 あいつらとはナイフ投げのカミーユ・ボレルと自らが吸血鬼にした闇の娘、ジナイーダのことだ。


 メルキオールが安全と言うから、とある場所に寝かせている。


 とは言え、ジナイーダはヴルダラクだ。まだ人間から変わったばかりなので、軽く睡眠したようだが、そんなに長くは寝ていられないに違いない。


――あたしを探しにでも出かけられると厄介だ。


 ズデンカは焦っていた。


 細い街区を縫って、元来た道を辿り直す。


 メルキオールはこんどは案内しなかった。


 ズデンカが自分で見つけ出すしかない。


 聞いても良いのだが、その時間すらもったない。


 ズデンカは進みに進んだ。


 入り口に白い布が掛けられた建物が見えてきた。


「ズデンカ! どこ行ってたの? 気がついたらいきなりこんなとこにいたんだよ!」



 中に入ると同時に、ジナイーダが抱き付いてきた。


「あたしが連れてきた。それより、勝手に抜け出したりしてないだろうな?」


「私どこにも行ってないよ! ズデンカが帰ってくるかもって思ってたし!」


「そうか。偉いな」


 ズデンカはその頭を自然に撫でていた。


「ふふん。ズデンカ、初めて撫でてくれるね?」


 甘ったるい声でジナイーダは言う。


「そうか?」


 ここ最近、異常な事件が連続して起こったため、記憶力の良い方のズデンカもすっかり忘れていた。


「そうだよ。もう私たち、家族になったんだからね」


 ジナイーダはズデンカに腕を絡める。


「カミーユは大丈夫か?」


「ああ、アイツならまだ寝てるよ。人間は弱いね」


 ジナイーダは嘲笑った。


 フランツは急いで近づいた。


「うっ……うう」


 カミーユはうなされながら寝返りを打った。


 ズデンカは声を掛けて起こしてしまってはいけない気がした。


 でも、悪い夢でカミーユは苦しんでいる。ズデンカは何もしてあげられないのだ。


 目覚めても悪夢のような現実が続いているだけなのだから。


「ズデンカぁ、今後はどうするの? ルナ・ペルッツをまだ探すの?」


 ジナイーダは訊いてくる。


「もちろん」


 ズデンカは答えた。


「えー、あんなやつどこにいるかわからないんでしょ?」


「ある程度はわかる、このメルキオールに訊けば」


 とカーテン代わりの布を押して入り込んできた鼠の賢者を指差した。


「げっ、ねずみ! なに、こいつ?」


 ジナイーダは顔を顰めていた。

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