第六十二話 なぞ(8)

 と、フランツはあるページへ視線を落とした。


 『階段』の項目だ。まさか今自分が探しているその言葉が載っているなど思いもしなかった。


「階段、トルタニア東部に地底深くへ通じる階段が存すると言われる。その階段は裏側に顔を持ち、夜になるたびに鬼のような形相になると伝わっている」


 まさに。


「これだ!」


 フランツは叫んでいた。


「こっらぁ、フランツさんうるさいぃ!」


 オドラデクはふざけた調子で注意した。


「『階段』のネタ元を見付けたんだよ。ほら、これだ」


 フランツは頁を開いて項目を指差した。


「ふむふむ。たしかに似てますねえ。でも、だからどうしたと言うんです」


「俺が見たのが、あの霊の顔に違いないんだよ。トルタニア東部というのがまさにこの地域だ。霊は階段の裏にある顔に間違いないんだよ」


「なるほど、確かに蓋然性がいぜんせいは高いですね」


 オドラデクはまた小難しい言葉を使ったが、あいからわず興味はなさそうだ。


「もう一度霊を探しに行くぞ」


 フランツは部屋の外へ出ようとした。


「夜はだいぶ更けたけれど、まだ寝台車にいかず個室に残っている人だっているかも知れないでしょ」


 オドラデクは常識的な解答を示した。


「くそ、もう少し待つのかよ」


 フランツは全身が震え出しそうなぐらい興奮しながらじっとして時間が経つのを待った。本を読もうとしても手が震えてろくに頁をめくれなくなっていた。


 自分は見付け出したのだ。


 おそらく何百年、いや千年以上もわからなかったなぞの答えを。


「面白そうだな」


 ファキイルが首を擡げていった。


「ああ、面白い。ここまで面白いことはここ数年なかった」


 フランツは言い張った。


「お前も階段の裏の顔について何か知らないか?」


「知らない」


 ファキイルは短く答えた。


 犬狼神は意外にものを知らない。本を読んでいるところも見たことないので、字が読めるのかすら定かではなかった。


 知っていたとしてあまり饒舌ではないので、話を聞き出すことは困難だった。


 とくにアモスについてはどこに地雷が埋まっているかわからない。


 乗車前に見せたような怒りに満ちた顔を向けられたらと考えるとフランツは怖かった。


 会話はそこで打ち切り、ほど良い時間を見て廊下へ忍び入った。


 真っ暗だ。誰もいない。


――オドラデクの言うことなど聞かなければよかった。


 フランツは歩を進めた。多くの部屋がピタリと扉を閉ざしている。


――なかを覗き込むわけにはいかないな。


 フランツは残念に思った。


 だが、さっき見た時に開いたままだった部屋はまだ開いていた。

 

 ランプは点いていないため真っ暗だ。車窓だけが夜を映してほの白く光っていた。


 幽霊が現れ出しそうな様子はない。


 フランツはランプを灯した。


 本来は乗車券に書かれていない車室を使うことはマナー違反だが、今は火急の場合だ。


 仕方がない。


――朝まで待ってやるよ。


 フランツは椅子に腰掛けた。何も考えず、ひたすら意識を研ぎ澄ませる。


――幽霊よ。出てくるなら出て来い。

 

 しかし。


 何時間、そうやってフランツが待っていても、霊は少しも出て来なかった。 


フランツは焦った。同時に孤独を感じた。元の部屋に戻りたい。


 だがフランツはそれを顔に表すまいと努めた。猟人はそう訓練されているから当然のことだ。


 朝は来そうでなかなか来なかった。

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