第六十一話 羊歯の褥(11)
ピョートルの顔が、鮮烈な映像として眼前に浮かび上がっていた。
――お前の顔なんざ見たくねえよ。
そう思いはしたが、ズデンカは不思議と力が湧いてきた。
身体の中を何かが脈打っている感覚と呼べばいいのだろうか。
鼓動。
鼓動。
鼓動。
臓器もほとんど持たないズデンカがもう二百年近く忘れていた感覚。
いま、生きてここにあるという感覚。
ズデンカはクラリモンドの打撃を避けた。
完全に翻弄していたズデンカの奇妙な抵抗に、クラリモンドは一瞬怪訝な顔を向けた。
ズデンカはその顎に拳を叩き込んだ。
「あがっ……!」
クラリモンドは宙まで吹き上がり二転三転して落下した。
ズデンカにさきほどまでやっていたことを返されたかたちだ。
ズデンカは立ち上がった。
軽い。
身体が軽い。
手脚をグルグルと動き回らせられる。
痛みはすっかり引いていた。もちろん、我慢していたりしている訳ではない。
ズデンカは飛んだ。
文字通り飛んだのだ。ジャンプしたわけではない。
身体が宙に浮かんでいたのだ。
「ズデンカさん!」
ヴィトルドが近付いていた。
「お前生きていたのか」
「はい、あの程度で死ぬ私ではないですよ!」
ヴィトルドはまたポーズをとり上腕二頭筋を膨らませた。
「ズデンカ! よくも殴りやがって!」
二人がいるさらに頭上から、ドスの利いた声が振ってきた。
少しづつ潰れたところが修復していく顎を押さえながら、クラリモンドがこちらを睨み付けていた。
瞳は血走り、爛々と輝いていた。
さっきまでの冷たい笑みはどこへ行ったのやら。
――ずいぶん回復が遅いな。
ズデンカが傷を受けたとしたら、もっと瞬時に元に戻ることができる。ところが五百年近く生きてきたクラリモンドはなかなか元に戻っていないのだ。
――殴られ馴れてもいねえようだ。
同時に、あれほどどう足掻いても勝てないと思っていた相手のことがよくわかってきた。
圧倒的な敏捷さと、途切れない攻撃でねじ伏せられる相手ばかり滅ぼしてきたからかも知れない。
実際、クラリモンドはこちらを睨みながら、しばし攻撃する手を休めている。
――むしろ、あたしのが場数を踏んでるのかもしれん。
「貰った!」
ズデンカは空を蹴ってさらに上へ飛び上がり、クラリモンドの肩を引き裂いていた。
「っ!」
鮮血を滴らせながら素早く退避するクラリモンドはまた再生を始めたがこちらも遅い。
「逃げる一方かよ」
ズデンカは嘲笑う。
「死ねえ!」
完全に冷静さを欠いたクラリモンドは赤い光球をつぎからつぎへ飛ばしていく。だがズデンカはその球をまともに受けても痛みすら感じなかった。
――これが、ヴルダラクの始祖の力か。
「来んな! 来んな! 近付いてくんな!」
わめき散らすクラリモンドの頭部が大きく割れ、巨大な蝙蝠の頭が顔を出した。
背中を突き破って漆のように黒々とした翼が生えだし、羽ばたきとともに強風を送る。
上位種の吸血鬼は自分の身体を自在に変化させることが出来ると言う。
だが、ズデンカはもう怖じることがなかった。
――これなら、『鐘楼の悪魔』で変身した連中と何ら変わらねえ。このまま叩きつぶしてやる。
ズデンカは大蝙蝠の羽根を掴んで左右に引き千切ろうとした。
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