第六十一話 羊歯の褥(12)

 クラリモンドの喉の奥から突き上がる咆吼。


 絶叫。


 クラリモンドの翼を引き破りながら、相手の怯えをズデンカは感じ取った。


 これまで人を狩り、血を吸い尽くしていた者が狩られる側になった恐怖。


――いい気味だ。


 残忍な喜びを感じながら、ズデンカは破壊を続けた。


 羽根をもがれてしまえば鼠と同じだ。それでも宙に浮いていられるのは、吸血鬼の持つ力と言えるだろう。


 今ズデンカが空を飛べているように。


 と、声が聞こえた。


 聞こえるはずのない声が。


『血を吸え、肉を啜れ』


 ピョートルの声だ。ズデンカの心のなかに語り掛けているかのようだ。


 吸血鬼の血を、吸血鬼が吸うのは禁忌とされる。ズデンカも進んで試みたことはなかったはずだ。


 だが、ズデンカはピョートルの指示を断る理由を持たなかった。


 毛で覆われはじめた皮膚を引き裂くと、ザクロの実のように内臓が溢れた。


――あたしと違って、綺麗に揃っていやがるな。


 ヴルダラクは生けるリヴィング・デッドに近い下級種なこともあり、何十年か生きていると内臓の多くは腐り落ちてしまう。 ズデンカもその例に漏れなかった。舌や眼球だけでも残っているだけ幸いだ。


 ズデンカは食欲がそそられた。内臓を噛み、砕く。


 濃厚な血が溢れた。


 これが吸血鬼の血だ。


 パヴィッチで見たように腐った血。


 だが、濃厚なワインのように――ズデンカは飲んだことすらなかったが、口の中に芳醇な香りが広がった。


 もう堪らなかった。ズデンカは血を貪り続けた。


 翼をもがれたクラリモンドは羽ばたくことも出来ず、痙攣を繰り返す。


 ズデンカは死の抱擁を続けた。


 吸血鬼に死はない。だが、血を残らず吸われた吸血鬼はどうなる?


 禁忌と言われる行為をズデンカはやっている。


 感覚はよほど鋭敏に研ぎ澄まされているらしい。後ろからヴィトルドが息を飲んでそれを見守っているのがわかった。


――これであたしの本性がわかっただろ? さあ、早くどっかへ失せてくれや。


 だが、ヴィトルドは固まって微動だにしない。


 ズデンカは血を吸い続けた。


 内臓を骨から引き剥がし、口に含み噛んでいく。


――まるで大蟻喰と同じだな。


自称反救世主の大蟻喰は人を食ってその記憶や能力を自分のものに出来る力があった。クラリモンドを喰らって、それでどんな力を得られるのかわからなかったが肉は甘く上手かった。


 なんで、同族の肉を喰らうのかわからないとズデンカはかつて冷笑した。だがその自分が今嬉々として同族の血を吸い肉を喰らっている。


――人生というもんはわからねえな。


 血に酔っている反面、異様なまでに冷静な観察が出来ていた。


 ズデンカが内臓を吸い尽くし、血を啜り出し尽くすと、クラリモンドはもう動かなくなっていた。眼窩の中に宿る光も消え失せていた。


 やがて、ゆっくり、静かに。


 その毛で覆われた頭は砂のように崩れていった。風に吹き流されて散っていく。


 吸血鬼の、死だ。


 ズデンカは満足した。そして、おかしくてたまらなくなった。


 自分でも驚くぐらいの高笑いをしていた。


 ヴィトルドは相変わらず、固まっている。


――あたしは、化け物だ。


 誇り高い気持ちだった。

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