第六十一話 羊歯の褥(9)

 足をとられてけそうになったところに、球体は物凄い勢いで迫ってきた。


 赤光が目に眩い。


 ズデンカは消滅を覚悟した。


 途端に。


 眼の前に巨大な影が立ちはだかって、球体を受け止めていた。


 ヴィトルドだ。


「ズデンカさん! 何者かは存じませんが、あなたを狙うやつは私の敵です!」


「……」


 ズデンカは素早く動き、痛みを堪えつつも傍にあった林の奥深くへ退避した。


 すぐに静かになる。夏には珍しい涼しさを覚えながら、それでも気温に鈍感なズデンカは歩み続けた。


 身体の震えを感じながら、木の幹に手を突いてりかかる。


「……」


 ズデンカは考えた。クラリモンドであればこんな林など一撃でき尽くせるはず。


 そうならない理由はただ一つ。 


 ヴィトルドの強さはなかなかということだ。


――あんなやつだが、感謝しないといけないな。


 痛みは簡単には治まらないが、それでも一心地付いたズデンカは、林の外へ駈け出した。


空にはヴィトルドがシャツをはためかせながら浮かんでいた。


――うげ。あいつこんなこともできるのかよ。


 対するはクラリモンド、笑みを絶やさず、次から次へ赤い球体を飛ばし続けていた。


――あそこまでやって疲れねえのかよ。


 上位種の底力を思い知らされる気がした。


 ヴィトルドは豪腕でそれを一つ一つ押し潰していく。


「なぜ、ズデンカさんを狙う?」


 質問に対してクラリモンドは、


「だって、ズデンカがいない方がことが上手く進むんだもの……そこにいるよね。わかってるよ」



 林から出てきたズデンカに優雅に流眄ながしめを送りながら言った。


「ダーヴェルは三日後まで攻撃はしないと言っていたぞ? 仲間の言葉を違えるのか?」


 ズデンカは空を見上げながら鋭く訊いた。


「あたしはそうは思わないの『ラ・グズラ』の頭目リーダーはアイツじゃないから。そもそも頭目なんて作る必要はないの。ズデンカはあたしらの気質をよくわかってるでしょ?」


 クラリモンドは飽くまで貴族的に落ち着いた口調だ。


 そこがまた気味が悪い。


 長い時間を生きる吸血鬼は個人主義だ。


 だから結社を作ると言うこと自体が向かないはずでなぜ、『ラ・グズラ』を作り、ここゴルダヴァで活動しているのかの詳細な理由は何もわかっていないのだ。


素直に訊いても答えて貰えないに違いない。


 ズデンカは言わないことにした。


「俺の相手をしろっ!」


 腹を立てたヴィトルドは怒鳴り声を上げていた。


「あなたには用がないって言ってるでしょ」


 クラリモンドはそう言い置いて瞬時に姿を消した。


 ズデンカは背中にぞわりと冷たい気配を感じた。


――回り込まれたに違いない。


 そこから逃れようとする前に。


 物凄い力で吹き飛ばされていた。


 振り向く余裕すらなかった。


 冷たい笑い声だけが後ろの方でこだましていた。


 ズデンカは地面にぶつかりもんどりを打って倒れた。


 もう痛みは気にならなくなっていた。しないのではない。まだ確実に痛むのだが、それよりも、圧倒的な力を見せ付けられた絶望感の方がいや増したのだ。


――あたしは、ここでお終いか。


 ズデンカは観念しそうになった。

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