第六十一話 羊歯の褥(8)

「ほら、大いなる力は大いなる責任を伴う、とかなんとか言うじゃありませんか。ともかくあなたがズデンカさんと個人的な時間を持とうとすることは、私利私欲によるものじゃない、と言えるでしょうか?」


 メルキオールは尻尾を左右に揺すりながら、インテリめかして言った。


 その言い草にズデンカはルナを思い出して懐かしくなった。


――いや、懐かしくなっちゃいけねえ。


 ズデンカは頭を振った。


 ヴィトルドの方は渋い顔をしている。


「言えないな」


「そうでしょう……なら、今は矛を収めた方がいいんじゃないですか。力がなくなってしまえば、あなたは困ってしまうでしょう?」


「ううむ、確かに」


 ヴィトルドの歩く速度は自然と遅くなった。


ズデンカはヴィトルドを引き離して前に前に進んだ。


 まだ痛みは去らない。でもズデンカは歩きから若干走り気味になるほど、進み続けた。


「ズデンカさーん」


 控えめにヴィトルドが後ろから声を掛けてくるが無視をし通す。


 どんどんあたりの景色はハッキリしていく。パヴィッチはそう離れていないのだったが、来る時よりも時間がかかってしまうのは仕方ないだろう。


 昼より早くに着ければ御の字だと思われた。


と、羽ばたきが聞こえる。


 ズデンカの耳は他よりもずっと良い。だから羽ばたきの主の種類まで聞き取る

ことが出来た。


 蝙蝠だ。


 その大群が山の彼方からズデンカ立ちへ向かって押し寄せてきていた。


「間違いなく、『ラ・グズラ』だ」


 ズデンカは恐怖こそ感じなかったが苦い想いが心の裡で広がっていくのがわかった。


 吸血鬼の集団、『ラ・グズラ』はカスパー・ハウザーに組みしたという。


 その一人オーガスタス・ダーヴェルとは先日パヴィッチで対峙したばかりだ。


 蝙蝠に変身できるということは、少なくともヴルダラクより上位の支族に属する者であることは間違いない。


「見付けた! 吸血鬼ヴルダラクズデンカ!」


 高く、張りのある声が空一面に響き渡る。


 黒いマントを纏った少女がズデンカたちを見下すがごとく宙に浮かんでいた。


「あたしはヴァンピールのクラリモンド。『ラ・グズラ』のメンバーだよ! 邪魔だからここで消えて!」


 少女は両の掌をズデンカに向けた。瞬く間にそこに赤く暗い光が集まっていく。


「まずい! 逃げろ!」


 ズデンカは飛び去った。


 吸血鬼のなかには物凄い力で自身の中で脈打つ闇の波動を外に打ち出せる者も存在している。


 ヴァンパイアがオリファント中心に存在している支族だとすれば、ヴァンピールはトゥールーズを活躍の舞台としていた。


 そのあたりを何度も移動したことのあるズデンカもクラリモンドの名前を聞いたことがある。


 噂では五百年以上の長きを生きると言われるほどだ。 


 それがこんなあどけない少女のかたちをしているとは。


「逃げてもムダ」


 赤い光は瞬く間に巨大な球体へ変じ、草木を黒く焦がしつけながら、勢いよくズデンカを目掛けて飛んでいく。


――この球、まるで生きているようだ。


  走っても走っても、倒木の隙間に隠れても、どこまでも球体はズデンカを追いかけてくる。


 ズデンカは逃げ回った。


――もう限界だ。


 身体の痛みは耐え難く、四肢が弾けて飛びそうだ。

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