第五十五話 邪宗門(9)

「もちろん、ルナ・ペルッツを迎えるため。――と言えば嘘になる。今回は単なる偶然の結果だ。来たるべき蜂起のために、だよ」


 ハウザーは緩やかに手を広げながら言った。


「来たるべき蜂起だと?」


「この国はもうお終いだ。幸い、『パヴァーヌ』は政府から心服を得ている。だから肩入れする振りをしながら、反乱軍をパヴィッチへ入り込ませてやろうって寸法だ」


 ハウザーは爽やかな口調で説明した。


「そしてどうする?」


 ズデンカは訊いた。


「殺し合わせるわけさ。俺はそれを見て愉しむ。これ以上の娯楽があるかい? 少なからずの量のシエラフィータ族が死ぬだろうな。ルナ・ペルッツにしてたって血を見るのは大好きなはずだ。喜んでくれるだろ?」


「ルナは、そんなやつじゃねえよ」


 だが、そうは言いながらズデンカの中では逡巡があった。旅先でいろいろな顔を見せてきたルナの行動には、そうとは思われないものも何度かあったからだ。


 ズデンカ自身にしたところでこれまで複数人を殺めたことがある。殺していいと思った奴しか殺さなかったつもりだが、結局そんなことを誰が決められるというのか? そいつらにだって家族はいただろう。


「お前は『対話』をしたい、と言ってたじゃないか」


 忌々しいながらにズデンカはハウザーと過去の会話を思い出していた。


「ああ、これも『対話』の一環だよ。争っているものたちを死によって和解させるわけだ。これ以上ない平和的な解決じゃないか?」


「クソみたいな理屈だな。で、そんな重要な話をあたしらにしてもいいのか?」


「どうせ君たちは何も出来ない。それほど政府は『パヴァーヌ』に逆らうことなど不可能なまでに衰えきっているんだからね。でも、その前にやるべきことがある」


 そう言いながらハウザーはペトロヴィッチのところまで歩いていった。


「もう形だけの教祖は用済みだ」


「殺すな!」


 ズデンカは叫んだ。


 それと一緒にペトロヴィッチが動いた。娘を奥の方に押しやって逃げようとしたようだ。


「逃がさないよ」


 ハウザーは笑いながら手を振り上げた。


 また鮮やかな吹き上がった。


 いや、それはペトロヴィッチの血ではなかった。


 娘の血だ。


 父親を庇ったのだろう。


 押しやられたはずの娘は前に出ていた。まだ甦ったばかりで、状況が少しもわかっていないのに。


 ペトロヴィッチは倒れた娘を抱きしめながら静かに慟哭していた。その身体は瞬く間に煙のように薄くなっていく。


 幻想だからだ。


「しょせん幻だ。下らない」


 ハウザーは明るく言った。


「やめろ!」


 ハウザーはも一回腕を振るおうとする。既に立ち上がっていたズデンカは追突した。


「もう遅い」


 ハウザーは笑った。


 ペトロヴィッチの首は落ちていた。消えていく娘の身体を抱きしめたまま。


「教祖を殺してどうする気だ?」


 ズデンカは訊いた。


「俺がこの教団の実質的なリーダーだからね。なんとでもなる。ペトロヴィッチ派の幹部たちはさっき全部殺しちゃったしね」


 ハウザーはハンカチを取り出して返り血を拭きながら言った。


「クソが」


 ズデンカは繰り返した。


「さて、君たちにも一緒に来て貰いたいところだけど。今は俺一人だけだ。すぐ捕まえるというわけにはいかないな」


 ハウザーはそう言って柔やかにルナへ歩み寄っていった。

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