第五十五話 邪宗門(8)

「まあ、論より証拠です」


 ルナは高らかに指を鳴らした。


 幻想を実体化できる能力『幻解』を使う合図だ。


――今回はさすがにパイプを吹かさなかったらしい。


 ズデンカは思った。


 途端にルナの隣に幼い娘が姿を現していた。白いレースの縁取りのついた寝間着を纏っている。


――死んだときの姿なのだろう。


「パパ」


 娘は静かに告げた。


 ペトロヴィッチは眼を瞠っていた。今起こっていることが何か理解出来ていないようだった。


「さあ、願いが叶えられたんですよ。もっとお喜びになられればよろしいのに。娘さんとお話ししたいこと、いろいろあるでしょう?」


 ルナはペトロヴィッチを見詰めながら冷酷に笑んだ。


「……」


 ペトロヴィッチは黙っていた明らかに焦燥の色が見え、冷や汗が流れ始めていた。


「パパ」


 娘は歩いてくる。おそらくは何十年前かに死んだときと同じように。


「お前など……知らない」


 ペトロヴィッチは言葉を絞り出していた。


「おやおやー、紛うことなくこれはあなたの娘さんですが? 当時のまま少しも変わっているところはありませんよ」


 ルナの声は明るいがどことなく棘を含んでいた。


 幹部たちは囁きを交わしていた。死者を蘇らせるのは、マエストロ=ペトロヴィッチにしか出来ないはずだ。


 もちろん、中にも知っている人間はいるだろう。


 さっきジナイーダが言っていた、屍体をすり換えるトリックを実行する汚れ役もいるはずだ。 


 だが、ここにいる連中は知らないようだった。


 ペトロヴィッチの威信が、揺らいでいる。


「パパ」


 娘は悲しそうだった。


 ペトロヴィッチの相好が崩れかけた。娘を前にして見知らぬ他人のふりをする訳にもいくまい。


 娘は歩いてきた。ペトロヴィッチはたまらずそれを抱きしめた。


「ほらほら、やっぱり本物でしょう? わたしの方が正しいと幹部の皆さんも納得されたのではないでしょうかね?」


 ルナは身を乗り出して自己を誇示していた。


――全く情けねえ。


 ズデンカは呆れていた。


 だが、その時。廊下で跫音が響いた。ゆっくり、ゆっくりと。


「あっ、あなたは……」


 幹部たちがそちらに顔を向けた。黒いフードを深く被った人物だ。


 しかし、それ以上幹部たちは声を発せ亡かった。その首はすぐさま胴体とおさらばしていたからだ。


 鮮血を花火のように吹き上がらせながら、幹部たちの胴体は倒れていく。


 その人物はフードをとった。


「やあ、久しぶり。いや、そうでもないな」


 銀髪がこぼれ、細面の顔立ちの男が姿を現した。


「カスパー・ハウザー! 貴様、やっぱりこの教団に絡んでいたか!」


 ズデンカは睨んだ。


 言葉にはしなかったが、心のどこかで思っていた答えが正解だった。


 娘は泣き叫んでいた。ペトロヴィッチは身を守るようにそれを抱きしめ、ハウザーに背を向けたままでいた。


「……」


 色を失ったのはルナも同じだ。ハウザーの顔を見た途端顔の血の気が引き、椅子の上で身体を伸ばしたまま手が微かに震わせていた。


  旧スワスティカ親衛部長・通称『銀髪の幻獣キマイラ』、カスパー・ハウザー張本人が今眼の前に現れたのだ。


「そうだよ、メイドさん。俺がこの教団を実質的に作り上げたと言って良い。数年前からの仕込みだもんで手間暇掛けたよ」

 

 ハウザーは言った。


「なぜそんな真似を?」


 ズデンカは疑問だった。

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