第五十三話 秩序の必要性(9)
バルナボの拳が唸り、鈍い音ともにフランツの肩を砕いた。
痛い。
物凄く痛かった。
骨が折れたのかとすら思った。
だがフランツは堪えなくてはならない。
――この程度の痛みで。
歯を食いしばり、剣を抜く力を弛めず、相手の膝頭に刃を貫き通した。
名状しがたい悲鳴をバルナボは放った。フランツは血を滴らしながら、その刃をバルナボの太腿から胸元まで切り上げた。
肉を断つ歪な音。
涌き立つ黒く汚れた血泡。
バルナボの内臓まで出来る限り破壊し尽くすよう、フランツは刃の先を二度三度鋭く廻した。
断末魔の悲鳴は、長く粘り強く響いた。
「お前は、同胞を殺した」
ちょっと前までのフランツなら『その痛みを思いしれ』、ぐらいのセリフは吐いていただろう。
だが、今はそんなことを言うのも馬鹿らしく思える。
そもそもバルナボ――アルトマン兄妹のかたわれは何を言っても聞いていないだろう。
死ぬのに夢中で。
フランツは剣を引き抜いた。
川の流れのせせらぎの中に巨躯のバルナボは後ろから倒れた。
水しぶきが飛ぶ。
フランツは真っ正面に受けた。傷が沁みる。だがそんなこと言っていられない。
元来た道を引き返す。
来た時ほど早くはないがそれでもできるだけ急いだ。
ヒノキの影で、先ほどのままオドラデクとファッキイルがアリエッタを一歩も動かさないようにしている。
「血……血!」
「だから……どうした」
フランツは痛む肩を押さえながら言った。
「フランツ……大丈夫か?」
ファキイルが訊いてくる。
「あの薬草があればこんなのはすぐに治る」
フランツはかつてレオパルディで薬草を沢山採取していた。
ファキイルはそれを鞄から出し、手で握りつぶして屈んだフランツの肩に押しつけた。
やはり沁みる。
だが、傷の痛みはだんだん引いていくように思った。
やはりこの薬草を集めておいて良かった。
フランツはアリエッタに向き直った。
「お前の兄は死んだ」
フランツは告げた。
さっきまでのフランツなら『次はお前の番だ』と言うだろうが、今は言わない。
「ひっ……ひぃい」
もう戦闘意欲をすっかり喪失したアリエッタは、逃げるに逃げられず、背中を左右に揺すっていた。
失禁している。
「幾つか訊きたい。答えてくれるか?」
フランツは穏やかに言った。
「はっ……はい」
「お前らはなぜ、逃げた。罪を受け入れて裁きを受けられなかった?」
「怖かったからです……死ぬのは……」
アリエッタは敬語になっていた。
「どうやって逃げ延びた?」
「助けてくださる方がいたからです」
「誰だ」
「『火葬人』の一人、ビビッシェ・ベーハイムさまです」
「あいつは死んだ。杉の柩に葬られて」
アリエッタはヒステリックな笑い声を上げた。
「違います! あの方は生きていらっしゃるのです! 杉の柩の中は空よ! だから……」
「あぶない、フランツさん!」
オドラデクが叫んだ。
だがフランツはアリエッタが短刀を抜きはなってくる前にその首を断っていた。
「俺は二度と同じ手は食わない」
前のめりにアリエッタの胴体は沈み込む。
フランツはかつて、助けて相手に不意を突かれて襲撃されたことがあった。相手の動きには注意を払っている。
アリエッタの首は目を見開いたまま口を機械のようにパクパクと動かしていた。
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