第五十三話 秩序の必要性(8)
フランツはバルナボの背中を追った。
想像以上に敏捷で、フランツが全力を出して駈けても、後ろ姿は遠く遠くへ遠ざかる。
小川の方へ逃げるのだ。
――なら、行き止まりだ。泳いで逃げる気なら、俺も泳いでやる。
フランツは走りながら背広を脱ぎ、木下に放り投げた。汚れてしまうが、仕方がない。
道を塞ぐようにヒノキの迷宮をくぐり抜けて、フランツは進んだ。
向こうでも戦いが起こっているようだ。必死の形相でアリエッタが短刀を抜いて、自在に動くオドラデクの鋭い髪を受け止めていた。
「フランツさん、殺すなって言ってましたね」
オドラデクは笑っていた。明らかに手を抜いているようだ。
「助けるつもりなのか」
後ろでアリエッタを逃がさないように立っているファキイルが訊いた。
「さあね。旧スワスティカの連中に怨みがあるのはフランツさんですから」
オドラデクは戦いながら言った。
アリエッタはオドラデクの胸に近付いて突き刺す。
その動きはバルナボ同様に素早い。
だがその部分はすぐに糸に戻って刃を避けた。
「なんで、なんでよ。もう人殺しはしたくないの!」
後退し、オドラデクの波打つ髪を刃で受け止めながら、アリエッタは言った。
「さんざん人を殺めておいて、そんな言い方、ないんじゃないですかぁ?」
先日三人も殺したばかりのオドラデクは自分のことを棚に上げて言っていた。
「私は殺してない! 指示を出したのはみんな兄さんよ! ただ私はそれにしたがっただけ!」
「それを殺したと言うんですよ。小学校で習わなかったんですかぁ?」
オドラデクは煽った。
「いや! いや!」
アリエッタはわめき散らしたが、その手の甲を軽くオドラデクの髪が撃った。
短刀が取り落とされる。
「ひっ……」
尻餅を突いてそのまま逃げていくアリエッタの後ろに、ピタリとファキイルが立っていた。
「キッ、キーラさん! たすけて」
「フランツが来るまで待て。動けば殺す」
ファキイルは手短に言った。
アリエッタは蒼白になったまま、息を飲んで身体の動きを止めた。
フランツは小川の縁まで来ていた。
バルナボはそこに立っていた。
「引き離せたな。お前一人ぐらいなら殺せる」
そう言ってフランツを睨んだ。
「俺は負けない」
本当なら、グルムバッハやテュリュルパンを殺したことを告げるべきなのかもしれなかった。
だが、今のフランツは秩序の守り手だ。
そのようなことを口にしたら、自慢したいという感情が入り込んでしまう。
本能的に蓋をすることにした。
考えている暇はない。
バルナボは殴り掛かってきた。フランツは避ける。
その手には禍々しい拳鍔がいつのまにはまっていた。
一薙ぎされるだけで皮膚が歯がされ、血が飛び散ることだろう。
――俺には防御手段がない。
だが、今こそ実力を見せるべき時だ。オドラデクにもファキイルにも頼れないのだから。
フランツは刃を振るった。
だが、バルナボにはかすらない。その拳は更にうなりをあげた。
フランツは剣の腹でそれを受ける。流石に『薔薇王』、少しも傷がつかなかった。
「死ね!」
バルナボは余裕はないようだ。フランツを殺すことだけに全力を注いでいる。
だが、フランツと言えば、心は落ち着いていた。
――これが秩序への希求だ。
フランツは心の中でまた繰り返していた。
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