第四十話 仮面の孔(11)

 獅子は咆哮しながら、振り向いた。


 瞬時にその頭蓋をズデンカは刺し貫く。強く、脳を押し潰すように。


 血飛沫と暖かい内臓に包まれながらズデンカは手探りする。


 本だ。


――やつは、本をどこに隠している?


 獅子の頭部から胃袋に掛けて、自分の腕を肩先まですっかり通しても、見つからない。


 実際、獅子はこうなってなおズデンカの身体を力強く押さえつけていた。


 まるで何かに遠くから操作されているかのように。


――ここにはないのか。


「ズデンカさん。変な本があったんですけどー」


 カミーユは金文字の分厚い本を手に持っていた。


「馬鹿! カミーユ、それを早く投げ捨てろ!」


 ズデンカは鋭く叫んでいる己に気付いた。


――しまった。


 カミーユに『鐘楼の悪魔』について詳しく話していなかったことをズデンカは後悔した。


「はいっ!」


 あたふたとカミーユは本を投げ捨てた。


――クソッ、手が離せない。


 獅子の身体奥深くまで腕を入れているのだから、すぐ抜き放てるはずがない。


 だが。


「大丈夫」


 と答えたのはルナだった。ライターを本に寄せると即座に燃え上がる。


「阿呆か! 店が焼けるぞ!」


 ズデンカは取り敢えず叫んだ。


 だが、心の裡では安心していた。


 ルナは本がすっかり燃え上がった後、床に敷いてあった絨毯を炎の上に被せて鎮火させた。


「焦げちゃった。でも店主さん死んじゃったし大丈夫でしょ」


「死んだ?」


 ズデンカは急いで獅子の方を顧みた。腕の一つや二つ、すぐに再生するのでどうなっても良かったのだ。


 もう、ぴくりとも動かなくなっていた。 


「店主さん。自分は仮面で制御できるとか言っていたのに、実際は本に魂を吸われちゃってたみたいだね。本が焼かれたと同時に死亡! 残念、残念!」


 ルナはライターをしまうと馬鹿にするようにヒラヒラと裏表に動かした。


「結局、あいつは何だったんだ」


 ズデンカは血まみれになりながらゆっくり腕を引き抜いた。


「ただの哀れな人だよ。早いうちに死んだのが幸いだったというしかない」


 ルナはにんまりとした。


「おいカミーユ、何か変なことになってないか? あの本は手に取っただけでやばいんだ」


 ズデンカは獅子の血を滴らしながらカミーユに駈け寄った。


「一瞬、すごい怖い気持ちになったんですが、すぐ投げたので大丈夫でした。でも、私が鍛錬を受けていなかったら、投げることすら出来なかったかも……」


 詳しく話を訊くと、店主はテーブルの下に小型の金庫を据え付けて、その中に本を隠していたらしい。


「どうやって開けたんだ?」


 ズデンカは恐る恐る訊いた。


「お祖母さまに錠の開け方を教えられましたので……でも本物を試してみるのは初めてでした……」


 と、どこから用意したのか針金を手に取りながらカミーユは答えた。


――こいつ、単に臆病という訳ではないらしい……。


 ズデンカはカミーユが底知れなく感じられた。


「恐ろしい……恐ろしい……」


 震え声が聞こえた。


 さきほどモラクスを乱雑に突っ込んだ袋の中から聞こえる。


「おう、忘れていたぜ」


 ズデンカは袋から牛の首を取り出した。


「何てものを呼び出してくれたんだ。『鐘楼の悪魔』なぞ、近くにあるだけで吐き気がする!」


 モラクスは泡を吹きながら叫んだ。


「おやおや、恐がらせちゃったみたいで」


 ルナが脱帽しながら髪を整えた。

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