第四十話 仮面の孔(10)

 店主は手を振った。


「涼しいことを言っていられるのも今のうちだ!」


 すさまじい音がした。


 たちまちルナの前にあったテーブルが灰燼に帰していた。黒い焦げ跡だけを床板に残して。


 ズデンカは眼を瞠った。


 瞬時にして崩れ去ったのだ。吸血鬼の動体視力を持ってしても捉えきれなかった。


――『鐘楼の悪魔』、ここまで力が強くなってるとはな。


「ルナ・ペルッツ。あなた自身がこの机のようになっていたかも知れませんね」


 店主の仮面の孔からは血走った眼が覗いていた。


「それはどうでしょうね」


 ルナはその眼を見据えた。


――挑発するようなことを言うな!


 ズデンカは心の中で叫んだ。


「どういうことです?」


 店主が訊き返した。


「ただ物凄い力で斧を振ることなら誰だって出来ます。強靱な戦士に必要なのは、自分がどれぐらいの時間斧を振れるか計算に入れることではありませんか?」


「何を?」


 また轟音が耳をつんざいた。


「ルナっ!」


 ズデンカはルナの前へ走り出していた。


 今度は注視していたため、真っ白な光の柱がルナの頭を目掛けて降りていくのがわかったのだ。


 しかし、その光はルナの真上で止まっていた。


 バリアを張ったのだ。


「なるほど、確かに攻撃はあるようだ。でも……」


 光の先端は七つ八つに砕け散り、床を焦がした。


「ひっ!」


 とは言いながらカミーユは眼の前に落下した光を巧みに跳ねて躱す。


 だが、店主は続けざまに攻撃を放つことは出来なかった。


 突然空中から黄金の鎖が幾つも幾つも現れ出て、主人の手足を拘束していた。


「守りは手ぬるいですね」


 ルナは満面の笑みを浮かべた。


「クソっ!」


 店主は虚しく手足を動かした。


 仮面の孔の奥で両の眼がぎょろぎょろと素早く動き始めている。


「君」


 ルナがズデンカに言った。


「どうした?」


 ズデンカはルナの前に立ち塞がっていた。


「彼、きっと次は……」


 ルナは小声で言った。


 ズデンカはそれを『守ってね』という意味だと理解した。


「こんなものぉ!」


 店主は大きく上腕を膨らませ、鎖を壊そうとしていた。


 だが、僅かに力及ばず、罅を入れるまでには到らないようだ。


「うおおおおおおおおっ!」


 突然店主は雄叫びを上げ、前屈みになった。前掛けが引きちぎれ、シャツが弾け飛んだ。剛毛が溢れんばかりに広がり、背中はみしみし音を立てながら巨大化した。


 仮面が、音を立てて落ち、二つに割れた。


 現れたのは獅子ライオンだった。


「やっぱり、『鐘楼の悪魔』には抗えなかったね。どんなに強そうなことを言っていても。力への執着を抱いてしまった途端、たちまち獣になってしまった」


 たてがみを振り乱し、鎖を押し潰して、勢いよくズデンカへ向かっていった。


 しかし、その横頬に鋭くナイフが突き刺さる。


 カミーユだ。


 テーブルの上に飛び乗り、獅子から距離を保ちながら、見事な投げ方で命中させていた。


「おおおおおおおっ!」


 唸る獅子は、テーブルに前脚を掛け、上半身を踊らせてカミーユの元へにじり寄ろうとする。


 ズデンカも急いで援護した。


 鋭い爪でその背中を一直線に切り刻む。 


 血を噴き出しながら、獅子はズデンカに振り向いた。


「お前の相手はあたしだ。ヴォケ!」

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