第四十話 仮面の孔(12)

「そこまであの本が嫌いなのか? お前と似たようなもんだと思っていたが」

 ズデンカは血の乾くのを待ちながら言った。


「とんでもない! 悪魔の紛い物だぞ。お前ら人間が人間のようで人間でない生き物と接したときの恐怖を考えてみるがいい」


 モラクスは震えながら答えた。


「あたしは人間じゃねえがな。でもお前の言いたいことは何となくわかるぜ」


 ズデンカは頷いた。


「いや、俺が感じているのはお前ら以上の恐怖と絶望だ! 悪魔を模した力が世界各地に広がっているんだぞ!」


「それはあたしらも問題視してるさ」


 ズデンカは続けた。


「一つ残らず滅ぼしてくれ。それが俺の願いだ!」


 モラクスは叫んだ。


「もちろん! あなたの願いが実現可能なところで落ち着いてくれて嬉しいです」


 ルナは拍手した。


 モラクスはまるで嵌められたかのように顔を歪めた。悪魔らしく捻った願いにしようとしていたのだろう。


「でも、叶えるためにはかなり時間が掛かりそうです。それまで旅に付き合って貰いますよ」


 ルナが言った。


「なんだと!」


 ズデンカとモラクスが同時に言った。


――こんな悪魔と長々旅を続けるとか、ごめん蒙る。


 だが、ルナは乗り気なようだ。


「旅は道連れ世は情けだよ。初めはわたしたち二人だけだったのに、カミーユにモラクスと仲間が増えて嬉しい」


「悪魔など仲間にした覚えはない」


 口を滑らせてカミーユを傷付けないよう、ズデンカは細心の注意を払いながら言った。


「まあまあ、悪魔の力はいろいろと役立つ。わたしだって、ずっと力を使うのはしんどい」


 ルナの言うことにも一理あった。


 実際、モラクスが反抗してこないよう押さえ込んでいるのもルナの力あってのものなのだから。


「だが、こんな化け物が協力的になるとは思えん」


 ズデンカは言った。 


「自然と協力的になるだろうさ。一緒に旅をすれば絆みたいなものが生まれる」


 ルナは半笑いで答えた。


――どこまで本気で言っているものやら。


 ズデンカが考えているとルナは勝手に戸口まで歩き始めた。 


「さあ、皆さん。店は再開しましたよ! しかも店主さんが失踪されたので、今日は無礼講だ! 好きなだけ飲めや唄えやですよー!」


 ルナがまだ外に残っていた客たちへ向けて叫んだ。


「おおー! 酒が呑めるぞー」


 あまり数は多くなかったが、それでも勇気のある客たちが店の中に雪崩れ込んできた。


 店員たちはいつの間にか逃亡して一人も残っていないありさまだ。


 まだ真昼を少し過ぎたばかりというのに。


 ずっと後になって恐る恐る入ってきたのはアグニシュカとエルヴィラだ。


「危機は去りました。アグニシュカさんはさっきちゃんと食べていなかったはずだ。残っているものを召し上がられてはいかがでしょうか!」


「いえ、結構です」


 アグニシュカは手を振って断った。 


「そうですかぁ。なら仕方ないな。警察が来てややこしいことになる前にさっさとわたしたちは退散します」


 ルナが言った。


「そうすべきだな」


 と応じたズデンカはまだ何か喋っていたモラクスを袋の中に突っ込んできつく縛った。そして数々のトランクを抱え上げると店の外へ素早く移動する。


 カミーユとルナも近付いて来た。


 エルヴィラとアグニシュカは躊躇いがちに尾いてくる。


「二人が用があると思われるゴルダヴァ中部まではまだ大分歩かなきゃならない。その間に二人とも絆を深めようと思うんだ」


 ルナが目を輝かしながら言った。


「マジで言ってたのか」


 ズデンカは鼻で笑った。


「まあ、わたしたちが付けいる隙はなさそそうだけどね」


「なんでそう言える?」


 ズデンカは疑問だった。宿屋でアグニシュカが言っていたことがまだ念頭を去らなかったからだ。


「二人の手、見ただろ? しっかりと握られているよ。店を出たときからずっとね」


 ズデンカは振り返った。


 確かにルナの言うとおりだった。


 アグニシュカは笑顔を輝かせて、エルヴィラを愛しそうに見詰めていた。


――なんだ、杞憂も良いとこだな。


 ズデンカは呆れた。

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