第四十話 仮面の孔(7)

「だって、エルヴィラさんは実家で不思議な体験をしているじゃないか。超自然的なものに敏感になっているかもしれない」


 ルナは煙を吐いた。


「確かに。そう言われればそうだな」


 ズデンカも納得した。


 エルヴィラはコジンスキ伯爵家の城で、奇妙な事件に遭遇した経験がある。


「一番影響を受けてないアグニシュカさんがうってつけだよ」


 ルナは急かすように言った。


「じゃあカミーユでもいいじゃねえか」


 ズデンカは言った。


「でもまあ、良いけどね。どちらにせよ二人ともこの場を離れているんだから、探さなきゃ」


 ルナは出口に向かい始めた。


「はいはい」


 ズデンカはその後を追う。


「迷惑を掛けるがしばらく待っていてくれ」


 とエルヴィラに言い置くことは忘れずに。


「はい」


 エルヴィラは不安そうな顔になってすぐに俯いてしまった。


 ズデンカはもやもやするものを抱えながら店を出た。


 ルナはもうすたすたと三、四歩先を歩いている。


 ズデンカは地を蹴って一足飛びに並んだ。


 周りの人がそれを見て驚いていたので少し焦ったが。


「宿屋を探せば良いのか」


 よく考えたらルナはこのあたりの土地勘がないし、ズデンカも来たのは遠い昔だ。しかも宿屋を使った覚えなどないし、地図を見た記憶もない。


 人に訊くしかなかった。


「おい」


 道を歩いていた老婆に声を掛けた。


「なんでしょう」


「このへんに宿屋はないか? 連れがそこに言ったらしいので探しているんだが」


「あらまあ、ずいぶんと懐かしい発音をなさるのねえ。私のお祖母ちゃんがそんな感じで話していたわ」


 老婆は驚いていた。


「いや、まあ長らくここを離れていたのでな」


 ズデンカは店長に対してと同じことを言った。


「宿屋だったら向かいの角にありますよ」


「感謝する」


 ズデンカはお辞儀をして老婆の指差す方へ歩いていく。


 正直、恥ずかしかった。これからは母語でなく、ヴィトカツイ語を使うことに決めた。


 ルナは遠くで訊き付けたのか既に先に行っていた。


 宿屋の建物が見えてきた。


 コンクリート製。つまりは新しく作られたものだった。


「おい、二人連れが来ていただろ? どの部屋に入った?」


 中に入ると、ズデンカは主人に詰め寄った。


「はっ、はい。二階の……」


 その気魄に圧倒されて、主人は客とズデンカの間柄も知らないまま、部屋番号を教えた。


 ズデンカは階段を駈け上がった。


 ルナは反対に一階でのんびりと家具調度を眺めていた。


 部屋の扉を引き開けると、カミーユがベットですーすーと眠っていた。


 アグニシュカは鏡の前に坐って、静かにブラシで髪をいていた。


――染めた髪は傷みやすいと訊くので気にしているのだろう。


 部屋に入った時点で、これがルナの罠だったと気付いた。


 ルナはカミーユの方が疲れていると見抜いて、アグニシュカとズデンカを二人だけで話させようと言う魂胆だったに違いない。


――ちくしょうめ。乗るしかねえな。


「おい、お前に用がある」


 ズデンカは諦めながら言った。


「なんですか」


 アグニシュカが振り向いた。


「さっきの料理店に引き返して貰いたいんだが、その前にお前とエルヴィラについて訊いてみたんだよ」


「何を訊くと言うんです? あなたに話せと言うんですか? 私のエルヴィラさまのことを。なぜ関わりのないあなたなどに話さなければいけないんですか」


 きっとズデンカを睨み据えながらアグニシュカは言った。


――『私の』か。


 ズデンカは今目の前にいる娘が自分の何分の一程度しか生きていないことを実感した。

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