第三十八話 人魚の嘆き(8)

「そんなの知りませんよ……と言いたいとこですが」


 オドラデクは含みのある話し方をした。


「知ってるなら今すぐ言え」


 フランツは苛立って命令した。

 

 手が震えてくる。


 寒さもきつくなってきた。


「会ったことはないですけどね。人魚は確か、色んな種類がいるとかで」


「どんな種類だ?」


 フランツは気になった。


「話に出ていたみたいに人を惑わして、海の中に引きずりこむような連中とは別に、人前には決して出て来ず、海の底で暮らしている種族がいるとかで」


 オドラデクは大きく伸びをしてフランツの横にごろりと寝そべりながら言った。


「じゃあ、俺のこの刺青の元になったやつは前者なのか」


「そうとも限りませんよ。お話を聞いていた限りだと、その人魚は恋をしたらしいですから」


「恋?」


「ほら、『大事な人を失った』って語ってたじゃないですか。まったくもー。フランツさんはほんとうに鈍いなぁ」


 オドラデクは笑った。


「確かにそういやそうだな。大事な人がいたと言うことは恋をしたのだろうな」


 フランツは機械的にそう考えていた。


「海の底で暮らしている人魚たちは若い頃、一度陸に上がるという試練を受けるって話ですよ。中には、人間の若者に恋をする者もいるとかで」


「そうなのか。じゃあこの人魚も」


 フランツは背中に手を回した。途端になぜか恥ずかしくなった。


 今まで単に物だとしか見ていなかったのに突然実体を備えた存在になった気がしたからだ。


「中にはどうしても相手と同じになりたい方もいて、何か代償を払って、人へと変わるのだそうです。でも、あなたが見たその人魚の足は……」


「魚のようだった。とても人間には見えなかった。見たのはかなり前だが、記憶は鮮明に残っている」


 フランツは奇妙に思った。


「と言うことはたぶん代償を払うのを躊躇してしまったのでしょう。髪をなくしたり、声が出せなくなったりするのは困るはずだ」


「なるほど、だからあれだけ悲痛だったのか」


 フランツは何となく納得した。


「ウブいフランツさんでもよく理解できたようで、お目出度いことです。でも、死が二人を裂いた可能性だってある」


「死だと?」


「実際人魚と親しくしている人間は異分子扱いされますからね。殺されることだってある。それに、ただでさえ戦争もあった世の中だ。可能性は幾らでもあるでしょう。フランツさんが夢で見たという人魚さんの恋人も、いつ死んでもおかしくない」


「理由を特定出来ないのか?」


 フランツはなんとしても知りたかった。


「やたらご執心なんですねえ」


「背中に彫ったものだ。そりゃ気になる」


「ルナ・ペルッツでも無理でしょうね。生物の見た幻想は実体化出来ても、墨になった人魚の物語を再現するのはいささか難しいでしょう」


 オドラデク自身も少し残念そうだった。


「痕跡を少しでも探せれば」


「図書館でも引っくりかえして探しますか? そんな暇がありますか? あなたはスワスティカ猟人で、ランドルフィ滞在はクリスティーネ・ボリバルを探し出すんためじゃなかったんですか?」


 正論のみだれうち。


 フランツは黙るしかなかった。


――なんでそんなにも知りたがったんだろう。


 自分でも、よくわからない。


 めまいがした。

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