第三十六話 闇の絵巻(3)

「ちっ。気にくわねえ」


 ズデンカは腕を組んだ。


「とにかく、何とか意志疎通を出来ないか計ってみよう。わたしの力を使えば、車内にだって招くことが出来るかも知れない」


 ルナはうきうきしながら言った。


「本当に安全なやつなのか確認をとるまで絶対に許さん」


「でも、どっちにしろ話をしないと、確認取れないじゃないか」


 ルナは不満そうに頬を膨らませた。


「ふふふふふふ! おっかしい!」


 その顔があまりにリスのようだったのが受けたのか、カミーユは笑い始めた。


「あ、すみません! 大事なときなのに!」


 そう口を押さえていたが、目はいまだに笑っている。


 ズデンカまでつられて笑いそうになったが今はそれどころではない。


「あたしが外に出て話できてやる」


「へえ、そこまでやってくれるの」


 ルナは少し気分を和らげたようで、肘を膝の上に置き手の甲に頬を寄せた。


「面倒臭くはあるが」


 ズデンカは車輌の外までずかずかと歩き出した。皆寝台車の方に移動したのか、他の部屋はひっそりとしている。


 通路の左右にある窓のついた扉の片側を開けると、外の空気が入り込んできた。


 不死者であるズデンカはその温度を上手く感じ取れなかったが。


 前の客車との連結部が見える。ズデンカは手摺を掴んで、後ろに向かって身を乗り出した。


 強い風が吹いて、髪が後ろに吹き流された。


 確かに白い影がさきほどまでいた客車の窓に張り付いているのが見える。


「おい、お前! 返事しろよ」


 ズデンカは叫んだ。


 しかし、本当に驚くばかりの闇だ。ズデンカはその中にある輪郭を多く感じ取れるが、それでも塗り込められたかのような黒さであることは変わりない。


 影は返事をしなかった。


――どうするか。


 仮に今いる場所から飛び下りたとしてもズデンカは正確に闇を歩けるし、汽車に遅れることもない。


 霊を攻撃出来るのか、という問題もある。物理ならズデンカの力に勝てるものはほとんどいないと思うが、そうではないとすると厄介だ。


 昼にルナの元を訪れたヴラディミールがもし攻撃的な霊体だったら……。


 ズデンカは暗澹とした気持ちになった。


 ルナとカミーユが傷つくようなことなどあってはならないのだから。


 とは言え、話し合いで済むものを力で無理で解決する必要はない。


「おい、敵意がないならなんか答えろよ!」


 ズデンカは苛立って叫んだ。


 白い影は答えはしなかった。だが、フラフラと蹌踉よろめきながらズデンカの方へ飛んできた。


 確かに少女の顔だ。


 全身が白いのに、髪の毛やスカートの襞など細部が視認できる。大理石に彫り込まれたようにすら思えた。


「お前は何者だ」


 返事がない。


「おい」


 と相手の服を掴もうとしても、やはり想像通りすり抜けてしまう。


 間違いなくこの少女――インゲボルグ? は霊だ。


「答えねえなら引き裂くぞ!」  


だが、なおさら返事は返ってきそうになかった。


――どうするか。


 実際攻撃するとしても手段が見当たらない。


 「クソ」


 戻るわけにも行かず、相手と会話も進められず、ズデンカはほとほと難渋した。


「相変わらず吸血鬼は頭が足りないみたいだね」


 聞き慣れた声だ。


「てめえ、無賃乗車だぞ」


 ズデンカは怒鳴った。


 大蟻喰だ。客車の屋根にちょこんと腰を掛けて、この不思議な光景を瞰下みおろしている。


「いいじゃないか。ルナを見にやってきたんだよ」


「上手い洒落を言ったつもりか」


 ズデンカは嘲笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る