第二十八話 遠い女(6)

 アデーレが再び乗り込んで五分もせず、馬車は動き出した。


 先頭の兵士たちは既に歩き出しており、馬車の後ろに続く者たちも行軍を開始する。


「さてさて、物見遊山を再開しよう!」


 ルナは窓から顔を出して、過ぎ去る景色を眺めた。


「危ないぞ」


 ズデンカは注意した。敵には射撃手もいるのだ。そういう場所で顔を見せるなど、愚の骨頂だ。


「もちろん、ちゃんと守る術は心得てるさ」


 ルナは後ろ姿のまま言った。


「だが、お前は消耗するだろ」


 今までさんざんルナの張るバリアーに助けて貰った。


 だが、力を使い続けることはルナに負担を与える。


 ズデンカは聖剣で傷付けられない限りすぐ傷が塞がるので、ルナが守ったのは普通の人々なのだが。


『普通の人々』。


 ズデンカは苦々しい思いでその言葉を反芻した。


――ルナを迫害したのも『普通の人々』だった。


 スワスティカの総統フューラーゲオルゲ・エッカートは民主的に選挙で国勢を掌握、やがて三国を合併し、トルタニアの他の地域にまで版図を広げた。


 人種根絶政策こそスワスティカが始めたものだが、流浪の民族シエラフィータはそれ以前から何百年もトルタニアでは嫌われていた。


 各地でたくさんの『普通の人々』がエッカートを歓迎したのは、その時代を生きた者なら誰だって知っている。


 バルトルシャイティスのサーカス団にも一票を投じた者がいただろう。


 当時まだ幼く選挙権もなかっただろうカミーユは別にして。


――なぜ、そんな奴らを助ける。


 憤懣の八つ当たりと言っても良かったが、ズデンカはルナを見ながら思った。


 ルナは決して正義を標榜しはしなかったが、それでも旅先で遭遇した悪いやつは殺し、無辜むこの人たちは助けてきた。


 だが、本当に罪のない人間がこの世にいるだろうか?


『正義は暴走する』


 カスパー・ハウザーはかつてそううそぶいた。


 いつか裁かれるのはルナの方かも知れない。ズデンカの方かも知れない。


 そこまで考えが到りそうになった時、肩をいきなり叩かれた。


 カミーユだった。


「なんだ?」


 ズデンカは言った。我ながら険のある声だと思った。


「い、いえ。デュレンマットで襲われたとき、一番闘ってくださったズデンカさんには感謝するのを……忘れていたなって……」


 身を縮こまらせながら、カミーユは言った。


「いらねえよ」


 ズデンカは短く言った。


「そ、そうですか……」


 どんどんカミーユの声が小さくなってくる。


「あたしに構うこたねえよって意味だからな。むしろ、お前にはさっき助けて貰ったよな」


 ズデンカは付け加えた。


 最前、ハウザーの手下に捕まえられていたところをルナとカミーユに救われたのだ。


「ズデンカさんは、強いです」


 カミーユは小さい声のまま言った。


「強くはない」


 あれこれ思い悩んでしまうぐらいには脆い、と言いたかった。


「あんなに身体の大きな人に捕まえられて、動じずにいるなんてすごいですよ」


「いつものことだ」


 そう言われて驚くほど自分が動揺していないことに気付いた。確かに捕まっている間は嫌な気分にもなった。だが、解放されてみればなんでもない。


「私なら、男の人に縛られたりするなんて、耐えられないです」


 身を震わせるように、カミーユは言った。


「お前も男は嫌いか?」


 ズデンカは微笑んだ。


 遠い女が初めて歩み寄ってきた気がしたからだ。

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