第五話 八本脚の蝶(1)

――トゥールーズ人民共和国東端ドールヴィイ


 ホフマンスタールで劇作家リヒャルト・フォン・リヒテンシュタットと子飼いの俳優たちが殺害された事件は大きく報道された。


 著名な綺譚蒐集者アンソロジストルナ・ペルッツが関与しているという真偽不明な情報も伝えられていた。現場にいた女性たちが何人かその姿を見たというのだ。


 メイド兼従者兼馭者にして吸血鬼ヴルダラクのズデンカが手に入れてきたヒルデガルト国民新聞を読む限りでは、犯人と名指しされているようでもなかったし、半月ばかり前にシュミットボンの刑場で発生した集団虐殺事件に関連があるのではないかとも疑われていた。


「この街には誰も事件を知る者はいなそうだ」


 ルナは宿の長椅子に腰掛けてパイプを吹かしながら言った。


 トゥールーズはオルランド、ヒルデガルト両国をあまり快く思っていない。スワスティカ時代に国土の半分近くを占領された怨みもあるが、草の根の国民が抵抗運動に加わり、亡命政府も連合国側に組みして勝利した優越感も手伝っているのだった。


 国際的な劇作家の死は話題となっていたが、詳しい内容に興味を持つものは少ないようだった。


 ルナたちはと言えば、報道がなされるよりも早く検問をパスして、つつがなく入国を果たしている。


「思ったより語学が出来るんだね」


 買い物籠を提げて入ってきたズデンカを見てルナが言った。


 トゥールーズは言語が違う国だ。ルナはゆうに十ヶ国語を話せるが、ズデンカもまた買い出しに不自由しないぐらいは他国語を操れる。


「馬鹿言え、何年生きてきたと思ってんだ」

「そうだった。君の方がはるかに先生だ」


 ルナは脱帽した。


「これからは毎日崇めろよ」


 ズデンカは胸を張った。


「気が向いたらね」

「なんだそれ」


 ズデンカは呆れた。


「長く生きてるわりにはもの知らずだなって感じることも多くてさ」


 ルナは笑った。


「そりゃ、あたしだってなんでも知ってるわけじゃないさ。特に昆虫のことなんか全然知らない。昔は苦手だったからな」


「前でかい蜘蛛を見た時は内心ビクついてたの?」


 意地悪っぽくルナは言った。


「ビクつきゃしねえよ。何にでも動じる心は百年前に捨てた」


 ズデンカはぴしゃりと言った。


「まあ蜘蛛は昆虫じゃないけどね。リーザさんも言っていたろ? 八本脚だから」


「八本脚があるのは昆虫じゃねえのか」


「基本的に昆虫は六本脚が条件だからね。通称六脚類とまで呼ばれるほどだ」

「ムカデは?」


「あれも多足類っていって昆虫の分類に入らない」


「へーえ、今までそんなこと気にせずに生きてきたぜ!」

「世の中には君の知らないことをたーくさん調べている人がいるんだよ」


 ルナは煙を吐いた。


「あたしより寿命が短いのに、やりやがるな」


 ズデンカは素直に感心していた。


「せっかくだから、蝶の展覧会にでもいかない? ドールヴィイは自然に恵まれた土地だから、たくさんの蝶が採れるんだ」

「いいな、行ってみようぜ」


 とは応じたものの、ズデンカはルナがあちこちに姿を見せることが不安で仕方なかった。


「よっこらしょ!」


 ルナはさっさと仕度をして(ズデンカにして貰って)走り出していった。


「まるでガキだ」

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