第五話 八本脚の蝶(2)
冬枯れの並木道を二人は歩いた。
他には誰の影もない。
そこへ、ルナの影だけが地面へ伸びる。
ズデンカは不死者だ。影を持たない。慣れたはずなのに、今はそれをとても寂しく感じた。
風が吹き付けてきた。ズデンカは平気な顔、ルナはぶるりと身を震わせた。
「手を繋ごう」
ルナがさっと出した手をズデンカは何も言わずに握った。
ズデンカは周りに人の気配がいないか、さかんに警戒した。
「何不安そうにしてんのさ」
ルナが小声で言った。
「いや、用心のためにだな」
「気にしなくていいよ」
ルナはにんまりしていた。
「そうは言ってもな」
「冬はまだまだ続きそうだね」
「なったばかりだぞ」
ズデンカは落ち葉をきゅっと踏んだ。あたり一面に散り敷かれている。
「お二方、仲が宜しいですな」
燕尾服に身を包んだ老紳士がいきなりぬっと顔を突き出した。
ルナを遮ってズデンカが立ちふさがった。
臨戦態勢。
老紳士は後ろへ宙返りして身を引き離すと、優雅に一礼した。
「やっぱり生きてやがったか、大蟻喰!」
「さすが低知能な吸血鬼だけはある、勘もケダモノ並みか」
老紳士の腹を突き破り、大蟻喰が顔を出した。
「くそっ、あたしとしたことが接近を気付けなかった!」
ズデンカの瞳は赤く光っていた。殺気が漲っている。
「そりゃ、今までたくさんの格闘家や陸上選手を食べてきたからね。ボクの素早さには叶わないよ。でも、すこし待って。今日は君たちを食べに来たんじゃない」
見事にトゥールーズ西部の訛りを使いこなしていた。
「信じられるか!」
「それが目的なら、さっきルナを殺すことだって出来てたじゃん」
大蟻喰は掌に付いた血を舐めた。
「まあ、そうだな」
ズデンカは納得したものの、警戒は怠らなかった。
「ボクもね、大好きなルナをすぐには殺したくないんだ。少しずつ、切り刻みながら、一つ一つの臓器をえぐり出して愛おしむように食べていきたい」
「変態が」
ズデンカは吐き捨てた。
「ルナは時が来たら食べても良いって言ってくれた。その気持ちに変わりはないよね」
「もちろん」
ルナは頷いた。
「なら合意の上だ。然るべき
大蟻喰は瞳を輝かせ、よだれを垂らしながら話した。
「なら、前食べれば関係ないとか抜かしてたのはどうしてだ」
「久しぶりに会えて嬉しかったからだよ」
老紳士の皮をパリパリ食べながら大蟻喰は言った。
「何がお望みなのかな」
ルナのモノクルが光った。
「話は簡単さ、キミたちの散歩に付き合わせて貰いたい」
「ダメだ!」
ズデンカは叫んだ。
「わたしは良いけど」
ルナは言った。
「お前……」
「どこに向かう予定だったの?」
大蟻喰は聞いた。
「公会堂で開かれる蝶の展覧会に行く予定なんだよ」
ズデンカが止める間もなくルナは言った。
「へー、蝶はボクの趣味じゃない。鱗粉とかが口に付きそうでやだ」
と言いながら近づいてくる。殺意を消していたのでズデンカも反撃の体勢は取らなかった。
「食べるばかりが人生じゃないよ。見て楽しいものもある」
「分かるよ。ボクだって画家を食べたこともあるし博物学者も食べた。美しさは分かるし、知識もとりあえずはある」
「じゃあ行こう」
ルナは先へと歩き出した。
「待て」
ズデンカはその後を追いかけた。大蟻喰も付いてくる。
冬枯れに雪も降り始めた中、三人が距離を保って歩くさまはひどく奇妙に見えた。
「お前とルナはいつ知り合ったんだ」
ルナに声が聞こえないと見計らってズデンカは後ろに問いかけた。
「秘密だよ」
「お前も隠すんだな」
「そうだね。二人だけの思い出だからさ」
「あらかじめ言って置く! あたしはずっとお前を疑ってるからな。何かやろうものなら即座に殺すぞ」
「殺せるなら」
大蟻喰はすたすたと歩いていった。
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