第四話 一人舞台(9)

 はたと気付けばリヒテンシュタットは太陽の照り付ける崖の上に縛り付けられていた。


 激痛に襲われた。己の内臓はかっさばかれて淋漓りんりと血を流している。結ばれた縄は赤く染まっていた。


「いでえ、いでえ、だずけてくれええ」


 リヒテンシュタットはすぐに泣き叫び出した。


 しかし、誰も助けはやってこない。


 頭上で弧を描いていた鷲が何羽も舞い降りてきて、リヒテンシュタットの内臓を啄んだ。


「ごれは……おれのぉ」


 これは自分が戯曲『犠牲』に書き付けたものと同じだ。


 リヒテンシュタットは叫び続けた。


「いでえ、いでええええいでえええっ」


 数百度啄まれただろうか。内臓はぼろぼろになり、血は流れきった。しかし、リヒテンシュタットは死ねないのだ。


「じなせてぐれぇ、じなせてぐれぇ!」


 そう喚き叫んだところで、己の部屋の中に戻っていることに気付いた。


「あなたがご自身でお書きになったことですよ」


 ルナが見おろしていた。


「書いたからといって、それを体験したいわけではない!」


 リヒテンシュタットは顔を真っ赤にして怒った。


「まだまだたくさん残ってますよ。えーとお芝居の筋書きじゃあどうだったかな? 犯され殺されたドニーズと娘さんの分はあるな、決闘で右目を負傷すらあたりかな? 公演回数分だけ繰り返して貰いましょう」


「いやだあっ、いやだぁ!」


 そう叫びながら背後を手探りし、リヒテンシュタットは一冊の本を書棚から抜いた。


「あの芝居はこれが原作だ! だいぶ改変したが内容は同じだぁ! 俺のオリジナルじゃねえ!」


 その手には禍々しい金文字で『鐘楼の悪魔』と書かれていた。


 リヒテンシュタットは本を高々と掲げた。


 すぐさま、黒い色の炎のようなものがその身体へ広がっていき、全身を覆い尽くした。


 声にならない呻きのようなものを上げ、リヒテンシュタットの身体は大きく変容していった。爪は長く伸び、角が生え、大きな翼が広がった。


 全身を黒い毛で覆われた、丈の高い獣。


「ルナ、危ない!」


 ズデンカがルナの身体を押さえて遠く引き離した。


 リヒテンシュタットだったものが咆吼し、爪の一撃を繰り出したのだ。同時に羽ばたきが始まった。


「あれは、悪魔だ」


 ルナは静かに言った。


「何をやればいい?」


 ズデンカは訊いた。


「やつの懐に飛び込んで!」


 ルナは叫んだ。


「やれやれ、分かったよ」


 ズデンカは言われた通り悪魔の胴体に組み付いた。


 轟く音が響き、天井が裂け、巨大な穴が開く。羽ばたく悪魔とズデンカは屋根を突き破って外へと飛び出した。


 物凄い勢いで両者は夜空の星の中をきりもみ旋回を続け上昇する。


 揉み合い、爪で身体を切りつけ合いながら、互いに争っている。ズデンカはいくら斬られても涼しい風で、傷はたちまちのうちに塞がっていった。


 やがてズデンカの爪は悪魔の翼に大きな穴を開ける。


 悪魔は絶叫した。


「あたしと墜ちるんだよ、あんたはな」


 ズデンカは翼に張られた皮膚をことごとく指で引き剥がし裂いた。


 羽ばたきを失った悪魔とズデンカは真っ逆さまに落ちていく。

 リヒテンシュタットだった悪魔は藻掻いて、苦しそうに両手を動かした。


 ズデンカはその喉を抉り、頭蓋まで腕を刺し貫いた。


 それと大地への衝突がほぼ同時だった。


 両名の四肢は粉々に砕かれ、見分けが付かないほどになった。

 だが、ズデンカの破片は即座に元の形へ集まり、姿を取り戻した。


「へい、いっちょあがりだぜ!」


 ルナが館から歩いてきた。


「やつの破片があたしの身体に混ざり込んだりしてねえだろうな。うえっ、気持ち悪りぃ」


 メイド服が砕け、裸になったズデンカは血糊を払った。


「屍体の後始末が残ってるよ」


 ルナは抱えた毛布をズデンカに被せた。


「またあたしにやらせんのか」


「生憎わたしは力仕事がからきしでね」

「はいはい」


 ルナは静かに笑っていた。


「また『鐘楼の悪魔』が現れたな」


 ズデンカは不安げに言った。


「わたしが読んだものとあのお芝居はまったく内容が違う。おそらく、読んだ人間の心の中にある邪悪さを例の本は倍増させるのだろう。世の中にあっちゃ危険だ」


 ルナは手が汚れるのも構わずぐちゃぐちゃになった悪魔の残骸の中から本を引き出して、ライターで火を点けた。


「残らず燃やさなきゃ」

「その前にあたしの代えのメイド服を何とかしてくれよ」


「このままの方が良いんじゃないのかい? 風通しもよくってさ」

「やーだよ。誰がこんな格好で歩けるかってんだ」


 二人は代えの衣装が置いてある馬車に向かって歩き出した。

 自分と並んで歩くどこか憂いを帯びたルナの横顔に、もう二度とこの都市には戻ることはないだろうなとズデンカは思った。

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